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第十二話 蜜月と目くじら
「もういい。十分だ」
「だめだ、ミナミ。こっちも着ろ」
ぐったりと肩を落とすミナミに、ユージはご機嫌な声で太い編地のケーブルニットを体にあてた。
天井にはサペリマホガニーの板目が使われ、床は天然石が敷かれた広々としたリビング。デッキブーツ、デザートブーツ、ビットローファー、以前購入したものとは違うテイストの靴が何点も所狭しと並んでいる。
数日前にユージは蓑虫のような服を処分してしまい、怒り狂うミナミの為に百貨店へ電話して外商担当者へ繋いでもらった。四十代後半の担当者に服から鍋、食器などあらゆるものの手配を頼んだのだ。持ち込まれた服をしげしげと目をやり、布地の肌触り、素材、サイズ、ブランドの新作はないかと事細かに似たような質問を繰り返し、その横でミナミはうんざりした表情で声にならない溜息をついていた。
「トップス、ボトムス、肌着、ナイトウエア、生活必需品などすべて揃えておきました。他にもパンフレットをご用意させて頂きましたので、ぜひご覧ください」
そう言い残し、頭が膝までくるほどの丁寧なおじぎをして担当者は立ち去った。窓に目を向けると、気がつかないうちに、夕方の空と宵闇が混じる時刻になっていた。ユージは豪華な装丁のパンフレットを手にすると、疲れきって崩れるようにソファーに座る。
「あ~疲れた」
「……なんで全部新品にすんだよ」
「茶碗は欠けているし、どれも買い替え時期なんだよ。あ、そうだ。次はスーツだ。せめて一着ぐらいは持っておけよ」
「仕事は作業着だし、スーツなんて必要ない」
「ミナミぃ、おまえ、まだ二十二だぜ? スーツなんてどんな場所でも入り用なんだ、持っておけって」
幼少からスーツを仕立て、「スーツの着方」というセオリーを学んで身につけてきたユージにとって、それは見過ごせない重大事だ。ありえない、といった視線を注ぐとミナミはつんとそっぽを向いた。
「……父親みたいなこと言うな」
「はいはい。とりあえず銀座に行きつけの店があるからサイズを測って、フィッティングするぞ」
自分のスーツはテイラーがいる、三世代前から世話になっている店ですべて仕立てている。
百貨店は店員のフィッティングの技量にばらつきがあり、当たり外れが大きい。そのせいか、ある程度生地やディテールを要求できる馴染みの店の方にどうしても足が向いてしまう。
体のサイズにフィットしたものを身につける。幼い頃から、そう教えられたユージにとって、ミナミの不格好さは手を加えたくなってしまう衝動に駆り立てられた。
ユージはぱらぱらと紙をめくって、師走が近いせいかお歳暮やおせちなどの特集にも目を通した。その横でミナミは眉を八の字にして顔をしかめる。
「話をきけよ……」
「ま、イージーオーダーか、フルオーダーで作って貰えばいいさ。でも買うとしたら、もう少し先がいいな……」
頭の中は服のことで夢中だった。
姉の影響で服については人一倍詳しい。幼い頃の着せ替えのトラウマがあったが、瘡蓋のようにこびりついていたのにポロポロと剥がれていくようだった。あれほど嫌だったのに、ミナミと出会ってからその楽しさを思い知ったせいだ。ましてや、人のスーツを仕立てるなんてこの上ない楽しみでしかない。
もう少しで十二月。基本的にセミオーダーを作りたい場合、「二月」か「八月」頃がよい。この時期は「春夏用」か「秋冬用」の新しい生地が入荷し、季節に合った商品の数が増える。スーツは流行に左右されにくいが、上質な生地が入荷するチャンスを逃すと品薄となり、出がらし的なものしか残っていない。
「もういい。飯にするぞ」
「ミナミさ、どっか食いに行く? さすがに疲れただろ?」
「俺が作るからいい。なにか食べたいものあるなら言ってくれ。簡単なものにしようと思ってる」
ミナミはむすっと無骨な顔でユージに視線を送った。それでも顔には疲れが滲みでている。
「デリバリーとか頼むぜ? おまえ横で寝ていたらどうだ? まだ病み上がりだろ?」
「いらない。これも仕事だから、心配しないで欲しい」
ミナミは首を横に振って立ち上がるとキッチンへ向かい、冷蔵庫から人参を取り出して皮をむき始めた。
かくしてミナミとの同居が幕をひらいたが、ちっとも仲は縮まらない
あの日、アイスと総菜を買って帰宅すると、薬が効いたのかミナミはぐっすりと眠っていた。寝顔は朝の剣幕が嘘のように解かれ、すやすやと寝息をたてて気持ちよさそうだった。
だが仕事から帰宅すると、ミナミはソファーへ移動して寝ていた。スプリングが歪むのでベッドで寝ろというと喧嘩してしまう始末だった。
それでも出ていかないのは、不動産会社からの連絡だ。自分の部屋以外はすでに退去をしているらしく、どうするか決めて欲しいと打診が来たのが大きかったようだ。
だからか、朝早く起きて、ミナミは弁当を作って、仕事に出向くと午後十時頃に帰宅してくる。
毎日せっせと食料品を重たそうに運んでくるのをみて、健司に訊いてペルシステムという宅配サービスを教えてもらった。有機野菜と質のよい食べ物をアプリで注文し、マンション前までボックスで届けてくれるらしい。ユージが昼間に届いたボックスを部屋のなかへ運んで、帰宅したミナミが商品を嬉しそうにチェックするというルーチンが生まれ、すぐに契約した。
