17 / 33

第十六話 雅やかな夜は沈んでいく ※

 ナンデコウナッタ……? 「んっ……」  空気が熱い水飴のようにねっとりと肌へねばりつき、ぬるついた感触が腹から伝わる。汗でしっとりと肌は湿りを帯びて、顔はぐしょぐしょに濡れ、気づくとオレンジ色に映る光と影が水のように揺れてみえた。  イタイ。いたい……。  腹から灼熱した痛みが背筋を貫いた。そして、太い釘を刺したような鈍痛が強弱をつけて、全身を亀裂のように走り抜けていく。  ナンダコレ……。俺、ナニシテ……。 「……きだ」 「……?」  途切れ途切れに耳もとへ甘美さを持つ声が夢現(ゆめうつつ)に飛び込んでくる。振り返ると秘白色を宿した瞳から、すがるような眼差しでみつめられていた。 「ミナミ、好きだ」 「……っぁ、なんで……」  微熱をはらんだ甘い声が咽喉からこぼれ、それが頭の奥に染みるように響いた。ミナミはくしゃくしゃにめくり上がるシーツを爪の先が食い込むほどきつく握る。  なんで、こうなった……。  (たくま)しい体に組み敷かれ、尻をつかまれて、ものを押し潰すようになにかで抽挿を繰り返されている。身体中の体液が波立つように気持ち悪い。だが、痛みの隙間から生温かい性感が分泌物のように滲みでて、喜悦の情に体が小刻みに震えていた。  淡い陽炎のような色が瞼のうらで燃えていく。ミナミは先ほどまであった記憶の輪郭をおぼろげに照らし出そうとした。   ◆  確か、あのあと満面に喜色を浮かべる男と夕食を済ませ、酒を飲み交わしながら映画を観たはずだった。どの映画もオメガがこの世の悲哀を一身にかぶったもので、美しいアルファが心魂を徹して救いの手を差し伸べるような内容だった。  ミナミにとって身の置きどころのない退屈な時間となり、辟易とした視線をぼんやりと宙に漂わせた。  容姿が美しいアルファやオメガは芸術面でも才能を発揮して、有名ミュージシャンや大物俳優の座をがっちりと固めて社会的地位を高めている。ベータはそれを支えるべく引き立て役や裏方へまわることが多い。  大半、ベータが登場する映画なんて、アクションシーンですぐに撃たれて死んでしまうか、敵役のイメージを負わされ、あくどい手を使って主人公へ罠を仕掛ける嫌な奴しかいない。  自分が主人公になることなどはなく、縁の下の力持ちに徹していろというメッセージを見せつけられている気分だった。  ……スクリーンを出ても、どこでも同じだな。  好一対をなすふたつの性が、同性婚を楽々と生み出し、その恩恵にあやかるカップルは多数存在する。所詮、大多数を占めるベータですら、ふたりの共存したいびつな関係が生じる産物を消費していくだけに過ぎない。  そんな皮肉めいたことを考えながら、横でずびずびとティッシュで鼻をかむ男をちらりとみた。  顔は完璧なほどに整っている。でも好みでもない。輝かしい美貌の家族がいて、さらにアルファというバースが敷かれると、否応なしに一線を引きたくなる。つき合っているといっても、客との延長上でしかない。そう自分に言い聞かせている。  そうでなければ、弟がいま病室で一人伏せているのに、こんな上等な酒や食べ物を口にしていいはずがない。  ……いつまでも金をもらっているわけにはいかないし、こいつとも年が明けたらおわりにしないと。  ちょっとはやいが、日向には人気のゲーム機を派手にラッピングしたものを渡した。喜んでくれたが、顔色は悪くて起き上がるのもやっとだった。それでも一生懸命病気と戦おうとするが、臥せりがちの日々が続いている。 