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第十三話 初恋からの忍び逢い
「ユージさん、それって恋じゃないですか」
「コイ? は?」
「だって、好きみたいに聞こえますよ? 好きでしょ? ……って、そんなわけないか」
ユージの割り箸からちぢれ麺がつるりと滑り落ちた。健司は透き通って金色に澄んだスープをレンゲですくうと無邪気な溜息をもらす。夕方から出勤予定だった健司は休みをとっていたユージにばったりと出くわし、二人は来々軒で遅めの夕食を済ましていた。
「好き? は? オレが? なんで?」
「冗談ですって。その、ミナミさんでしたっけ? ずっと話していますけどよっぽど気に入ってるんですね」
そりゃそうだ。健司と会ってからユージはとりとめないことを次から次へと話すが、内容の殆どがミナミだった。
料理はそこそこ美味しいし、昼の弁当も色とりどり鮮やかで見るからにうまそうな仕上がりだとか。野菜を細かく刻んで混ぜるのは腹立つが、隙間なくぎっしりと好物を詰めてくれるとか。なんにせよ、包丁を握って、とんとんと鳴る後ろ姿はどことなく初々しい感情が溢れる。とか。
さらに三万もするスウェットを伸ばして、曲げた膝にすっぽりと包んで丸くなってテレビを見ている……とか。ラーメンの注文を待っている合間も、ミナミのどうでもよい日常をユージは絶え間なく語っていた。
ちなみについさっき、ミナミの寝顔が涎を垂らさんばかりの間抜けもので、面白すぎて撮ったという連写写真も健司に見せつけている。
「なにいってんだよ、ミナミがヘンだからだろ」
「……変というか。……あの、これから、お店に行くんですか?」
「ばっか、おまえの為に行くんだろ! それにきょうはコスプレイベントだから出勤して来るかもしんねぇじゃん、おまえの幼馴染が!」
「……あいつのことは、もういいです。これ以上迷惑かけたくないし、多分、来ませんよ。先輩、どうせミナミさんに会いたいだけじゃないんですか?」
「ちげぇし」
ユージはむすっと睨んだかと思うと、聞こえないふりをして目線をそらした。
「ほら、すぐムキになるじゃないですか」
「うるせぇ」
「あ、そういえば長谷川という客、気をつけてくださいね。やっぱり相当怪しいそうで、裏でも繋がっているとか噂で聞きました」
「……オメガ狂いなんだろ、気をつけるよ」
そうは言ったものの、男とは接点はない。それよりも気になるのはミナミだ。
めっきり冷え込んだ朝に白のTシャツを貸してくれと言うので、事情を聞くとクリスマス前の呼込みでコスプレデーらしい。
『は? なんでシャツなんだよ?』と口をひらくと『彼シャツ』らしい。どうして自分のシャツを着ていって、他の奴とイチャつかれなければいけないんだよと思ったが、『大きさが丁度よくて、一番安上がりだから』という理由のようだ。シャツは二万もする代物だったが、ユージは渋々承知した。それ以上言い返してしまうと、また喧嘩になるのは目に見えている。
「しかし、ユージさん、黙ってたらモテるのに色々残念ですよね」
「はぁああああ? なんでお前にそんなこと言われなきゃなんねーんだよ!」
「だって、さっきも電話して、メールもそわそわしてたじゃないですか。まぁ、いつもマメだなって思ってますけど、ちょっと固執しすぎじゃないですか?」
固執というより、健司は妄執のとりこのようなものを感じてしまっていた。しかしながら、そんなことをプライドの高いユージにうかつに喋るわけにもいかず、さすがに人の恋路を邪魔してはいけない。
「べつに、他の客にも連絡してるからそんなことねえし……」
ミナミが寝ているときに客へ電話をしているし、昼にもメールを返信している。逆にミナミからはレシピのコピペとグッジョブマークしか送られてこない。全然かわいくない。癪に障るので仕事前に電話するが、相変わらず不機嫌な声で会話を短く交わして終わってしまう。
「ちゃんと仕事しているのはいいことだと思いますけど、あまり店にいくと足元すくわれますよ?」
「すくわれねぇよ」
「目立ってなんぼですけど、ユージさんは黙っててもそうなんですから。自覚してくださいね」
「へいへい」
母親の小言のように喋る健司を無視して、ユージは残った麺をすすり、咀嚼して飲み込んだ。店内には仕事を終えたサラリーマンらしき男がビール片手に餃子を食べている。行きつけの店をやめて、ミナミがうまそうに舌鼓を鳴らしているのを思い出し、健司にこの店にしようぜというと驚いた顔をされた。
