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第二十二話 恋は細部に宿り給う 二

「しっかし、不格好な足になったな」 「うるせぇよ。薬を塗って包帯も巻いてやったんだからいいだろ! 兄貴にも電話して大丈夫だってお墨付きもらったんだし、そんなに笑うなよ」  ぐるぐると巻かれた包帯はたるんで、大げさに厚みを増している。  寿司を受け取り、すぐに救急箱を抱えてユージはミナミのところへ駆けつけた。  医者である兄へ連絡して、写真で患部を確認してもらうと、いい加減にしろと呆れた顔になっていた。  指示通りに軟膏をぬったガーゼを患部にあてて、大げさに巻くとサージカルテープでなんとか固定した。  痕が残っては大変だとひやひやしながら、ぶきっちょな手つきで巻きつけると、ミナミはおかしそうに肩を揺すって笑った。 「自分が怪我したんじゃないかってぐらいひどい顔するんだから、変なやつだよな」 「熱湯浴びて平気なヤツなんていないだろ!病院も休みなんだから診てもらえてラッキーって思えよ」 「大げさなんだよ。仕事でも怪我ぐらいするし、こんなのすぐに治る。残った寿司食べるぞ」 「勝手にしろ。ほら、映画を見ろよ」  一通りの手当てが済んで、ふたりは映画を観ながらのんびりと酒と寿司を食べていた。  珍しくアルコールを飲もうとするミナミの手を止めたが、酔わない程度に少しだけと約束してちびちびと杯を重ねている。 「この酒うまいな」 「飲みすぎるなよ。あ、ほら、いま一番いいシーンじゃん!」  ダイナミックな映像が楽しめる液晶テレビに視線を注ぐと、アルファが愛にあふれた目で新しく出会った運命の番に恋い焦がれていた。 「はいはい、黙っているよ。本当にこの映画が好きだな」 「……名作だっつうの」  ユージはむっと唇をむすんで、ぐすっと鼻を鳴らした。胸がしめつけられる感動で、どうしても涙ぐんでしまう。 「よくもまぁ、飽きもせずにこの映画を選ぶよな。運命の番ね……。おまえ、そういうの信じてるのか?」 「……しらね。くそっ、泣ける。このベータの演技もいいな」 「へぇ、捨てられたのに元恋人の幸せを願い続けるなんて、心底理解できない」 「そこなんだよ、恋人がすでにオメガに夢中なのに、ずっと待っているんだぜ! 真実の愛って感じすんだろ~」 「……真実の愛ね」  ミナミはうんざりした様子で深々とため息を洩らした。そして、なみなみとついだ酒に口をつけると一息にぐいっと飲んでしまう。  ほのかな芳酸香に、旨味と上品さを併せ持つやや辛口の酒。口当たりと喉越しは共になめらかで、淡く、軽快でスッキリとした味わいは飲みやすく、兄がよく送りつけてくる名酒だ。 「つうか、このアルファの俳優なんだけど、けっこう人気なんだよな~。ミナミはなんかなりたい職業とかねぇの?」 「……弁護士」 「は? なんて?」  ベンゴシ?  口をひらいたまま驚いて目をむけると、ミナミはわずらわしげな表情を浮かべた。 「弁護士だよ。手に職をつけたかったんだよ。大学は中退したけど法学部だったしな」 「は!? マジかよ!」  信じられないという顔でみる。聞いたことがないし、ミナミは酒を飲むと薬でものみこんだような顔つきになった。 「噓ついてどうする」 「すげぇな。つうか、弁護士なんねぇの?」 「……無理だろ。年齢制限はないけど、法科大学院とかあるし、そんなひまもない。それよりこの酒うまいな。軽い口当たりがいい」  今になってようやく気づいたが、ミナミは冷や酒をぐびりぐびり飲んでいる。杯に酒を満たし、いつの間にか四合瓶が空っぽになってごろりと転がっていた。 「あ、こら! かなり飲んでたな。たくっ、飲めねぇくせに飲むなよ!」 「年末だし、たまにはいいじゃん。店でもたまに飲むし」 「は? おまえ飲めないだろ?」 「最近さ、お客さんがボトルを下ろすからちょっとだけ飲んでて、少しだけ、酒が強くなった気がする。……ほら、こっち向けよ」  ミナミはユージの上にまたがり、シャツの釦をためらいもなく外そうとする。