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第二十話 お茶を挽いては恋患う
ミナミが病院に出向いているとき、寒がりのユージは冬ごもりのように引きこもって、おとなしく過ごしていた。
店はいまも営業しているが、年始年末を二人きりでゆったり過ごしたくて休みを数日とった。
先ほども電話してしまい、そわそわしながら今か今かと身構えて、頭のなかは初めての恋人でいっぱいだった。
会える日を指折り数えて待ち焦がれる乙女のようにユージはやきもきしていた。それなのに愛する恋人が正月から勤務スタートと耳に挟んでしまい、ぶすっと不機嫌そうな顔にかわる。
ミナミの奴、なんだよ。おせぇし……。
せっかく大晦日だから寿司を取ったのに、帰り道にパスポート申請がどうのこうのと口ごもる。はやく帰ってくるのか、と思ったが、それでもちょっとしか一緒にイチャイチャできない。
……やべぇ、つうか同伴以外どこにもいってねぇな。
一線を踏み越えて肉体関係にまで及んだが、デートすらまだしていないことに今になってはたと気づく。
どこかホテルか旅館ぐらい取ればよかった。けれども弟の容態よくないから誘いづらい。顔色も病人みたいに悪いので、あんまり連れ出すのも心苦しい。
いや、いや、その前に機嫌を直して欲しい。と思った。
むかっ腹を立てて怒鳴りつけてしまったことの申し訳なさが胸の片隅をよぎる。
……オレにだってあんま笑わねぇくせに。なんだよ、ムカつく。それにしても、ミナミの奴、まだ怒ってんかなぁ。声とかなんかそんな感じだったもんな。金が欲しいんだから、素直に喜んでくれてもいいじゃねぇか。
あの夜、客のエースと飲んで見送りをして戻った。振り返って頭を上げると見覚えのある姿形に目が留まる。酔客がさんざめくなか、今しがた電話したはずのミナミが視界の隅で着座していた。
酒を飲んでいるのか、頬を赤く染めて酔眼をむけて話す様子に隣にいたケンをぶん殴ってやりたい気持ちになった。
なんでここにいんだよ……!
店に来るなら一言欲しい。いや、むしろ来るなと止めていた。ミナミが他のヤツと楽しげにしているところなんて見たくもない。
ふたりが趣味や性格が合いそうなのはなんとなく予想はしていた。だが目の前にして目撃してしまうと胸の底から腸が煮えくり返りそうになって、奔馬のような勢いで追い出してしまう。
ミーティング後もケンはそわそわと落ち着きなく、それがまたむしゃくしゃと一向に気分が晴れない。ミナミの話題を出せずに勤務を終えていまに至る。
走るように急ぎ足で帰っても、すやすやと寝ているミナミにますますイライラしてしまった。その上突きつけた小切手を拒否され、ふるふると首を振るミナミにわけも分からない怒りがこみ上げてしまう。
頭を冷やそうとソファーでぐっすり眠りこけると熱のような気持ちも収まり、やっぱりミナミも喜んでくれるんじゃないかと安易に思考を巡らせた。
だからか、朝から口をへの字にして朝食を支度するミナミにとってつけたように謝ったが、唐突に声をかけてしまい戸惑いの表情をみせただけだった。
ダイニングテーブルにはほかほかと白い湯気が柔らかく漂い、食欲をそそる匂いが立ちこめていた。栄養バランスを考慮したメニューはどれも美味しい。じゃこ納豆、ほうれん草と卵の炒め、根野菜とベーコンのトマトスープを黙々と並べて対座するが、一言も喋らなかった。
ミナミは黙々と口を動かして息もつかずに食べ終え、そのままふらふらと病院へ向かっていったのを覚えている。
それからだ。電話をしても口数少なく会話は途切れてしまう。
……なんなんだよ、全然うまくいかねぇ。それはそうと、ケンとはもう会わせねぇ。ミナミを出禁にして会えなくしてやる。
乱雑に積んであった雑誌から一冊だけ選び、ユージはソファーにごろりと横たわって、ぱらぱらとめくる。人気が鰻登りの主演俳優が華やかに表紙を飾って、白い歯を見せて口もとには艶然と微笑みを浮かべていた。
……芸能人ね。そういえば、また姉貴からモデルの依頼が来たな。
しっかりとした下積みがあるわけもなく、実績のないまま何度か姉から仕事を受けたことがあった。が、昼と夜を両立して一生働くなんて無茶だし、このままホストとして働き続けるのもどこか無理がある。
なにをしたいという野心があるわけでもなく、とんとん拍子で生きてきたせいか、将来の夢を胸でいっぱいに膨らませたことなんてなかった。大学の成績もそれほど悪くはないが、これといって成し遂げたいという仕事もなんだか思い描けない。
それでも就職活動にそろそろ本腰入れないといけない。サラリーマンというのも想像できないし、スーツはつねに着ているが、袖を通して毎朝出勤するのもそうやすやすと受け入れられない自分がいた。
つうか、あいつも弟中心に生きているけど、気が休まるときなんてあるのか? あいつ、身体をいつか壊しちまうぞ……。シュウ活もそうだけど、その前にミナミのことが気がかりで全然頭に入らねぇ。
ハウスキーパーもいるが、家事をてきぱきと片付けると夜も昼もなく働きとおす。一日中働きづめで働いて、休んでもすぐになにか作業をしている。夜が遅いときは気を利かせて食べて帰ると、早く連絡しろよと引き出しが勝手にひらいたように文句を並べられた。