そのとき、理由もなく来々軒を知っていた健司に、腹が減っていたせいなのか、キリキリするような感覚が胃のなかで渦巻いたのを覚えている。
「でも、そこまで執着をみせるって珍しいです。大学や店でもそんな顔みたことないですもん。なんだか初恋みたいですね」
「ハツコイ?」
その言葉にユージははたと箸の動きを止めた。健司はその様子にもしやと思って視線を上げる。
「……あの、ユージさん、付き合ったことは……?」
「ない」
一人もいない。
寄ってくる奴は男女関係なく数えきれないほどいた。だが付き合ったものなど誰一人いない。その原因は完璧すぎる兄と姉が協定を結んで、無垢で天使のような弟を人知れず鉄壁の如く守り抜いたせいでもある。
「つまり、ど……」
「そうだよ、童貞だよ。悪いか?」
ドヤァという顔でユージは健司にいたずらっ子のような目つきで笑顔をみせた。
白練 した美しいシルクのような髪が蛍光灯の光に反射して、清潔感の高い品性を漂わせるが、残念なことに中身は成熟しきれない子供だった。
「……」
「そういうのは本当に好きな奴とヤるもんだろ? まぁ、俺が惚れたら、相手も好きになるだろうし。だったら、じっくりお互いを知ってからするって昔から決めてんだよ」
「はぁ……。あの、あまり拗らせないでくださいね」
健司は呆れたように深々と溜息をついた。
「なんだよ、こじらせるって」
「例えばですよ? 好きな人が他の奴に触られてるって知ったらユージさんショック受けませんか?」
「普通に嫌だろ。助ければいいんじゃね? アホか、おまえは」
首を傾げてジョッキに注がれた生ビールを一気に飲み干した。健司が言わんとすることが分からず、いまいちピンとこないユージだった。
◇◇
……オレがあいつをスキ? ありえないだろ。
健司と別れてから、魂が抜けたようなおぼつかない足取りで、プラチナにようやく行き着く。
時間はすでに二十時過ぎだ。扉をあけて、ミナミを指名した。他の嬢はつけなくてもいいと伝えると黒服はスーツについたマイクに声をあて、しばらくしてから「かしこまりました」と小さく呟いた。キャストがどのテーブルにつくべきかを判断し的確に指示する付け回しというものがある。主に黒服がしていることが多いが、小さな箱のプラチナは店長がやっているようにみえた。
いつも暇な土日とは違って、平日の火曜は混み合って、華やかな雰囲気がみなぎっていた。
狭い店内に通され、ユージは一番後ろのブースに腰掛ける。飲み物はシャンパンであるモエのピンクにした。明日も仕事だというのにミナミは客の為に出勤してきょうは遅い。平日はすれ違い生活で顔を合わすことは少ないが、帰宅すると起きて待っていたりしてくれ、そこも好感が持てた。それに同伴から退勤まで終始一緒にいたので、他の客の存在をすっかり忘れてしまっていた。
同伴が初めてって言っていたくせに、ミナミの奴、客と楽しそうにメールしやがって。オレには感情もこもらない文面を送りつけて、電話もすぐに切るくせに……。なんか、むかつく。
とは言ったものの、健司の「好きでしょ」という言葉が頭から離れない。
ハツコイ? んなわけあるかよ……。
相手はベータ。しかも色気なんてない、おとこだ。確かに朝起きてちょっかいをかけているが、いつまでも仲良くしようとしないミナミをからかっているだけ。
それに素の自分をさらけ出しているので気がラクだし、怒りながらも話相手として丁度よい。長いデリバリー生活の影響で、ミナミの手料理を心待ちにしているが惚れているなんていうことは、どうも腑に落ちないしありえない。
……ミナミだぜ? ないないないない。絶対にない。
ああでもない、こうでもないと頭を悩ませているとサービスタイムの音楽へとかわり、照明が落とされた。ユージはイラつきながら、ほのかに色づいた淡い紅色が浮かんだシャンパングラスを口に運ぶ。
顔は見えないが、湿っぽく甘美さをもつ音が店内から響いてくる。ミナミが他の男とキスしている。しかも熱気に混じって吐息までもが絡みついてくるような空気に嫌気がさした。
ユージはさらに酒を手酌でついで、喉に流し込んだ。オメガだとしても、男に欲情なんてするか。しかもミナミのようなどこにでもいそうな奴に興奮をかき立てるなんて想像できない。
……あいつ、客なんて相手できんのか?