『兄ちゃん、ありがとう』  くしゃっと顔を崩して笑う表情ですら痛々しく、視線をそらしてしまいそうになるほどやせ細ってしまった。祈るような気持ちでドナーを待つが、期待するだけ無駄なのは知っている。はやく折り紙付きの名医のところへ連れていきたい。海外で早急に手術にかからせたいが、すべて自費で負担しなければならない。わかっているが、金がどうしても必要になる。  ……貯金はすでに底をついた。どうしよう。  くそ! 最悪、プラチナを辞めてソープで働くしかないのか?  ソープは本番ありだ。男となんてやったことがない。でも弟のためだ。だがそんなところで働く自分を想像して、あまりにも現実離れした荒唐無稽なはなしに笑いそうになる。なにもかも投げ打ったつもりだったが、まだ足りない。家族というしがらみが鎖のようにみえて考えるのをやめた。ふと、美代から手渡されたセピア色に変色した写真が頭に浮かぶ。 「……おまえ、妹っていたか?」 「はぁ? いねぇし、なんだよ、急に」 「……そう」 「どうした? なぁ、泣けるよな、この映画。オレなんど観てもやべぇ」  男は真っ直ぐに伸びた鼻梁をつまんで、大きな音を鳴らして、なおも鼻をかんでいる。目の前では運命の番同士が波乱のすえ、再会して結ばれるシーンで終幕を迎えていた。アルファには元からベータの恋人がいたが、期せずして出会ってしまった運命の番を選んだものだった。長年連れ添ったベータを古草履のように棄て去り、アルファはひたむきな愛を心から誓っていた。  ……馬鹿馬鹿しい。俺にとって、嫌みともとられない内容だ。  視線を移すとホールケーキが半分食べかけで残され、シャンパングラスが泡を浮かせて二つ並んでいる。クリスマスにホールケーキなんて、何年ぶりだろうか。母親が亡くなって、いつも病室でカットされたコンビニのパサついたスポンジをむしゃむしゃと馬みたいに食べていた。  ……こんな光景、日向が見れば目を輝かせて喜びそうだな。  マンションの窓へ目を向けると、夥しい数の光を浮かべた街と家々が宵闇のなかに薄暗く沈んでみえた。『兄ちゃん、すごいな!』と小躍りせんばかりに嬉しそうな姿を想像してしまい、ミナミはくすりと笑ってしまった。 「……ふっ」 「あ、ガキぽいって思ったろ」 「そうだな」  男はもじもじと近づいて、指先を不器用に動かすと唇と唇を触れ合わせた。 「……オトナだからな。そうだ、ミナミ。クリスマスプレゼント渡しておく」  小さな箱を渡され、リボンをほどくとリング状のボディピアスがちょこんと収められている。 「なんだ、これ?」 「ピアスだよ。……その、胸につけてんだろ!」  顔を真っ赤にして男は視線をそらした。ジュエルキャッチの色がクリアだが、どうみてもこのきらめきはジルコニアではない。 「これって本物……」 「ねぇちゃんの知り合いにデザイナーがいて、頼んでお願いしたんだ。代金の請求はきっちりされたけどな」  頬を赤らめる男とは反面に、またどしりと胸の底で鉛が重しのようにのしかかる。 「……俺はなにも用意してない」 「いらねぇよ。一緒にいるだけで十分だっつうの。ほら、酒飲もうぜ」  ミナミはテーブルに置かれたシャンパングラスを口へ寄せて一気に飲み干した。  日向へプレゼントを渡せたのも、この男から稼いだ三万のおかげで自分がひどく惨めにみえた。 「飲み過ぎじゃねぇの?」 「たまには、飲みたいんだよ」 「あ、写真撮ろうぜ! ほら、こっちみろよ」  ……そうだ、そこから記憶がふつりとない。  はっと頭を上げるが背中にのしかかるように重みが伝わる。