9 / 33

第八話 笑覧な冬天

「ミナミ、おはよ。なぁ、あれってホストだよな?」  入店とともに、店長の木下に呼び止められた。男は黒服に案内されてすでに席についている。左手にはチュッパチャプスがこんもりと色とりどりに盛られ、目の前には数台にわたる監視カメラが画面となって映っている。 「そうですけど……」 「おまえ、ホスト通ってた? もしかしてあいつ、担当なの? それとも引き抜きなのか?」  木下に老刑事のような目で見つめられる。さすがアルファ、長年勤めているだけあって勘が鋭い。短い時間でさり気なく客の様子を観察している。  担当を引っ張ってくる嬢はたまにいる。もちろんホストも来訪するが、大抵数回でおわる。一方的に売上げを落としていくこともなく、適当にきりをつけて帰り、かわりに仕事終わりの嬢がホストクラブへ来店してボトルを下ろしていくのがオチだ。 「違います。店長、きょう桃は?」 「ああ、休み。珍しくドタキャンだよ。多分ヒートじゃないか?」 「ヒート……」  オメガには二、三ヶ月に一度、ヒートという発情期が訪れ、(つがい)を得るためにフェロモンを発生させる。突発にヒートが訪れたりもするため、ドタキャンされても何も言えない。ちなみにアルファとベータにとって、そんなものは皆無だ。 「オメガだからしょうがないよ。その点、ベータのおまえはきっちり出勤してくれるから助かってる。ありがとうな。ただ、あのホストに食いもんにされるんじゃねぇぞ」 「そのつもりです、……いたっ」  木下は棒つきキャンディーを咥えながら、ミナミの額を指でぴんと軽くはじいた。横にはカラフルなパッケージがくしゃくしゃになって丸められている。 「高い酒を頼むだけあって助かってるけど、あまり高額な支払いにならないように気をつけろよ。下手したら、おまえが大金を払わされるハメになるんだからな。しばらく様子は見るけど、何かあれば言ってくれ」 「……わかりました」  ミナミはそれだけ口にだして、打刻表がわりにスマホを翳して出勤をオンにした。  心配してくれてるのは嬉しいが、自分だってどうしたらいいのかわからない。  同業だけあって、お返しを求められる。安易にプレゼントを貰うと客との関係だってこじらせてしまう。ボトルを入れたら、入れ返さないという罪悪感にとらわれるが、ホストの酒代はキャバなんかより数倍高くつくのだ。  ……店に行かなければいいんだよな。  店長室をあとにして、コスチュームに着替え、ハンカチとライター、ゴムと名刺が入ったポシェットを片手に客席へと向かう。  休日にわざわざ電車できて楽しむお客は少ない。日曜日のせいか、嬢も喜んで出勤するものはおらず、メンバーは限られる。一度の出勤で、指名客をバッティングしないように効率よく捌いで一気に稼いだ方がいいからだ。 ◇◇◇◇ 「つうか、ほんとに色気ねぇな」  サービスタイム十五分が始まり、男の膝上にのる。男はじっと目と鼻の先にある胸のピアスを見つめるが溜息を漏らして小声で呟いた。ちなみに四方八方でリップ音が艶かしく響いている。 「いいから、さわれ」 「いい。ミナミちゃん、酒飲みたいから隣に座って? このクリュッグめっちゃうまいよ。飲んでみ?」  男はグラスを引きよせて、シャンパンを傾ける。桜色に輝く液体が注がれると、花のような芳しい香りが鼻をついた。 「いい匂いだ」 「この酒は一本つくるのに、トータル二十年以上の時間を費やしてるんだ。めっちゃおすすめ」  一口だけ飲み込む。鼻をかすめたはずの香りが奥底から漂って、濃厚で新鮮な柑橘系の後味が舌に残る。花や果実、様々なアロマが混ざり合ってひろがり、繊細な泡と上品な余韻が伝わった。 「……ん、美味しい」 「だろ? 人気ねえけど、昔から飲んでるから好きなんだよ。ま、クリュギストつう一派もいるくらいうまいんだから、味は保証できる」  男は少年のように得意げに笑う。今日も深くニット帽をかぶったままだが、貴公子然とした風采を備えていた。昔というが、自分よりも年下なはず。未成年から飲んでいたのだろうか。 「あのさ、おまえ、本当に売れてんの? バイアスってでかい箱だろ?」 「あー、オレあんまり喋んないだわ」 「は?」 「なんつうか、オーナーにあまり喋るなって言われてる」  ミナミは頷きながら、ちらりと男をみる。 「……だろうな」  黙っていれば端正な風貌の持ち主。