28 / 33

第二十六話 縁の目には霧が降る(二)

 封をびりびりと破いて、ファイルに綴じられていた調査報告書にざっと目を通した。中身は氏名から生年月日、本籍地や住所、はては最終学歴から職歴までこと細かに記載されている。  最近ミナミを指名していると知って、姉のツテを頼り長谷川という客をもう一度調べさせた。多額の金で買ったオメガを飼いならし、金持ちに回しては回収させているのは、どうやらデタラメでもないらしい。調査をして正解だった。  やっぱりヤミ金か。  闇金業者は基本的に事業として届け出をださない。居場所は突き止めにくく、店舗や事務所を借りるものも少ないので、多種多様に運営されてほとんど実態がない。どこで、だれが、どのように金を貸しているのか大半はわからない。通報すれば、業者は顧客データや書類を捨ててすぐに姿を消してしまう。  長谷川は堅実な経営者をよそおって、裏では資金調達のように見せかけた違法な貸し付けをしているようだ。だが、証拠がない。一応、資料には融資決定通知書が添付されていた。内容は登録番号を詐称している違法な金融業者で、中小企業向けの無担保・無保証ローンを期間限定で実施して誘い込んでいる。架空の番号を使って届け出をしているように見せかけて、巧いやり方で融資をして、それは企業から個人までも手を広げていた。個人には債権譲渡を受けたという内容の通知書を送り、虚偽の内容で架空請求までも行っている。  そして、読み進めていくうちにケンジの探しものは必ずコイツが持っていると思った。だが、なんとも嫌な相手だ。綿密な計画を立てているのか、巧妙なやり方で通報されることなく金を巻き上げている。  弱みなんて見せないだろう。近づいたとしても、すぐに逆手をとって訴えられる。証拠となるものもないし、いまのままでは逮捕に踏み切るための証拠が足りない。まして当事者でもなんでもない。  ユージは長い脚を組み換えて、書類を長い指先でめくった。窓の外は青白い月がむら雲に隠れ、横目で宵闇に無数の銀が散らばってみえた。  ケンジの頼みだ。最後まで助けてやらねぇとな……。  人捜しに協力したところで、見つけたとしてもすぐに連れ戻されるのがオチだ。借金を返済しても奴らはあの手この手で巻き込んで、使えなくなるまで絞り取ってくる。真っ向からぶつかっていくより、回り道をしてでも時間をかけた方がいい。  読み流していくと、はたとある名前で視線が止まった。 「ちょっと待て、名前が二つあるな。こいつって長谷川じゃないのか? ふじみねって……」  そこには藤峰 巽(ふじみね たつみ)と記されている。どこかで耳にした名だ。注意深く連なる文を辿った。 『妻に引き取られた子供は二人。長男は帝都美装にて勤務しており、次男は拡張型心筋症にて入院中。元妻は数年前に交通事故により、頭を強く打って死亡』  羅列された文字を視線で追って、じわりと白い額に汗がにじんだ。 「……父親、なのか?」  そんな偶然あるわけがない。指先の文字を何度も眺めて、確かめようとして背後で物音がした。ユージは慌てて書類を封筒に戻してそばにあった本棚へ押し込んだ。 「……ただいま」 「おう、おかえり」 「なんだよ、変な顔して……」  いつの間に来たのだろう、怪訝そうな視線をユージに向けて、ミナミは荷物を床に降ろした。 「べ、別になんでもねぇよ。つうか、弟の調子どうだ?」 「……かんばしくない」 「はぁ? もうすぐ海外に行くんだろ?」 「どうだろうな。手続きはしているけど、体調が安定しなくて日程がすこし伸びた」  ぶっきらぼうな調子で言い放って、ミナミはキッチンに立った。冷蔵庫から冷えた麦茶出してグラスに注ぎ、ひとくちに飲み干した。ユージは追いかけるようにミナミの背後に立つ。 「伸びたっていつになんだよ」 「知らん」  めげない自分に我ながら呆れてしまう。腰に手を回すとミナミの眉がぴくりと動いた。 「な、知らんってなんだよ」 「知らないから、そう言ってる。暑苦しいからまとわりつくな」  柔らかな黒髪に鼻先をあてると、ミナミは嫌そうに身体を揺すった。瞬間、ふわりとどこかで嗅いだような匂いが鼻をかすめた。 「……なぁ、この匂いどこでつけた?」 「におい?」  やや透明感のあるグリーンの香りがゆるやかに漂う。 「……この香水、だれだ?」 「客だろ」  ミナミの口調が尖ったのをユージは見逃さなかった。 「客じゃねぇよ。これ、ケンジのやつだろ。いままで誰といた?」  低い声がせり上がるように出た。 「……どこって、店だよ」 「へぇ、バッティングは?」 「…………寄った」 「ケンジと?」 「……だからなんだよ」  腕の力を強めて、逃げないように抱きしめる。耳もとに唇を近づけて、そっと柔らかな声でささやいた。 「会うなって約束したよな」 「……ッ、俺が誰といようが勝手だろ」 「ダメだ。店が終わったら、真っすぐ帰ってこい。あと長谷川って客、もうつけんなよ。苺つう奴から聞いたけど出禁にしろ」 「仕事に口出しして、勝手に決めるな。大体な、前からしつこいんだよ。好きだからって、いちいち母親みたいに小言を押しつけるなよ」  ミナミは振り返って、ものすごい眼差しで睨んだ。 「ミナミ、オレはおまえを心配してるんだ。忠告ぐらいきけよ」 「しつこい! おまえはそう言って、人捜しも中途半端にしてるじゃないか!」  噛みつくような視線を送るミナミに、思わず腕の力がゆるんだ。今日も機嫌がわるい。 「人探しって、モモって奴のことかよ」 「そうだよ。俺の友達だ」 「……友達ね。探しだしてどうする? 借金踏み倒して逃げ切れると思ってんのか?」 「借金は肩代わりする」 「はあ? おまえにそんな金あるわけ……って、ダメに決まってるだろ!」  怒声に似た声が喉から出た。 「いまは俺の金だ」 「ダメだ。あれはおまえの弟の治療費だ」 「そんなのは百も承知だ。おまえの言うことを聞けば日向もモモも救って、すべて解決できるのか?」 「ああ。できる」  根拠もなく、深く頷くとミナミは掴んだ腕を振り払った。 「……どうやって?」 「弁護士を通す。いま興信所に調査をしてもらっている」 「書類はあるのか?」  あると答えようとして、ユージはさきほどの文面が頭に浮かんで口ごもった。 「……まだ届いてない。ただ、相手は目星をつけているし、証拠をつかめばいける」 「それはいつだ」 「近々になんとかする。もう少し辛抱すれば、助けられるはずだ」 「約束できるか?」 「ああ、する。なんなら姉貴にも協力してもらう」  ユージは低い声音で言った。ミナミは視線を宙に浮かせ、しばらく考えて振り返った。顔に疲れが滲んで、力なく肩を落とした。 「……わかった。おまえの協力が続いているなら、それを信用してもいいか」 「そうしてくれ」  そう言うとミナミは踵を返し、浴室へ向かった。

ともだちにシェアしよう!