そんな気難しい恋人の顔がちらりと浮かんで、紙面から目を離すと携帯が揺れ動いていた。ミナミかと思って、雑誌を投げるとすぐに手に取ってボタンを押した。
「もしもし? オレだけど、いまどこなんだよ」
『……はぁ? 間違えんじゃないわよ。珍しくすぐに出るわね』
「げっ、姉貴かよ」
『なによ、げって。しかもそんなに慌てて偉そうにしちゃってさ。一体何様のつもりなの?』
「……ちっ、なんだよ」
聞き覚えのあるきんきんした声に思わず舌打ちを鳴らしてしまう。高まっていた気持ちが一気に冷めた。
『ちっじゃないわよ、せっかく人が億なんて金額を貸してあげたんだから、まずは謝意を述べるなり、感謝する心づかいを見せなさいよ。ずっとそういう態度で生きていくつもり? あのね、あんた、オレ、オレって口にしているでしょ? そういう生意気な口の利き方をしていると嫌われるわよ』
「……つき合ってるからそんなことねぇし。それに、そんな詐欺野郎みたいなこと言わねぇし」
『は~、裕二。あんた分かってんの? 小切手だって、受け取れよって無理やり押しつけたんじゃない? じっくり話し合って渡さないと、あの子みたいな性格は絶対に受け取らないと思うけどね。ああいう真面目な子ほど、ちゃんとフォローしていかないとそばにいようとしても無理ね。どうせ、恋に破れて振られるか逃げられるかのどっちかよ』
耳に当てた先から大げさに呆れかえって、うんざりしたようにため息をつかれる。いつもこうだ。母親代わりに育てられたせいで、必要以上に干渉してくる。そのたびに鬱陶しい気分が胸を満たし、はやく切ってしまいたい衝動にかられるが、ぐっと胸に湧いてくる言葉を堪えた。
「……なんだよ、それ。また説教かよ」
『そうよ、ありがた~いお小言よ。どこの国で、恋人の弟が病気になったから金を貸して欲しいって連絡してくる馬鹿がいんのよ。しかも億単位で貸せってアホなの? 出世払いで返すって言われてびっくりしたんだから。馬鹿過ぎて騙されているんじゃないかって心配したんだから。おかげで小切手切るときなんて、ダーリンに犯罪に巻き込まれるんじゃないかって心配されちゃったじゃないの。しかもカップルシェアリングってものをダウンロードされるし……』
「はぁ? ……シェアリング?」
『そう、共有アプリってあるじゃない? あれ、すごいわね。位置情報まで出てくるのよ。あと記念日、イベント、誕生日とか登録するとリマインドして教えてくれるの。うちのダディいっつもそれをチェックして、暇なんじゃないかってびっくりしたわ。なんか恋人気分に戻ったみたいで楽しいんだって』
「……へぇ。恋人ね」
まくし立てながら言葉を続けるが、ユージは恋人というワードが妙に気にかかり、頭から離れない。
『そう、同棲カップルに人気らしいわよ』
「なんだよ、それめっちゃいいじゃん」
『やめなさいよ。自分の居場所まで突き止められるのよ? 一歩間違えたら、ストーカーみたいじゃない。相手の世界を理解しようとし過ぎて、すべてを失う可能性だってあるんだから愛情は一定に保ちなさい。ま、そんなのどうでもいいの。ミナミちゃんよ。あんた本当につき合っているの? 終始、怪訝な顔されたわよ。しかもあの子、超苦労してるじゃない。私、仕事中に電話して泣きそうになったのよ~! ほんっと、ホストなんて仕事で噓ばっかついているんだから、大事にしてあげなさいよ』
「うるせぇよ、弟も兄貴の病院で入院してるって言ってんだろ。姉貴が怖い顔して話すからミナミもビビッてたんだろ」
くどくどと説教めいた言葉を並べられ、永遠と続く会話に聞いているだけで疲労が積もっていく。兄とは違い、過保護なのは姉の美代だ。うんざりしてしまう。
わざと早くきて、秘密裏に顔合わせをするなんてしくじった気分だった。ふたりとも苦情めいたことは口に出さないが、なにを話していたのかまだ気になっている。
『はいはい、とにかく根は優しいんだから思いやりの深い人になりなさい。私たちアルファはバースでこそ恵まれているけど、理知的な思考を働かせて、幅広い分野で人の役にたつ仕事につくべきなの。それにベータとは番という関係ができないんだから、そこのところよ~く理解しなさいよ。人間的に成長して心の触れ合いを大切にしていかないと、いかなる障害も乗り越えられないんだからね。あと、小切手を渡したけど、記名式にしたから本人しか換金できないの忘れないでちょうだい。無理矢理、現金なんてものおしつけたらもっと嫌われるでしょ? 大体ね、あんたホストで稼いでいるっつても学生なんだから本業をおろそかにしないでよ。馬鹿なんだからたくさん勉強して、やりたいことをしっかりと考えて探しなさい。ほんっとう、このままじゃ無職まっしぐらよ! 学費だってバカにならないんだから、価値のある人生を歩みなさいね。あ、やだ! もう時間がない! じゃ、私はこれからウィーンに行くからまた来年ね~』
ぶつりと一方的に電話が切れた。相変わらず嵐のようなテンションでまくし立てられてしまい鬱積した疲労が全身をどっと襲う。
「……勝手に切りやがった。つうか、なんだよ、アプリって。ちょっと調べてみるか」
そこからユージは「恋人、アプリ」でアプリストアのなかを検索しようと器用に指先をスマホ画面へ滑らせた。
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