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第十話 唐変木の金魚
※ユージ視点
「……あちぃな」
車窓越しに景色が飛んでいって、光の模様を華やかに描く夜の灯影が目に入ってくる。ミナミは疲れきったようにべったりとシートにもたれて、瞼を閉じて寝ていた。
頬は熱くほてり、寒気がするのか身を縮めている。ダウンジャケットを脱いで、覆うようにかぶせてやる。
一日の勤務が終わって、ほっとしたのだろう。普段は表情のない事務的な顔をしているが、きょうだけはやけに気のない態度が目立った。おまけに顔色も悪く、食欲もないのをユージは見過ごさなかった。
なんでまぁ、こんなになるまで働くんだ……?
出会ったこのベータ。源氏名はミナミ。不愛想この上なく、そっけない態度。可愛げがない物言いに、みるからに不器用。濡れたような黒髪に、海を溶かしたような瞳を光らせる。
そのくせ色気もないのに、胸にピアスをつけて、「どうも……」と口にして、膝上に跨ってきたのが最高に笑えていまだに忘れ難い。
身長は他の嬢よりすらりと高く、ほどよく筋肉もついている。それでも、グラスの水滴はマメに拭きとるし、聞き上手なのは確かだ。卓抜な語り口はないが、巧妙に相槌を打って、ついついこちらが口をひらいてしまう。
なんか、安心しちまうんだよな……。
おまけに他のオメガやアルファの客と違って、ねちねちと絡みつく執拗さもない。メールを送っても既読無視。営業メールもこないまま、同伴と称して会うと、礼儀正しさと時折りみせる笑った顔が忘れられない。
もっとみたい、とすら思ってしまう。いや、違う。そうじゃないと頭を悩まし、スキンシップを仕掛けようとすると、ミナミはすぐに警戒して厳重なガードを敷いてしまう。
いやいや、俺がハマってどうすんだ。ずっと客のままでいいのに……くそ。
仲を深めるつもりはない。どうせこの世界は向こうから離れていくか、自然と疎遠になる。いや、いつだって相手から進展させようと近づいてくる。金と身体を使って、自分をモノのようにしたがる奴らは何人もみてきた。
くそ! 本末転倒じゃねぇか……!
知り合いにオメガを探してくれと頼まれて、すでに数週間。噂が飛び交うホスラバも目を通すが、情報は乏しい。
探りを入れるように客からそれとなく聞き出して、プラチナへとたどり着いた。桃という嬢をやっと見つけ、裏をとろうとすると姿をくらませた。
客の身辺も探ったが、情報は出てこない。長谷川という客に目をつけたが、シロだった。勤務先は製造業向けのソフトウェア。開発・販売・保守など幅広い分野に向けて、パッケージ製品の取り扱いを行う優良企業の経営者だった。
そして昨日、ホスラバに一件だけ気になる書き込みが上がってきた。
『プラチナの子すげぇよかった。三人で相手したけどやっぱヒート最高』
なんとも嘘くさい書き出しだった。いい加減な情報なのか、まことしやかに流れてすぐに消された。
それでも心配になって、ミナミに連絡すると不機嫌な声で電話に応じて、ほっとしたのを覚えている。
……そもそも、ミナミはベータだ。発情期 なんてないし、惹きつけるフェロモンすら持ち合わせていない。
タクシーに揺られながら、窓に視線を向けると、街灯が流れるように伸びては闇に溶けて消えていく。ミナミの身体がぐらついて、ユージに寄りかかった。服ごしから触れている部分は焼けるように熱い。
こいつ、明日も仕事する気か……?
弟の入院費にどれだけ稼ぎたいのだろう。服も、財布も身に着けているものは全て風采が上がらない。
見るからに夜に染まっていない、染まりきれてない姿が歯痒い。
それでも傍にいるだけで、ありのままでいられるラクさが抜けられない。
……こいつのなにがそうさせる?
