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第15話

 稲城長沼は忍びの集団を連れて迎えに来た。傷だらけの不機嫌げな顔に見下ろされ、咲桜(さくら)は腕の中の少年を預けた。彼は怯えきり、まだ震えている。野州山辺の次男から呪いに等しい脅迫紛いの睦言(むつごと)を聞かされているのだ。まだ咲桜の言葉を気休めだと信じている様子で、彼の居る間は全身の痛みも忘れてしまうほどだった。  鬼雀茶(きがらちゃ)衆に支えられながら屋敷に戻る。左足首の捻挫で、上手く足の裏を付けることが出来なくなっていた。空が明るくなった頃に着く。最も帰りの遅かった咲桜の姿が見えるまで巴炎(ともえ)は玄関で待っていた。彼は怪我人を支えてきた鬼雀茶衆の若者を(ねぎら)うと、何も言わずに咲桜の顔を覗いた。 「いやぁ、鈍遅(どぢ)っ子なんです。可愛がってくだせぇ」  痛ましげに眉根を寄せ、額の傷に触れようとした。咲桜はその太さのある指を控えめに取った。 「お気遣いだけいただきやす。他人の血は汚いんですよ、旦那」 「ありがとう、咲桜くん。話は粗方聞いているよ」  掻痒(そうよう)感とは異なるむず痒さが全身を覆う鈍痛に混じった。何かがいつもと違う。しかしそれが何か分からない。 「腕も怪我しているのか」 「まぁ、不器用のきょうちゃんなんで。それより他の人たちは大丈夫なんです?」 「他の者たちは大丈夫だ。私はこれから分倍河原さん宅に行ってくるよ。火子(あかね)のことも心配だから。屋敷(いえ)のことは青藍(あおい)に任せることにする。ゆっくり身体を休めて欲しい」  屋敷を任せられるのは、使用人かと思われた。意外性はないくせある意味意外な抜擢に咲桜は微苦笑する。 「ちなみに山鳩クンはどっちに居るんで?」 「こちらで預かっているが」 「そうですか。旦那も夜寝ていないんでしょう?待っているだけというほうが却って神経を擦り減らす役割だったりするもんです。ご無理なさるなと言って、分かったと言える立場ではないんでしょうが、無理だと思ったら引き返すことです」  巴炎は弱ったとばかりに曖昧な笑みを浮かべた。咲桜は咄嗟に顔を背けてしまった。屋敷の主人が時折見せる意味深長な優しい微笑みに顔が火照る。混乱した。思考が閉ざされる。火子や使用人、弟や忍びにも見せているだろう。そうでなければ、困惑する類いの。  咲桜は鬼雀茶衆の若造の付き添いを断って座敷牢に立ち寄った。早朝にも関わらず念唱が聞こえてくる。本当に家のことを頼んだのか巴炎を疑ってしまう悠長さだ。 「山鳩クンが帰ってきましたよ、若旦那。顔を見なくていいんです?」  返事は長いこと保留され、諦めた頃に経が止まった。 「顔が見たければ向こうから来る」 「怪我してるかも知れないんですよ、高いところから落ちましたからね。ぼかぁ見たんです。この目でね」  一言一言は確かに効果があった。頭から被った白い布の下で、透けた陰が振り向こうとしている。 「でもちゃんと見られなかった。だって稲城くんが連れて行ってしまったんですもん。ただ袖に血が付いてたから……怪我がないといいですけれども。だってあの人、脱がせたがりでしょ?着飾らせたがる若旦那とは正反対で!」  咲桜は言いたい放題してから目に煩い中紅梅の部屋に戻った。乱れまくり裏返り翻った布団が放置されている。文机の下にある薬箱を手繰り寄せ、傷の手当てをする。血は皮膚にこびりついて落ちづらくなっていた。所々破けた寝衣はまだ縫えば使えそうだったが変色した血液がベッタリと付いている。  そんなところに使用人が慌てた様子の老翁をこの部屋に案内してきた。医者だという。  微熱と薬によって昼過ぎまで寝ていた。目が覚めると縫合は済み、布団が綺麗に掛かっている。視界の端に景色から浮き出た塊が見え、焦点を合わせると稲城長沼が顰め面で座っていた。口を開く。唇も口腔も乾ききり、喉が痛んだ。 「山鳩さんは若様と座敷牢におります」 「訊いてないよ」 「申し訳ございません」  また新しい傷が増えている。隈が紫になり、目蓋が赤黒く腫れ、片目は半分開いていなかった。