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第十七話 華は喪家の狗の如し

「え……。店長、こんなにですか……?」  ミナミは手渡された封筒の厚さに目を丸くして、鳩が豆鉄砲を喰らったような表情をした。  とんでもない不幸に見舞われた一夜を終えて数日たつ。昼の仕事を片付けて、病院へ向かうという繰り返しは変わらない。男とはあれから繫忙期というのもあってか、すれ違い生活を送っていた。 「そう、あのホストくんに感謝しとけ。ドリンクのバックでこっちも稼がせてもらったんだ。そうそう、しばらく来ないけど諦めたのか?」 「……そんな感じです」  まさか一緒に住んでいるとは口に出せなかった。おまけに肉体関係までも発展しているなんて口が避けても言えない。あれからユージという同居人はなにを勘違いしたのか、見境いもなく甘えて大変にうざったい。  毎日のようにメールを受信して、思い出すだけでわずらわしげな表情があらわに浮かんでしまう。どこにいるのか、仕事が終わったのか、いつ帰ってくるのか、他の用にかこつけて事細かに訊いてくるのだ。 「それならいいんだ。苺とか、ほら、あのナンバー三人もうるさいし、どっちみちホストには関わらない方がいい。あいつらはあの手この手で金を引っ張ろうとするからな。あ、あと長谷川さん、おまえに指名入ったけどそのままつけていい?」 「……いいですけど。あの、本当に桃は辞めたんですか? 逆に俺が指名をもらっちゃって気がひけます」  あれから、長谷川がひょっこりと姿をあらわし、理由もなくミナミを指名していた。お気に入りのシャンパンのボトルをおろして早々と帰っていくだけだが、桃を知っているだけに気まずさが先に立つ。 「う~ん、桃はメールであっさりと辞めちゃったからな。ま、この世界ではよくあることだから気にすんな。そんな深刻そうに心配しなくても大丈夫だよ。んじゃ、きょうもおつかれ〜」 「……はぁ、お疲れ様でした」  手のひらをひらひらとふり、木下は飴の包装紙をくるくるとはがして口の中へ放り込んだ。ミナミの目の色に笑みと戸惑いが混じり合うが、軽く頭を下げると現金をバックにいれて、狭い店長室をでて店をあとにした。いつもなら桃の澄んだ声で見送られるのに、しんと静まる背中を感じて、どこか落ち着かなかった。  細長く立つビルを通り抜けると、すぐさまスマホが小刻みに震えて、ジャケットの内ポケットをごそごそと探る。そとはひゅうっと寒い風が吹いて、寒気がして背中がぞくっと体の芯が冷えた。  バタバタしたけど、ことしも終わりだな。  ため息まじりにボタンを押すと、明るい声がきんきんと耳もとに迫ってくるので端末から耳を離した。 『お、やっとでたな』 「なんだよ」 『お~ミナミ! 仕事もう終わったか? オレはまだ勤務中だから、タクシーで帰れよ。明日どっか行かねぇか?』 「……ムリ。朝から日向の病院へ行くから空いてない」  首を振って、鋭い声が口をついてでた。それでも男は気にした様子はない。 『ん? ヒナ、ひなたって、弟の名前かよ。ヒナタって言うのか?』 「……そうだよ」 『あ、切るなよ! お、おう。ならいいんだ。ヒナタね。ひな、た。いい名前だな』 「……そうだな」  弟の名でどうしてこんなに嬉しそうにするのか理由がわからなかった。唇が感電したように痺れて先の言葉が続けられず、顔が引きつってしまう。  ……はやく切りたい。  生唾を飲みこむような湿った沈黙がひろがっても、男は気づきもしないで話し続けた。 『……その、体の調子どうだ? あれからおまえ、すぐに仕事へむかうじゃん。ずっと心配してたんだよ。朝飯も食べないでさっさといくし、俺もラストまでだから全然会えねぇしさ、年末はもうちょっと一緒にいてぇし』 「…………」  なんと返していいのか、言葉が浮かばない。好意をむけられているのはわかっているが、返事をしていいのかも分からなかった。 『と、とにかくタクシーではやく帰って来いよ。あ、へんなとこ寄るんじゃねぇぞ。バッティングもすんな!』 「……わかったから。帰ってきても起こすなよ」 『へいへい。また殴られるからな。あ、あとちょっとだけ話したいことあるから明日時間空けとけよ。んじゃおやすみ~』 「……おやすみ」  ミナミは端末の電源を落とした。奴が帰宅して布団にはいると、抱き寄せてくるので暑苦しい。起きようものならキスをせがんでくるか、シャツに手を忍ばせてくるので昨夜殴ってしまった。    