動いて逃げようとするとキュッと締めつけてしまい、身体を離そうとしない自分がいた。耳の奥で水音がはじけて、硬いなにかで内臓を押しつぶされて乱されていく。 「や、やめ……、なに、してん、だっ……」 「ミナミ、やべぇ、止められない」  耳たぶをはまれて、さらに腰を沈ませると男の動きが早くなり、はげしい痛みが体じゅうを食い破る。 「……っ」 「……名前、ミナミ、オレのなまえを呼んで」 「ッ……いやだ。忘れた」  男は腰を深く沈めて、ミナミのうなじにキスを落とした。犬歯が肌を通して触れるのがわかり、咬まれると思ったのかミナミの身体が硬直した。男もはっとして、唇を離すとぎりぎりと歯をきつく噛んだ。  しまった、飲みすぎた。記憶がまったくない。頭がガンガンして視線が定まらない。 「あっ……っ……」 「ひでぇ、裕二だよ」 「んっ……」  全然気持ちよくない。力いっぱいぐいぐいと肩をつかんで激しく揺さぶられる。情欲が燃え狂った動きは、もがけばもがくほど深みに嵌り、狂乱の状態となって使われていく気分だった。男の目は凶暴な光に満ちても、ミナミは触れてくる指先にすがってしまう。 「……っ、痛くないか?」 「いたい」 「わるい、ちゃんと柔らかくしたつもりだった」  喉が乾いたのか、声も枯れてでない。ついばむキスをなんどもうなじにあてられ、熱に病んだように体が火照っていく。ぐるりと仰向けにされ、思わず突き上げてくる恐怖にしがみついてしまった。  覆い被さる男の首に腕を絡みつかせて、うるんだ目つきで無我夢中でキスを求めてしまう。生温かい舌で唾液をかき出して、物ぐるしい肉欲が盛り上がり情炎が燃えていくようだ。 「あ、はあっ、ゆぅ……じぃ」  露出した陰茎がぴくぴくと動き、鋭い棘のような痛みがさざ波のように襲っては素肌へ刺してくる。  ナンダコレハ……。と思うひまもなく、男はあっけなく果てて濁った白い欲情を放った。 「……っ、ミナミ」 「はやく、抜けよっ」 「わ、わりぃ、あ、やべ! 抜けねぇ。もうちょっと力ぬけって」 「……ッ」  ずるりと太い雄茎をひりつく後孔から抜こうとするが、過緊張で痙攣しているのか、がっちりと咥えてしまい抜けない。 「やばい、ちょっと待ってくれ……」 「……イツッ」 「ごめっ……」  ユージは慌ててローションを足して、ゆっくりとひろげる。圧迫していたものが抜けていき、ミナミは柔らかなクッションへぐったりと沈んだ。 「おわった……」 「はやかったよな……。一応頑張ったんだけど……」 「速くて十分だ。俺はもう寝る。起こすな」  ためらいがちに話すユージを無視して、ミナミは視線だけ苛立たせたがその力すら尽きてしまっていた。手足の感覚がなくなるほど疲れ果てて、雑巾のようにミナミはくたくたにしぼんでいく。 「……ひでぇ、傷ついた。おまえが練習しようぜっていったんだぜ? まさか酔って覚えてないとかないよな? それなら超ショックなんだけど。ま、いいや。とにかく、シャワー浴びて寝ようぜ。ほら、抱っこしてやるよ」 「ばっ! やめろ! 俺がそんなことを口にするわけないだろ!」 「え~言ってたぜ? でもソープで働くのはなしな! オレだけって約束したし!」 「そんなくだらない約束してない」  ズキズキと痛む腰をさすり、睨みつけてやると男はにやりと微笑んだ。 「あ、笑った」 「笑ってない。このどへた野郎!」 「うわ、きっつ!」 「いいから下ろせよ!」  男はケラケラと笑って、疲れきって青ざめたミナミを横抱きしながら軽快な足取りで浴室へ運んだ。

ともだちにシェアしよう!