口角の傷も上書きされている。 「こりゃド派手に……」 「山鳩クンには怪我なかったの」 「はい」 「そりゃよかった。怪我させたら若旦那に斬り殺されるよ。ただでさえ両手斬り落とすって脅されてるんだから。山鳩クンに怪我あっちゃ、火子お嬢ちゃんも気の毒だからね。あたくしのせいですわ!ってな具合に」  声は嗄れていた。喉は渇いていなかったが、ひりついている。 「慰労会でもやるか、稲城くん」 「ご遠慮いたします」 「なんでよぉ。怪我人男2人むさ苦しくやろうぜ。色街でもあればなぁ。ンでもお宅は山鳩クン一筋なんだもんな。あ~、じゃあお春菜(はな)さんになってよ~。見た目はホンットによかったし」 「お断りします」  咲桜は布団の下から這い出た。稲城の淑やかげな美しい顔に険を帯びた皺が寄る。 「やろうよ。酒飲んでどんちゃん」 「お酒を飲まれていいご容態なんですか」 「大丈夫じゃない?そんな大怪我でもないし」  新しく着せられた袖を捲る。綿紗が3枚ほど使われて傷を覆っていた。少し腫れている。腕を動かすと痺れがあった。 「山鳩さんを保護してくださってありがとうございました。(わたくし)から申し上げるのはおかしな話ですけれど」 「オレも探せとばかりに叩き起こしたのお宅じゃん」 「山鳩さんがいなければ、(わたくし)は生きてゆかれません……」 「若旦那も山鳩クンに同じようなこと言って昨晩みたいなことが起こったみたいだけんども」  稲城長沼は青白い顔をして畳を見ていた。 「(わたくし)は山鳩さん無しに生きてゆかれないのです」 「またまたそんな、昔の艶書(えんしょ)みたいに」 「本気です」  忍びは片方腫れた目蓋を伏せた。もう片方は長い睫毛が反っている。潰れかけている顔と傷と痣だけ浮かぶ麗しい顔は嗜虐的な色香が漂う。野州山辺の次男は悪趣味だ。 「やっぱ飲も?」 「……承知しました。では支度に」  といって稲城長沼が席を空けている間に咲桜は眠ってしまった。額の冷たさにふと意識だけ浮上し、ふたたび眠りに沈んでいく。ふたたび、みたび、意識が浮かぶ。唇をなぞられている。端から端までゆっくりと。妻の死に水をとった日のことを思い出す。稲城長沼にすべてを話したためか、その日の夢の一部にも、妻や弟の顔が浮かんだ。突然の目覚めによって内容は忘れてしまったけれど。惚れた娘の顔も泥沼のような眠気に掻き消える。手を引かれ、後をついて行くばかりだった。活発な娘で、彼女は陰気で寡黙で人見知りの激しい兄よりも陽気で剽軽で図々しさのある弟を選ぶものと思っていた……  故郷に帰りたい気持ちと、二度と帰らないという意地が鬩ぎ合う。それでいて柔らかな布団と額の冷たい物の心地良さにその話題を放棄してしまう。 ――陸前高田くん……  違和感に気付く。しかし一瞬もせぬ間に忘れた。 ――いけません、お屋形様。  話したいことがあったが、話せそうにない。  額がまたもや冷たくなる。目元も冷えた。しかし温かいものが頬を撫で上げ、打ち消していく。目が覚める。 「すまない。うるさかっただろうか」  飛び起きると濡れた手拭いが落ちた。身体はまだ熱っぽさがあった。傷も痛みはないが存在を主張するかのように疼いている。 「あ、旦那?すんません、こんな体勢(かっこう)で。で、どうかしたんですか」  記憶を辿る。一部靄がかかり、一部は夢か現か曖昧だった。巴炎の顔を見つめ、(ようや)く、彼が分倍河原家を訪問したことを思い出す。 「火子お嬢さんはどうでした」 「あ、ああ、少し取り乱してはいたけれど、元気にしていたよ」 「そりゃよかった。それが一番心配だったんですよ。別に火子お嬢さんがイヤで飛び出して行ったんじゃないってことは分かっていて欲しいですわ」  咲桜はからからと笑った。しかし巴炎はそれをやり過ごさない。 「陸前高田くん……悲しい夢でも見たのだろうか?」 「えっ、何故です」  訊ねられた瞬間、否、飛び起きた瞬間に忘れてしまった。どういう類いのものかも思い出せない。 「泣いていた。昨日も泣きそうな顔をしていた。何かあったのではないかと……私では陸前高田くんの力には、なれない?」 