深く澄んだ藍色の瞳が押し迫ってくる。 「……よ、酔ってんだろ」 「こういう風に客の相手をしてるのも知っているだろ?」  確かに何度もこんな場面があった。膝の上にまたがって、肌をさらして、身体を触れられる。そのときは意識していなかったが、いまとなっては嫌だとはっきり言える。  なんの痛痒(つうよう)もみせない顔のミナミに、むらむらと嫉妬めいた劣情が燃えるように熱くなる。 「……寝ろよっ」 「まだ年越してないだろ。よくさ、客の手を撫でるんだけど、こうすると気持ちいいって知ってたか?」 「は?」  波をうつようにしなって、指が縄のようにからみついた。重なった手のひらは熱く、汗ばんでいる。 「……おまえ、童貞だろ」 「なっ、なんでだよ」  蛇行するように肌の上を這いながら、ゆっくりと指を滑らせて動かす。ちょんとつつかれ、びくりと体が反応してしまう。  それから指の腹でしごかれて、ごつごつした骨ばったところに押し当て、動きがはやくなったところで、音もなく唇が重なった。 「ほら、童貞くさい。心臓の音がすごい」 「うるせぇ」 「……素人童貞だな」  酒が舌先から甘く溶けて、指の腹でさするように愛撫してきた。  ミナミの瞳は熱っぽい輝きを帯びて、熱に病んだように体が火照っている。 「……ちがうっ、こら」 「怒るなよ。クソホスト」  アルコールの匂いが鼻について、ユージははっとしてミナミから体を離した。 「やめろ。俺は客じゃない。酒が弱いんだから、もう寝たほうがいい」 「……いいじゃん。まだ除夜の鐘もなってないし」 「酔った勢いでやりたくない。まえも、なんだかそんな感じだった気がする。それよりちゃんと銀行に行けよ」  年を越してから、と口にしていたのについ喋ってしまった。だめだ。また喧嘩になってしまう。しまった、と胸のなかで不本意そうに舌打ちした。 「……借りを作りたくないんだ。でもちゃんと考えてるよ」 「は? 借りってなんだよ」 「……」 「そんなこと気にする必要ねぇよ。大体、おまえが他のやつと抱き合っているのを想像したくねぇし、おれ、耐えらねぇ」  ギュッと体をきつく抱きしめる。  男の体だ。でも、どうしてか愛しい。  がっしりとした体格にしなやかな筋肉。ミナミがなぜか小さく感じてしまう。 「どうせ、夜なんて続けてもあと二、三年だ。それまでがむしゃらに働くなんて、もうやめろ。見てらんねぇよ。ボロボロじゃねぇか。オレ、おまえのこと、すげー好き。惚れねぇつってたけど、ずっと一緒にいたい。お互い初めてつき合った仲だけど、すげぇ大事にするから信じろよ」 「……」 「ミナミ?」 「…………」  返答がない。どしりとした重みが肩に感じる。  ちらりと視線を送ると、コックリコックリ居眠りして瞼をとじていた。 「おい、寝たのか?」 「……手取り二十万以上のサラリーマンなら考える。それに俺、おまえが初めてじゃない。おやすみ」  唐突に口をひらいて、なにかを唱えるようにしゃべって、そのままぐぅと寝息が聞こえる。 「……ミナミ? は?」 「……」 「はぁあああ? 寝てんのかよ!?」  肩ごしに規則正しい呼吸音が伝わり、すやすやと寝入ってる。あまり寝てなかったのか、目もとにクマが沈んでみえた。  起こすこともできずに、拍子抜けしたユージは舌打ちをもらした。 「なんだよ、もう! せっかくこっちがプロポーズしてんのに! 初めてじゃねぇってなんだよ!」  そのままミナミを寝室に運んで、ふわりと毛布をかぶせる。  初めてじゃない。その言葉が耳について離れない。  どういう意味なのか、気になってしょうがなかった。女なのか? いや、男だとしたらますます許せない。  そんな奴ひとりもいなかったはずだ。日向は弟だし、恋人はオレだけだとしてもなんとも解せない。    まんじりともいえずに一晩過ごすユージだった。

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