すっと流れる鼻梁に透き通るほど色素がうすく長い睫毛。一分の隙がないのに、口をひらけば緩んで崩れてしまう。 「そうすると、みーんな、惚れてく。アホみたいにな。仮面かぶったピエロつうの? そんなのオレじゃねぇし」 「それでも魅力的に映るんだろ。ま、おまえは喋んない方がいいのは同意する」 「ひっでぇ」  クリュッグのロゼをグラスに注ぐと、グラスの底で泡がダイヤのように煌めく。このボトルも在庫を切らして、黒服が慌てて酒屋に買いに行った。シャンパンなど注文する客はセクキャバでは数える程もいない。ちなみに店価格は十五万だった。 「それより、金、使いすぎるなよ」 「……別に使うとこねぇからいいじゃん」 「よくない。せめて、モエだけにしろ。つーか、もう来るなよ」 「はいはい。ねぇ、ウーロン茶を頼んでよ」 「わかった」  手を上げて、そばにあるメモに書いて黒服に渡す。すぐにウーロン茶が後ろでペットボトルから注がれ、そっとボードへ置かれた。 「ミナミちゃん、酒飲めないっしょ。どーぞ」 「少しは飲める。おまえ、シャンパン一本は多いからもっとよこせよ。ケチるな」 「ふえ~、ミナミちゃん、生意気。普通こういう時は、ありがとうって言わなきゃダメじゃん。言ってみ?」  確かにこのウーロン茶も一杯八百円だ。コンビニのPB商品なのに、八倍の値段に化けてでてくるので驚きだ。頭のなかで黒服が大量のペットボトルを持ってくるのが浮かんで、一応お礼を口にした。 「んん、そうだな。ありがとう」 「よしよし。いいこ~」  頭を撫でられるが、ミナミは釈然としない。  ……なんなんだ、こいつは。話したいならキャバにでも行けよ。  ここはセクキャバなのだ。触れられずに、バンバン金を使われていかれるだけで男の意図がよめない。頭にのせられた手を振り払って、ミナミは眉間に縦皺を作る。 「ふざけんな」 「ふは! 喋ると焼肉の匂いすげぇな」 「うっさいわ。サービスタイムぐらい静かにしろよ」  ムーディーな雰囲気なはずなのに、腹を抱えて笑う男に黒服の視線が突き刺さる。一応ニット帽をかぶっているが、長い躯体を動かすだけで目立ってしまう。 「わりぃ、わりぃ。つうか、きょうはあの嬢いないの?」 「休みだよ。あきらめろ」  男は一瞬、不満そうな顔をしたが、さほど気にした様子はない。 「まあ、きょうのとこは収穫なしか」 「そういうことだ、あきらめろ」 「ちっ、またこんど来るか。ミナミは土日だけなんだよな?」 「そう、だけど。他の嬢を指名して明日また来るのかよ」 「めんどくせぇから、しない。まあ、また来週はくるかも」  ミナミは腕時計に目を通すと、そろそろサービスタイムが終わる頃になって天井の照明が明るくなって、雑音が増してきた。 「おまえ、アルファだろ。はじめ俺がベータだと知って嫌がってたじゃないか」 「なに、根に持ってんの?」 「べつに。俺は女でもないし、男だ。この世界、ベータは価値が低いからな。アルファはオメガと相性がいいんだ、そっちのほういいのは知っている」  捨てられた母を見てるせいか、ミナミの顔は複雑な色を浮かべる。アルファとオメガの番契約なんて関係ない。ベータ同士ですら絆を深めていく奴すらいない。  自分がオメガになったとしても、夜で働く蝶たちのようにしなやかに生きられるとは限らない。ベータというなんとも中途半端な生き方を指摘されたようだった。 「悪かったよ。ごめん。周りがアルファとオメガしかいねぇから、ベータと聞いて驚いたんだ。気ぃ悪くして申し訳なかった」  暗闇のなか、男が深々と頭を下げる。べつにそんなつもりは無かった。バースを否定されるなんて、この街ではよくある。そしてミナミも何度もオメガへとチェンジされた。 「別に謝らなくてもいい」 「だめだ、こういうのはちゃんと筋通すのがオレの生き方だからな」  ぐっと顎を掴まれ、見上げるとアイスグリーンの瞳がしっかりとミナミを捉えて映している。深い湖畔のような静かな色が吸いついてくるようだ。 「ふっ」 「うぉ、くせぇ」 「ニンニクたっぷり食ったからな」  ミナミは息を吹きかけると、男はすぐに手を離して笑った。 「ドキッとしねぇのかよ!」 「しねーよ、アホ」  お互い笑いあって表情を崩すと、横から黒服にきっと睨まれた。その日の会計は二十万を超えた。

ともだちにシェアしよう!