「そんなそんな。目が乾いていたのでしょう。大丈夫ですぜ、旦那。美味い飯、柔らかな布団、にゃんにゃん懐いてくる野良猫、そしてなんといってもこの広い部屋!これだけで十分、助かっとります。これだけ揃ってまだ何か気に入らないともなれば、原因はひとつ、閑居!ゆえに忍び寄る不安の影というやつですな。ということで稲城長沼くんをこのボクに貸してください。それか稲城長沼くんのお友達でも」  野州山辺の当主は目を見張っていた。怪我人のくせによく喋るとでも言いたげだった。しかしそう捉えたのはこの屋敷の中で咲桜だけだろう。 「あ、ああ、分かった。少し席を空ける。鬼雀茶衆の者たちに訊いてみるよ」  哀れみを誘うような沈んだ面持ちで巴炎は腰を上げた。襖が静かに閉じる。咲桜はまたゆっくりと布団に横たわろうとした。 「あんまりです」 「うっわ、びっくりした。居たんなら言ってよ。旦那、お宅探しに行ったんじゃないの」 「わざとなんですか」 「何が!本当に、気付かなかったよ。当たり前じゃん。オレみたいな一兵卒の味噌っ(かす)に本気出してる忍びの気配なんぞ分かるわけないでしょうが!」  溜息こそ吐かないが、この隠密は呆れや落胆の時に眉を歪めて目を伏せる癖がある。それを咲桜はとうとう分かってしまった。 「慰労会に参加すべきは(わたくし)ではなくお屋形様です。ですから私がお呼びしました。それを反故(ほご)になさった……」 「いやいや、オレが誘ったのお宅。ンだって旦那、疲れてるでしょ。それに悪いし。オレのこと色々話して、村のこととか家のこととかあるでしょ、あの人。稲城くんには毒を食らわば皿までとばかりにまだまだオレの気持ち悪くて醜いところを喋ろうと、思ってんだよな、酒に任せて……」 「(わたくし)にですか」 「使用人の()たちに話せるわけないでしょ。オレくらい気持ち悪くて(おぞ)ましい人にしか話したくないよ。だから消去法で、この時点で使用人のみなさん、お嬢ちゃんと山鳩クン、旦那は候補から消えるってわけ。ンで、残るはお宅か若旦那。しっかし若旦那は山鳩クンのこと以外多分言葉通じてないでしょ。ってなると残るの、お宅だけ」  また稲城長沼は複雑げな顔をした。見る者によっては取り澄ましたような、高慢で不遜な雰囲気を醸し出している。咲桜もそれを感じ取りながら、悪い気はしなかった。むしろそこがまた、嗜虐心を煽るところでもあった。 「私をお選びになった経緯は分かりました。ですがお酒は控えてくださいまし。薬が処方されているようですから、干渉してしまいます」 「ざ~んねん」  忍びに背を向けてまた寝に入ろうと横になる。薬により痛みはほぼなかったが、傷が圧迫され痺れを起こしている。話すのを止めると喉のひりつきを思い出す。 「水がご入用ですか」 「うん。飲みたい」  稲城長沼は音もなく立った。 「また寝てるかもだから飲まして。嘘。お春菜(はな)さんなら別だけど」  そう言っているうちに、咲桜は彼がその足で水を持ってくるものと思ったが、偶然にもそこを通りかかった使用人に用を言い付ける。 「へへへ稲城くんさぁ」 「はい」 「誰かは言わないけど、使用人の()たちの中に、稲城くんにホの字の子いんだよな、くくく……」 「心得ております」  忍びは布団の近いところに正座する。 「陸前高田様は、他者のそういうことには敏いのですね」 「他人の?いや、オレは自分の色恋沙汰にも敏いですわ」  赤黒い腫れの達している眉が中心に寄る。 「春菜葉(はなば)さんは大分よかった。いや~、いいね。同衾(どうきん)くらいまではしたかったもんですわ、文字通りの同衾で、深い意味のある同衾ではなく。ンでもその傷じゃ化粧(おしろい)塗れないね」  春菜葉と同一人物である稲城長沼は黙って俯きがちに目を逸らした。 「山鳩さんのことは、どうお想いなんです」  彼は先程とは打って変わって卑屈な喋り方をした。 「あ~」  昨晩とも今朝ともいえない時間帯に見た、痛々しくも真っ直ぐな姿勢は脳裏に強く焼き付いている。それは胸元まで作用した。山鳩の様々な貌が順々に駆け巡る。無邪気さの中に辛抱があり、健気さの奥には大切な幼馴染がいる。 