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第七話 羊頭狗肉の晩餐
「日向、ちょっとアイス買ってくるよ」
昼前に目が覚めて慌ててよそ行きの服に着替え、病院へ向かった。日向の面会は昼から午後八時までだ。昼ごはんも食べずに向かうと、すでに日向は昼食を終えていた。読みかけの少年誌を閉じて、ニッと意地悪そうな笑みを浮かべる。
「兄ちゃん、バニラ味がいい!」
「わかった。すぐに買ってくるから待ってろ」
「ピッピッ」と鳴る心電図モニターを横目にベッドを仕切るカーテンをすり抜け、ミナミは三階にあるコンビニに足を運ぶ。ミネラルウォーターとおにぎりも追加で買おう。夕方はプラチナがあるので、少しは腹の足しにしたい。
同伴って……。本気なのかよ。
一度も同伴をしたことのないミナミは昨夜の男を思い出す。低くて厚みがある声で、唐突に友達 になろうなんてアホらしい。
なんでホストが客として来るんだよ。
面倒事は避けたい。林檎たちがあのホストを指名しているとも耳に挟む。変なやっかみも勘弁だ。ホスラバにでも書かれたりしたら、さらに困る。
本当にナンバーなのか?
バイアスといえば最大級の大箱だ。五十卓もあり、狭い繫華街では珍しく百坪以上の広さが地下に横たわる。
桃や苺達から耳にしているが、フロントから続く大階段を踏み降りていくと無限の星空が散りばめられ、幾何学なデザインが壁に反射する。VIPルームにはおおきなシャンデリアが抜群の存在感を放って、内装はサファイアブルーで統一されているという噂だ。内装費に億をかけているとも聞く。
あいつがホストなんて、いくらなんでも無理がある。
ホストは正統派、アイドル派、漢系、弟系など様々だ。黙っていれば正統派だろうが、口をひらくと残念な末っ子甘えん坊タイプ。顔が整っているので、ひと握りの人気はあるかもしれない。
ああいう奴ほど厄介だな。若さで生きてる気がする。物怖じしない言動に、自信満々な態度。若い自分ですら気圧されそうになる。
若い奴ほどめんどくさい。金もないのに、話しだけはでかいし……。
コンビニに着いて、カゴに目ぼしいものを入れていく。日向の好きなバニラアイスも二つほど買った。レジを通して、持ってきたマイバックに入れて店内をでた。
廊下ですれ違う患者が点滴スタンド持って歩いているのが見えて、ミナミはすっと端に寄ってよける。その拍子に黒鳶色の靴が目に入って、黒いスーツ男とぶつかった。
「わ!」
「あ、すみません!」
「僕こそごめん。怪我はないかい?」
尻餅をついて倒れてしまい、見上げると三揃いのスーツが視界に入った。胸板は厚く、腕や足もしゅっと細くみえて、年相応の包容力と落ち着いた雰囲気が漂う。どことなく、日向に目元が似ている気がした。
「げ、長谷川さん……」
「あれ? きみ、ミナ……」
お互い顔はなんとなく知っている。一度だけ店の出入口でみかけたが、はじめてはっきりと明るい場所で顔を拝んだ気がした。
「……」
「……」
長谷川とミナミは口を閉ざした。大きな手のひらを差し出されたが、ミナミは首を振って断り立ち上がった。
「君もどこか悪いの?」
「いや、俺は家族が……」
「そうなんだ。お大事にね。ああ、いけない。そろそろ外来の予約時間なんだ。残念だけど、また今度会おう」
長谷川は腕時計に目を通すと、かるく手を振ってその場を立ち去る。香水なのか、甘いムスクの香りがミナミの鼻の孔を抜けていく。
長谷川さん、病気なのか?