悶々とした感情が錯綜して首を捻ると、車がきっとブレーキ音をだして止まった。
「お客さん、着きましたよ」
「ああ、会計ならこれで。ミナミ、着いたぞ」
スマホを翳して、支払いを済ませる。ミナミを揺さぶるとぴくぴくと瞼が震えた。
「……寝てた。ごめん」
ミナミはぼんやりとした顔つきで身を起こし、うつろな目を宙に泳がせた。
「いい、オレが払った。降りるぞ」
「うん。あり、がと……」
ミナミはふらつきながら、開いたドアからタクシーを降りた。心配になって、ユージも追いかけるように後に従う。
「部屋までついてってやるよ」
「……いい」
「いいから、ほら! 肩かせ!」
ミナミの肩を支えていると、みるみるうちにタクシーが視界の彼方に消えていく。どうやら、目の前にあるアパートがミナミの家のようだ。
「……っ!」
「確か一階だったな。ほら、部屋どこだ?」
「これ」
一階の左に足をむけて部屋の前にたつ。ものすごい古い。鉄は表面が腐食して、ぼろぼろに赤錆 がついた建物。洗濯機は外付けされて、蛍光灯は青白い光をチカチカと放っている。ミナミはバックをまさぐって鍵を差し込んで回した。細くひらいた扉の向こうには侘しさよりも、整然とした冷たい部屋があった。
「マジかよ……」
ユージは目を見開いた。
布団が片隅に畳まれ、隣に郵送したであろう段ボールが開かれずに置いてある。貧しいという言葉を超えて、あまりにも貧相な暮らしぶりに絶句した。
「……りがと」
ミナミはふらふらと靴を脱いで、部屋へ上がり、蒲団を敷いて、そのうえに倒れ込んだ。ユージはその場に立ちつくし、部屋を見回してはっとした。ストーブやエアコンがない。まさか、ずっとこの寒い部屋で暮らしていたのか?
「寝るな! ミナミ! つうか、暖房すらねぇじゃんかよ! ありえねぇ! は? なんだよこの紙? 立ち退き?」
ミナミに視線を投げると、すでに毛布も掛けずに眠りこけている。ぜいぜいと喉を鳴らし、目を覚ます気配がない。さすがに、このまま見捨ててほっとくわけにはいかない。さらに布団横のちゃぶ台にひらかれた紙に並ぶ「立ち退きのお願い」の文字が視界にはいる。
「あーしょうがねぇなぁ……!」
ユージはイラついて、スマホを取り出して発信音を鳴らした。
「ああ、オレ。わりぃ、ちょっと頼みたいことあんだけど……」
◇◇◇
寝ているミナミを抱えて、ユージは自宅であるマンションに連れて帰った。ここは自分と家族以外は足を踏み入れたことはない。大使館エリアに多く点在するホーマットマンション。都心に住む外資系企業のエグゼクティブや外交官のために建設され、アクセスの良い好立地に悠然と佇んでいる穴場ともいえる場所だった。
「……大宮君じゃないかな」
「あ?」
「いや、患者さんの保護者だよ。若いのにご両親が亡くなって、たまに病院でみかけるんだ」
電話で呼んだのは長男の一久 だった。十二歳離れており、総合病院の心臓血管外科医をしている。歳が離れているせいか、ユージに甘く、電話するとすぐに飛んでやって来る。九つ上の姉は我が強く、絶対に電話などでない。二人とも非常に優秀で、才能に秀でており、アルファというバースと美しい容貌を備えていた。
父親はさまざまな企業で責任者の地位を務めたあと、現在は一人でスペインに隠居している。姉の美代 も海外で有名モデルとして名を轟かせている。
三人の母親は同じで、ロシア人の線の細く優艶な美しさをもつオメガだった。元々身体が弱かったのもあり、ユージを生んでからまもなくして亡くなった。