「……あのさ、携帯まで買うなよ」
「スマホだろ? 夜の仕事をやるなら二台持てよ。客とプライベートは分けるべきだ」
「そんなに多くないし、おまえも客なんだけど。……なんで、弟と一緒で別なんだよ」
ユージは腰を上げて味見しようと、ミナミの背後に立った。包丁を片手にきのこを切り刻んでいる様子がミナミのうなじから見える。
「椎茸、抜いとけよな」
そう口にすると、ミナミは不満そうな顔をしてわざと細かく刻もうと刃を立てた。
「アレルギーじゃないんだ。食べろ」
「ひっでぇ」
朝早くに起きて朝食と昼食である弁当をつくってもらっている。ユージはついつい起きては、不機嫌そうなミナミにちょっかいをかけてしまうし、そばで淡々と材料が料理されていく様をみるのは楽しい。
「で、なに作ってんの?」
馴れ馴れしく背後から抱きついて、横にあるウインナーを口に放り込んだ。オメガならここで発情してしまうのだろうとなんとなしに思ったが、ミナミは平然と言葉を返す。
「焼きそばだよ。あっ! こら、勝手に食べるな。あと抱きつくな。近い」
「なんだよ、キスした仲じゃねぇか」
「おまえがしろっていったんだろ」
「じゃあ、もう一度言ったらまたしてくれんの?」
睨んでくる顔に、さりげなく唇を合わせようとすると包丁を向けられた。切れ味抜群のこの包丁も百貨店で購入したものだ。木目状の模様がついたダマスカス包丁というらしいが、普段料理をしないユージはされるがまま購入した。
「あのなぁ、おまえ、自分に惚れるなっていってわざとそういうことしてくんなよ」
「わざとじゃねぇし」
「わざとだろ。朝だって抱き枕みたいに抱きついてくるし、暑くるしいからやめろよ。迷惑だ」
小気味よい音を立てて目玉焼きとウィンナー、そのとなりで焼きそばの麺を炒めている。後ろでは電気鍋で温めているミネストローネの芳ばしい香りが匂い立つ。
「ひでぇな。せっかく一緒に住んでるんだから、仲良くしようとしてんじゃん」
「これ以上距離を縮めるつもりはない。あと来週の夜は仕事で遅くなる」
「はああ? なんでだよ!? 平日は夜の仕事なんてないだろ!」
「なんでって、客だよ。出張から帰ってきたから会いたいんだと」
ちょうどその時だ。隣でスマホが振動して、客から『こんばんは』とポップアップがみえた。ミナミは火を止めて、『こんばんは。来週楽しみにしてます。仕事無理しないでくださいね』と丁寧に絵文字もつけて返信している。なぜがむかむかと苛立ちに似た思いが腹の底から渦を巻いた感じがした。
「はぁあ!? オレのメール返信しねぇくせに! え、なんだよ、めっちゃ書いてんじゃん!」
「仕事だからな」
「オレの方が金を払ってるわ! なんだよ、ソレ。ミナミ、メールは三行以上返信。絵文字もつけろよ! あと仕事終わったら電話しろ」
「はぁ? ふざけんな」
ミナミはフライパンに麺をひろげて、へらで押さえながらこんがり焼きつける。
「じゃあ五千プラスする」
「なんでも金で釣ろうとすんな!」
声を尖らせながら、ミナミはコンロに手を伸ばす。炒めた野菜を戻し入れ、さらに火力を強めて音を立てながらほぐして絡めていく。
「ミナミ、その、タイプってどんな奴?」
「は?」
「好きなタイプだよ」
「本当、おまえうるさいな……。タイプなんて、色々あるだろ。小さくて、大人しくて……」
その言葉に『ひな』という文字が目に浮かんだ。柔らかな表情で微笑んでくれたのはあれっきりだ。ユージは首を横に振ってミナミの言葉を遮った。
「ちがう、男だ」
「男? 男なんて付き合ったことない」
ミナミは振り向かずにのフライパンを器用に揺すって具と麺を混ぜた。
「じゃあ好きな客のタイプでいい」
「カネ払いがいい奴。あとうるさくない」
「オレじゃん」
「おまえは論外だ。断じてない」
液体ソースを食材に垂らし、菜箸で手際よく混ぜ合わせていく。ジュウジュウと美味しそうな音がふたりの耳朶 を撫でた。
「なんだよそれ! 他に好みないのかよ!」
「強いていえば、真面目な奴。……そうだな、たまにバッティングで見かけるおまえと同じ歳の男がいたな。話したことないけど、ああいう堅実そうな性格が好みだ」
堅実というワードに後輩である健司が頭の片隅に浮かんでしまう。あいつも野球をしていたので、嫌な予感が脳裏をよぎる。
「……ミナミ、バッティングしばらく禁止な」
「ふざけんな。なんでおまえに禁止されなくちゃいけないんだよ」
「医者もちゃんと睡眠とれって言ってただろ? 店が終わったら直行しろよ。嫌ならペルシステムやめるからな」
「……っ、わかったよ」
ミナミは舌打ちをして、炒めた焼きそばを平皿に盛りつけた。ユージはミナミの腰に手を回し、その様子を後ろから嬉しそうに眺めた。焦げたソースが食欲をそそり、腹の音が鳴ってしまう。
「離れろ、クソホスト」
「いっだ! つねんなよ!」
ひりついた手の甲の痛みに、思わず口の端を上に曲げてしまう自分にユージは気づいていなかった。
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