どこにいるんだろうと思った瞬間、聞き覚えのある声が耳元に迫った。
「……ん、小林さん、久しぶりですね」
「うん、ずっと会いたかった。ミナミちゃんはやっぱり落ち着くなぁ」
ちゅっと濡れた音が暗闇に吸い込まれ、おもわず持っていたグラスがとまり、床へ落としそうになった。ミナミだ。一枚の板を挟んで、ミナミが客と絡んでいる。
「ぁ……んっ」
切ない息づかいと苦しげでか細い声がユージの耳に反響した。いつも背を向けて寝ているミナミの声が、艶のある声になってひずんで聞こえる。
……うそだろ。
ユージは頭が真っ白になった。ぶんぶんと首を横にふり、慌ててぐいとグラスをあおる。ベリー系の華やかな香りが舌に溶けて、酔いが体へ染みていく。信じたくない。いや、でもこれがミナミの仕事だ。客の相手をしているだけだ。
それなのにバクバクと心臓が痛くて、かっと恥ずかしさで顔が火照る。聞きたくないと思いつつ、気になって聞き耳を立ててしまう。
口をぽかんとあけて目の前を眺めている自分にはっとして、ユージはグラスに薄桃色の液体を注いでさらにぐびぐびと飲んだ。甘味がない炭酸が喉を刺激して、アルコールが体内に行き渡るが、全くもってすっきりしない。
落ち着け、とりあえず飲もう。
ボトルを手にして杯を重ねたが、結局、サービスタイムが終わる頃には瓶の半分を一人で空けてしまった。
気づくと、ミナミがうざったそうな顔をして隣についていた。朝、手にしていた白シャツをすっぽりと着こんで嫌そうな表情をしている。
「なんできたんだ。もうくるなって言っただろう」
「……べつにおまえに会いに来たわけじゃねぇよ」
「桃なら辞めたよ」
「は?」
「きょうはすぐ帰れ。おまえは目立つ」
いつの間にか次のサービスタイムになり、薄暗く照明がぼやける。キラリと胸のピアスが白いシャツからみえて、むらむらとした劣情が刺激される。
膝にのることなく、ミナミは飲みかけのグラスに口をつけて、つまらなさそうに嘆息をついた。
「たっく、急に来るなよ」
「……だって」
「だってってなんだよ……、子供かよ」
ミナミがくすりと笑った気がした。さっきまでの艶っぽい色気は吹き飛んでいるのに、どうしてかユージの胸は熱湯のようにぐらぐらと熱い。
XLのシャツをすっぽりとかぶったミナミが膝をだして、濡れた唇が艶やかに光る。また一口グラスを傾けて喉をごくんと鳴らした。胸の高鳴りが地響きのように揺れて、ユージの酔いは膨れ上がった。
「ボトル全然ないじゃん。飲み過ぎなんじゃないか?」
……キス、してぇ。
ミナミがグラスを置いて笑みを浮かべた。ユージは腕を伸ばして、ミナミの手首を痺れるほどの力で掴んで引き寄せる。唐突に唇を合わせ、柔らかな舌を求めた。
「……」
「え、あっ、……ん……」
唇をはなすと、ミナミは反発したように体を離そうとするが、サービスタイムだと気づいたのかピタリと動きを止めた。ぼんやりとした意識のまま、ユージはミナミの服のなかへ手を忍びこませる。肌に触れると、冷たさに全身が跳ね上がった。
もっと、欲しい。
ふわふわとした浮遊感が心地よい。ひくひくと動く舌を絡ませ、乳首を触ろうとするが、突起が見当たらない。
「……ねえな」
「ばっ、おま」
胸から下方へと指先をずらすと僅かな硬さを感じ、びくりと熱を帯びた身体が震えた。
激情が胸につき上げて、夢中になって熱に浮かされる。初めて店でキスして触れているせいだ。逃げる腰を壁に抑え込みながら、くすぶっている昂ぶりに触れた。ミナミの潤んだ瞳がぼんやりとした視界にはいる。
「かわ……」
「は?」
「……皮あるな」
ユージは肩を噛みつかれた。
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