コンビニへ足を運んで、ATMの前に立って現金を数万だけ残してすべて預けた。残額はその分だけ増えたが、新しい薬を試しているので入金分そのまま引き落とされてしまう。  揚げ物のにおいが充満した店内は酒を飲んだあとなのか、笑い声を立てる大学生らしき男女が数名いた。どこもかしこもクリスマス気分で、騒々しさで街が満ちている。自分とはかけ離れた世界にポツンと沈んでいる感覚に襲われそうになった。  ……もしあのままアパートに住み続けていたら、年も越せそうになかったかもしれない。  日向もそうだ。  夕方に病院へむかうと今後の見通しと説明を受けた。海外では、病院から事前に保証金を要求されることがあり、万が一、支払えない場合は適切な初期治療すら受けられない。  それに加えて、現地滞在費、待機期間、術後からリハビリが半年必要になる。不動産手続き、家賃、薬代、その他もろもろ費用がかかる。それだけで八百万ほどかかる。  とりあえず登録だけという形で、必要書類とパスポートの申請をするように求められてしまった。ミナミは説明を耳にしながら、喉まで出かかった次の言葉を胸の底へ収めてやり過ごした。  まだ確定というわけじゃない。日本でドナーが見つかればいい。  それでもいつか長期にわたる付き添いで、休職も考えなければならない。保護者が自分しかおらず、代わりに看てくれるひとなんていない。  だが辞めてしまったら、生活すらままならないし、非現実的すぎて、どうしたらよいのか考えることすら手放したくなる。  とぼとぼと路地裏を抜けて、眩いネオンが交錯するなかを歩く。タクシーはクリスマスまえのせいか空車の表示が少ない。だれもが楽しそうに肩を並べて歩いているようにみえた。  ……カネがない。  今月の給料もすべて持っていかれた。それでも家賃が浮いるので、生活できている。新しいところへ引っ越すなんて当分無理だ。ましてや昼の仕事すら、続けられるかどうかあやしい。頭のなかで暗い考えがひしめき合う。  そもそもあいつは桃を探していたはずだ。  それが男と恋仲なんて冗談じゃない。はっきりと線引きをして、気持ちがないことを伝えるべきだ。  くそ! なんで、俺はあんなことしたんだ。飲み過ぎにもほどがある!  忘れかけたところで、抹消したくてたまらない記憶がよみがえる。あの夜、シャワーを浴びて羞恥のなか身体を洗ってもらった。男は照れながらも慈悲深い眼差しをむけて優しく触れてくるが、ミナミは熱い湯のなかで自分のしでかした失態に冷えていくようだった。  暗い気持ちのまま考え込みながら道を曲折する。タクシーで帰れと言われているが、地下鉄で十分もしないので駅をめざしていた。ネオンが林立する繫華街で、車の音と入り混じって賑やかな声が行き交っている。  不意にどこかでみた顔が目前で横切った。 「モモ!」  細くて折れそうな手を掴んで、ミナミは胸もとへ引き寄せた。透き通るように白い頬が青くみえ、大粒でこぼれるような瞳が振りむいた。間違いない。桃だ。うっすらと目もとに隈が浮かんで、花の香が夜気に漂った。 「……ミナミ。久しぶりだね」 「どうした? まえより痩せているじゃないか。大丈夫か? 連絡してもまったく音沙汰もないし……」 「あの、ぼく、寄るところあるから……、離して……」  モモはきょろきょろとあたりを伺うように俯いて口を閉ざした。そしてはっとなにかを思い出したのかうなじに手を当てた。チョーカーを覆う指先に視線をむけるとごくりと生唾を飲んでしまう。  うなじ、噛まれている。 「モモ、寄るところってどこだよ?」 「……バイアス」 「バイアスって……」  あいつの店だ。所持金は数万しかない。ミナミはたじろぎながらも、痺れるほどの力でぎゅっと手首を離さない。 「会いたいひとがいるんだ。その、なにも言わないで辞めてごめん」 「ずっと心配してた。なぁ、場所をかえてちょっと話さないか?」 「ごめん、急いでいるんだ。それに時間がない……」  うわずってとぎれた声が暗闇に溶けていく。モモを引き留めたまま、ミナミは少しだけ考えて舌打ちをした。 熱気をはらんだ重い声が咽喉からこぼれでた。 「なら俺もいく」 「え?」 「一人じゃ危険だ。ついていくから、その店へ行こう」 「……ミナミ」  ユージがいるのは分かっていたが、このままオメガのモモを一人で行かせるわけにはいかない。ふたりはバイアスへ足を進めた。

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