「あ~……」 「山鳩さんは渡しません」 「15、16の時、オレってば、弟と後の伴侶が仲良いの、遠目に見てるだけだったな。幼馴染でさ。弟と仲良くて。真苗(さなえ)ってんだけど、明るくて可愛いくてさ。弟のほう選ぶと思って。弟はね、柑治(こうじ)っつんだわ」  稲城長沼は顔を顰めながら聞いていた。 「桜と橘ですか」 「そ!教養あるな、稲城くん。帝天信者みたいなおめでたい名前の兄弟だったワケ」  桜と橘は帝天室の紋だった。曽祖父は帝天崩御と共に自決したほどの盲信的な家庭で、その帝天室と"お国様"、国民の誉のため弟は戦死した。それは涙を伴うほどの喜びであるはずだ。祭壇を作り写真を飾るほどの敬意に値するはずだ。 「16か。5年前だよ。最近みたいだな。でも山鳩クンよりずっとガキだった。他人のために自分の身を捧げるなんてこと、考えたこともない。自分のことで精一杯。結婚した時も、戸惑ったな。何があったわけじゃないけど、これから食わしていかなきゃって。それでも17か。すごいな、山鳩クン。田舎は早熟っていうけんども」  山鳩の名が出るたびに生傷のある美貌に深い皺が刻まれる。 「間違ってたかもな。良かれと思って、若旦那から引き離したけど。オレじゃ想像もつかない覚悟、きっと背負ってたんだよな。推測形(かもな)じゃないわ。間違ってた。苦獄の道は善意でできている、これですな」  深く細く稲城長沼は息を吐いた。 「素面(しらふ)ですね?」 「そうだよ。酒があったらもっと気の利いたこと言ったさ」  やがて水が来る。ひりつく喉を潤すが、耳の奥まで緊張感のある痛みが走った。すぐには治らない。 「お屋形様を呼んで参ります」 「なんでっ!」 「鬼雀茶衆は酒をご一緒しません。もしそのお身体でやるのでしたらお屋形様と粉末ソーダか茶でどうぞ」  稲城長沼はあくまでも礼儀正しい態度で出て行った。まだ耳と鼻、喉のひりつきに潤いが届かず水を飲み干す。少し話しただけで身体は疲労を訴え、縫われた箇所が痺れている。程良い眠気の波も来ていた。水が染み渡っていく。目蓋が落ち、全身が穏やかに融解していくように弛緩した。しかし襖の開く音で輪郭が戻っていく。 「寝ているかい」  遠慮がちな小声だった。すぐ傍で聞こえる。巴炎だ。下睫毛と上睫毛が絡まり、咲桜は目を開けなかった。 「へぇ、寝とります」 「そうか。邪魔をしてすまない」  目を瞑ったまま屋敷の主人のほうに首を曲げる。 「手を握っていてもいいかい」  返事をする前に布団からはみ出た手を拾われる。少し乾燥している指だった。 「お酒は身体に障るけれど、飲み交わすのは私でも構わないだろうか」 「いけませんや。旦那様もお疲れでしょう。お疲れのときの酒は、蕁麻疹が出ますて。お嬢さんにオレが怒られちまいますよ」  手を温められ、思考は心地良く霧散していった。意識は緩やかに、順調に眠気のほうへ引き摺られている。呂律は回らなかった。 「陸前高田くん……」 「旦那は、寝られました?」 「うん」 「オレは大丈夫ですよ。薬が効いて、眠いんですから。あと寝てないということもあって。だから、大した怪我ではないんです」  目を瞑りながら眠りに落ちそうな中、辿々しく口にする。 「私が好きで、傍にいる。あ……ああ、えっと、その……看病するのが、好きで…………」 「旦那は根っから、長男気質なんですな」  うつらうつらしながら意識の大半を手放す。手を強く握られている感覚だけ確かだった。 ――陸前高田くん、すきだ……  何事か話し声が聞こえた。 「咲桜様……」 「オレも好きだよ、山鳩クン」  伸ばした手が乱暴な力加減で鷲掴まれた。掌に触れたものから離され、腕が捻じられる。肩と肘の関節を制されている。 「おやめください、やめて、やめて、青藍様!」  少しずつ現状を把握する。まず焦った様子の山鳩が見えた。咲桜は片腕を捩じ伏せられていることも構わずへらりと笑った。 「お、山鳩クン。元気?」  少年と目が合うと、頭を抱えたくなるような衝撃が胸に落ちた。しかし上から降ってくる白い布が視界を閉ざす。 「翠鳥を見るな」  細やかな繊維の奥に人影が並び、拘束が解かれる。 