なんとなく、桃が歯切れの悪かったのを思い浮かべた。一人取り残されたミナミはエレベーター前までとぼとぼ歩くと、ボタンを押して十階の入院病棟に戻る。
……顔色が少し悪かったな。
顔の血色がよくなさそうにみえた。
いや、他人のことより自分だ。まずは新しい部屋の敷金礼金をなんとかしなければならない。日向の容態もまだ安定しているが、このままでは済まない。
蓄えすらないんだ。家賃に手を付けてしまうと、そろそろヤバイ。
できれば昼に齧りついていたい。夜一本で弟を養うといっても、あと数年と続けていける自信もない。健康保険、厚生年金、もろもろの手当てを手放したくない。
袋を手にしながらエレベーターを降りた途端、ぶるぶるとスマホが震えた。
「はい」
『オレだよ。オレ。あ、切るなよ!』
「……」
気の抜けた声に、纏っていた重苦しい澱んだ空気が吹っ飛んだ。
◇◇◇◇
「おまえ、メッセージぐらい返せ。ちゃんとみろよ、スマホぐらい」
「迷惑なんだよ。ミュートにしてる」
モダンで落ち着いた店内のなか、黙々とふたりは赤身と霜降り牛を網に乗せて眺めていた。窓際の個室は見晴らしも良く、都内の夜景が楽しめるがミナミは目もくれず背を向けて、ハラミが焼き上がるのを見ている。
「は? ミュート?」
「そう、ミュート」
男はびっくりした様子で口に含んだ赤ワインを飲み込んで顔を見合わせた。やわらかな肉がじゅっと焼ける音が響く。ちいさく頷いてトングで裏返すと、途端に男は捻った声を絞りだした。
「はぁあああああああああああああああ?」
「……うるさい。おまえ、なんなの? 一日中うるさいから速攻で通知消したぞ」
あの晩から酔ってるのか、ずっとLINELINE のメッセージが止まらない。
『寝てんの?』『おはよう』『起きたか?』など細客よりうるさくて、最後の『おーい!』ですぐに通知を止めた。
「……別に。つうか、おまえ、全然メールくれねぇし、返信ないから届いてないって思うじゃん」
「忙しいんだよ。もう送ってくるな」
長文メールを何度も送ってくる客は数人いるし、慣れている。昼も仕事をしているので、夕方に気づくとすごいことになっていたりもする。それでもこまめに返すので、細々と客とは続いているが、ホストは別だ。同業に貴重なプライベートを潰されたくない。
「はいはい。ミナミちゃん、ハラミが焼けたぞ」
「人の話しきけよ。あと、ちゃんづけするな」
「なぁ、どうする? 追加で上カルビ頼むか? あと厚切り牛タンも食べようぜ」
男は無視して、丸テーブルにあった呼びボタンを長い指先で押すと、口の端に笑みを浮かべる。
「いくらなんでも、くいすぎだろ」
「人の金で食べる焼肉はうまいだろ? 朝から食べてねぇんだし、気にしないで食べろよ。おっぱい膨らむぞ」
目の前の男は、王子様のような風貌に似合わない微笑を漂わせ、どんどんとトングで肉を網に乗せていく。ミナミはもそもそと焼き色のついた肉を甘辛い味噌ダレにつけて口に運んだ。肉汁が腔内へ溢れて、噛むとさらに香ばしい匂いが鼻まで届いた。
「……ん、うまい」
「だろ!? ここうまいんだわ。しっかし、よくあんな服で同伴とかいえんな」
「うるさい、初めてなんだよ」
「は? なにが?」
「同伴」
うつむいて咀嚼するが、男は嬉しそうな顔になり、新緑が芽吹くように瞳が光るのがわかった。そう、ミナミは同伴などしたことがない。今日も昼から日向の病院へ行く予定だったのでいつも通り全身茶色の恰好で向かった。待ち合わせ場所で駄目だしをすぐに喰らったわけである。
「うそ」
「本当だよ」
「マジで?」
にやにやと口の端を上げて笑う男をみて、ミナミはむっと不機嫌にそっぽを向いた。
「真面目 だよ、服なんて知らないし、おまえ買い過ぎだっつうの」