そのせいか、兄姉二人の溺愛ぶりは半端ない。子供の頃は天使のように可愛かったユージを一久は色んな場所へ連れまわし、姉の美代も着せ替え人形のように色とりどりの服を着せて遊んだ。忙しい父にかわって豊かな愛情を枯らすことなく育てられ、甘やかされて育った。
「で、風邪か?」
「ああ、過労に伴う風邪じゃないかな。一応、薬を置いておくからゆっくり休ませてあげて。えっと、その、ミナミくんとは友達なのかい?」
「……そうだよ。たまたま知り合った。悪かったな、夜遅くに」
まさか客と嬢の関係とは言いだせない。それにミナミがホストに来るようには見えない。一久は銀縁の眼鏡を直して、顔を綻ばせる。
「……いいんだ。せっかくの弟の頼みだからね」
「姉貴に言ったら、またホストやめろって言われるだろ? ちゃんと大学生もしてるんだからほっといてくれっつうの」
現在は出席しなくともリモートで対応する大学が殆どで、つねに課題は提出している。つい出来心でホストを始めたら雑誌に顔が出てしまい、それがきっかけで滅茶苦茶怒られてしまった。
「まぁ、変なことに足を突っ込むなってことだよ。美代もああみえて、心配しているんだ」
「そうか? いっつもお小言で耳にタコできそうだけどな」
「まぁまぁ。それはそうと、あんまり大宮くんにも無理させないでくれよ。その子、君より数倍は苦労してるからね」
じゃあ、僕はこれで帰るよと言い残して、一久はそそくさと帰って行った。
……苦労ね。相変わらず、貧乏くせえだけだけど。
地味な顔立ちで、体だって筋肉質で男らしい。もうちょっと、笑った顔をみせてもいいはずだ。
バカか。おっさんみてぇじゃねぇか。
いままで何本もボトルを下ろした客との間に一線は引いている。どんなブランドものを貢いでもらおうが、さほど嬉しくはなかった。それよりも自分の為に使えよと言ってしまう。だが、いまはその客の気持ちも理解できそうだ。
寝室に顔をだすと、額にうっすらと汗をかいたミナミがいた。眉を寄せて、うなされている。熱冷ましシートを取り替えてやると気持ち良さそうな顔に戻った。
ユージの部屋はミッドセンチュリーの家具がフィットしたモダンな空間にリノベーションを施している。寝室はベージュ系のタイルで爽やかに纏められ、ベッド側の壁には大理石のトラバーチンを貼って、明かりが灯る。
広いベッドに腰をおろして、淡い色に照らされたミナミの顔を見下ろした。ふと、初めて自分のベッドの上に他人が寝ていることに気づく。
「……テ」
「て? どうした? 手を繋ぎたいのか?」
冗談交じりに言ったつもりが、瞼を閉じたまま、こくんと素直に頷かれるので拍子抜けしてしまう。
「ん」
「しょうがねぇな……」
手のひらをつかんでやると、ミナミはふにゃっと笑った。見せたことがない柔らかな笑顔にドキっと胸が高鳴った。
「ひな……」
誰かの名前だろうか。その言葉になぜか、ツキンと胸に棘がささったような痛みが走る。
ミナミの手を離すこともできずに、高鳴る心臓を落ち着かせるがどくどくと鳴動が続く。相手はおとこだ。しかも地味で堅物の仏頂面。セクキャバで働いている。色々と思いを巡らせて、はっとあの布地が少ない衣装が瞼に浮かんだ。
初めてみせる無防備な表情。ミナミに何十万も支払っているのに、一度も向けられなかった顔だった。知らずに、唇をきつく噛んでしまう自分がいた。
ユージはむしゃくしゃして、手を離した。そして、サイドボードにあった薬とペットボトルをとって、呷 るようなしぐさで口に含む。抱きかかえるようにミナミの身体を起して、深く口づけて移した。
「……んッ、ぁ」
……ミナミのくせに、女の名前なんてしゃべりやがって。
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