「翠鳥。俺以外を見るんじゃない」  甘たるい声遣いで布の向こうの人影が重なった。青藍が山鳩を引っ張り口付けているようだ。 「若旦那が見舞いに来てくれたんです?明日には竹槍が降りますな」 「咲桜様」  山鳩が身を乗り出す。しかし隣の白装束がそれを阻み、阻むどころから少年を抱えると膝に乗せ、閉じ込めてしまう。それ以上の詳しいことは白い布によって咲桜からは見えなかった。 「お怪我のほうは、どうですか?」 「すぐ治るよ。心配してきてくれたんだ?ありがとう」  視界を遮断する白布に感謝しているところもあった。山鳩の真っ直ぐな目を恐れている。幼馴染に対する愚直さと芯の強さを知ってしまった瞬間、可愛らしい年少者という像が壊れ、新たな面に首を突っ込みそうになる。薬物によって高められた欲求で交わっても、触れることのできないところに。 「ごめんなさい。咲桜様。おでのせいで……」 「いいって。不注意で自分勝手なオレのせいでもあるし、本当は図々しい傍若無人のくせに人二倍三倍繊細ぶってるそこの大きなお兄さんが悪いんだから。本当はオレとそこの蚕蛾の妖怪みたいなお兄さんが山鳩クンとお嬢ちゃんに謝んなきゃなんないんだよな」 「翠鳥は俺無しに眠れない。俺は言った」 「山鳩クンは俺無しに寝かせられないようにした、の間違いでしょ。事実を歪曲するんじゃないよ」  白布を隔てた人影が大きく動き、布団が重くなる。山鳩が蚕蛾の怪物によって組み敷かれている。 「あ、!青藍様……!」 「何何何何」  咲桜は手を打ち鳴らす。白布を放り投げ、野州山辺の次男を引き離す。力の入った傷口が疼いた。痺れが伴い、自身の片腕であるにもかかわらず上手く制御できない。 「嘘でしょ、若旦那。こんなところで発情するかフツー?動物じゃん」  白装束の下で青藍の肌はひどく興奮し上下していた。落ち着きを取り戻すと咲桜は接した手を叩き払われる。隙を突かれ青藍は山鳩に飛び掛かる。白装束が視界を横切ったのだけは見えた。 「この男と何かあったんじゃないだろうな!」  白装束は山鳩の身体に馬乗りになって首を絞めていた。天井板が崩れてきたのかと思うほど不意に上から物体が落ち、青藍を蹴った。転がされた次男と降って現れた稲城長沼が睨み合う。咲桜は嘆息して後頭部を掻いた。布団は踏み荒らされ、到底、そこで寝る気も起きなくなる。 「お嬢ちゃんの部屋荒らさないでよ……」  稲城長沼は一歩一歩後退るようにして山鳩を捕まえ、彼を庇うように蹲った。白い着物から脚が伸び、忍びを虐待する。転がされ、引き倒され、山鳩にも当たりかねない。そのたびに稲城長沼は親鳥や親狸のような甲斐甲斐しさで少年を守る。 「ちょっと、若旦那、怪我人の前でそういうのやめてよね」  標的が切り替わる。頭部を縫われたその日に咲桜の顔に拳が入った。大の男2人が畳に這い(つくば)り、屋敷の一画は剣呑な空気に包まれた。 「放せ、翠鳥を放せ、襤褸雑巾!」  腹を重く蹴られた稲城長沼は頭を畳に打ち付けた。身を起こすと同時に咽せ、やがて嘔吐する。傍観していられる範囲を越えた。 「若旦那、これ以上は度が過ぎとります!」  咲桜は割り込み、次男の不躾な脚を足で避ける。背後で彼が鳴らしたのではない指笛が響く。胃液と唾液、少量の血を滴らせる口が震え、そこから輪を作った指が垂れた。 「青藍様……おやめください、おやめください。咲桜様を傷付けないでください。咲桜様は怪我してるんです……!」  咲桜の前にさらに山鳩が割り込んだ。青藍の神経質な眉が険しくなる。 「あの後、この男にまた抱かれたのか」 「なんでそういう話になっちゃうかね」  少年を後ろにやるために他意もなく肩に触れた。それだけで次男は目の色を変える。火子の文机にあった懐紙で血の混ざった唾を捨てる。 「咲桜様、いけませ……」  次男が一歩踏み出すと少年は肩を震わせた。 「カラダだけ手に入れたら全部手に入れた気になってんだろ、アンタは」  畳に転がっている忍びのほうへ山鳩を放る。

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