「だって、もってねぇつうし。いいじゃん。冬になるんだし、あるに越したことないだろ!」
「だからって、配送もするなんてやりすぎだ」
出会うなり服を一式揃えられ、試着室に押し込められた。
一着目はギンガムのシャツにチルデンセーターをあわせ、ボトムスにデニムを合わせた爽やかなコーデ。その上に発色のよいオレンジ色のアウターも追加で購入していた。タグを取ってもらい、いま店の入り口で預かって掛けられている。
二着目はモヘアのニット、チノパンにダッフルコート。ダークトーンにシャツのブルーとチノパンのベージュ、スニーカーで明るさを合わせるらしい。
男と店員がなにを喋っているのか追いつけずに言われるまま試着室で服を着た。着せ替えては審査員のような目つきの視線を投げつけられ、また着替えてはみせるという試練を繰り返した。そのあとは用意されていた服に着替えさせられ、いつの間にかレジ会計まで済まされてしまい、いまに至る。
「いやぁ、久しぶりに人の服なんて考えたわ。やっぱり楽しいな」
「……金は返す。おまえ、焼き肉食べたら帰れよ」
「は? だめだろ。店に同伴で遅れるって連絡してるだろうし、今日もバッティングいくし。金なんていらねーよ、プレゼントだっつってんじゃん」
男は肉をひょいと小皿にのせると、にやりと微笑んだ。確かに店長の木下には同伴で直行すると伝えている。同伴で行くとそのまま指名料が取られ、一セット七千円が終わると、三十分延長五千五百円がつく。せいぜい一時間延長して、二、三万ぐらいで客は楽しんで帰り、その後はソープで抜いてもらうのがオチだ。
「嘘だろ?」
「マジだけど? きょうは仕事ねーし、疲れた心身をミナミちゃんに癒してもらお~」
「ふざけんな。おまえ、昨日ダチって……」
言いかけようとして、やめた。友達なんかになりたくない。客の方がまだいい。
目の前で焦げていく赤身を目の前にしながら、ミナミはぎゅっと黙り込んだ。
「ま、いいさ。それより、どうだ、コレ」
「コレ?」
「コレだよ、コレ。似合うかって」
銀髪を得意げにかきあげた。主語がないので、何を言いたいのか分からないが、なんとなく褒めて欲しいのは察した。
指で短い髪先をねじって見せる。耳周りはツーブロックで、すっきりと切り揃えられ、バックはグラデーションカットでナチュラルに仕上げられている。無造作な髪型をつくるようにピンパーマまでランダムにかけていた。
「うん、まぁ、いいんじゃないか。それより、ロース追加させてもらう」
「ひでぇ! 長いから目立つって言われたから切ったのによぉ! おまえさ、客なんだから褒めろよ!」
「似合う、にあ……あ、すみません、極上ロースと厚切り牛タン追加で。ニンニクは抜きでお願いします」
得意げな男を無視して、個室に入ってくる店員を引き留めてメニューを開いて差した。
「すげぇ食うじゃんか……」
「諦めたんだよ。遠慮なく頂くことにする。ほら、はやく食べろ。おまえは客を見に来たんだろうが。こういうの、パパ活のおっさんみたいでいやなんだよ」
「……パパ活。はは、おもしれぇ」
俺はこれから仕事だっつうのに……。
ミナミは苦虫を嚙み潰したような顔をして、ぱたりとメニューを閉じた。
「あ、ニンニクはさける必要ないからな。きょうはオレが延長してミナミちゃんを独り占めすっから」
「はよ食べろ、アホが」
時間は午後六時。たくさん食べて、男の意識を逸らせたら満足して帰るだろう。
緋色に色づいた炭火が網の下から見え、ミナミは牛タンを四枚ほどトングではさむと、一気に音を鳴らして乗せた。
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