31 / 34
第31話
+
小豆喜 が手紙を寄越した。恋文かと思いどきりとしたが、彼女は咲桜 の反応を知ろうとする様子はなかった。風流な封筒で、住所は罌粟朱 だがかなり省略され、切手も消印もない。郵便局を通していない。
「手渡し?」
「はい」
「いつの間に。どういう経過?」
彼女は咲桜や山鳩の目が離れたときに日向和田 から呼び止められ、後から住所を教えるように頼まれたらしかった。それから彼女を遣ったらしい。
咲桜は初めて日向和田の美しい、しかし若干癖の強い特徴的な筆跡を見た。内容は、季節の挨拶と簡単な詫びから始まり、山鳩のことに繋がった。
――かれを愛してください。
この一文が目に入った途端、雲行きが怪しくなった。
――あなたはこの頼み事をするに支障のない相手だとお見受けいたしました。このままではかれはすべてを愛し、その身を擦り減らすでしょう。翠鳥という若者は誰かひとりを愛し、愛されなければならない人です。あなたにしか頼めません。かれに大切な幼馴染の女の子がいることは知っています。ですが私の指しているのはそういうことではないのです。子供の理想を固めた愛ではいけないのです。かれの献身的な愛によって相手は疲弊するでしょう。優しく甘やかな愛では互いに無自覚のうち瓦解するのが目に見えています。あなたに翠鳥のことをお願いしたいのです。私はかれを愛するに値しない人間です。かれの純朴さに後ろめたさを覚える人間です。またそのことを素直に認め、打ち明けることもできない性分なのです。
咲桜の顰蹙を小豆喜は黙って見ていた。
「読む?」
彼はその手紙を随分と雑に扱った。
「いいえ」
「じゃあ読んでみ。オレ以外の人がどう思ったのか、参考までに知りたい」
彼女は命令という形にすると文に目を通した。読むのも速い。
「一個人としてどう思うコレ。率直に?」
「人に物を教える立場というものが私的なやり取りに於いても抜けない方のように思えました」
「そう!翠鳥の何なんだ、この人は…………ああ、先生か」
一度ぐしゃりとしてしまっていた手紙をたたみ、封筒に納める。
「寺子屋ってお見合いの斡旋もしてくれんの?」
彼女は首を捻った。
「愛する、愛さないって何さ。これって要するに、オレのこと煽ってない?出会っていきなり来た手紙がこれかよ。文才あるな」
「ご返信なさいますか」
「するよ。代筆してくれる?果たし状かと思って鬼が出るほどびっくりしちゃった。アンタが思うより翠鳥は大人です。狡猾さもあります。いつまでも可愛い子供の理想を固めてるのはアンタのほうだよ。さすが寺子屋の先生ともなると自己分析ばかりはお上手なんですねってね」
小豆喜は暗記しているのか小刻みに頷く。値の張るカフヱーの給仕のようだ。
「文体は直されますか」
「いいよ、そのままで」
咲桜は山鳩や稲城長沼を探しに主屋に向かうところだった。
+
山鳩が稲城長沼の上で激しく弾む。自ら腰を振りたくり、汗を散らし、納屋に嬌声が響き渡る。肌のぶつかる音も掻き消えるほどだ。
「あっあっあっんっ!きもちぃ、せんせぇ……!」
"先生"の気を遣った手淫を止め、腰を回すような動きに変える。自らそうしているというのにその表情は快感を恐れてもいた。自慰のようでいて辱められている弱者のような悲哀を滲ませた。
「お腹の奥、当たって、おかしくなる………」
腰の動きを緩め、疲れたのか止まってしまった。鍛えられた胸板を布団に倒れ込む。淫交に溺れていた少年は大人の手を探して、強く握った。"先生"の手を自分の手ごと粉砕しかねない加減で掴んでいるのか、傍観に甘んじている咲桜には震えて見えた。
油断している子供を敷布団が突き上げる。節くれだった指が幼さの残る肌に食い込んでいる。
「あっ!んぁあっ!」
激しい一撃と二撃から律動が生まれる。
「あっあっおかしくなっちゃっ!おかしくなっちゃう!ゃァ……ッ!おっきぃのヤぁ!ッ」
頭を振り乱し、髪を掻き乱し、山鳩は叫んだ。彼の中では優しく綺麗で聡明な"先生"に抱かれているのだろう。稲城長沼がみる最期の、仕事でも命令でもなく積極的に色事に呑まれた山鳩の姿かも知れない。
「山鳩さん……っ」
稲城長沼の言葉を久々に聞いた気がした。すでに自分で動かずとも、一心不乱に上の少年が肉杭を迎え、その様に魅入られているようだった。気が違うほど恋い焦がれ、嫉妬心に身を焼くほど好いているのだ。涙ぐましいものがある。だが涙ぐめないのは挑戦状じみた手紙のせいだろう。
生肉の張型は快感に悶える想人の腰を固定した。わずかな隙も赦さず密着し、おそらく迸っている。悲劇的な終わりを遂げた侍のような美しさがある。臭く汚く情けない生物の実態、つまり放精している牡とは思えない。彼はすぐに再起し、山鳩を抱き上げて体勢を変えてしまった。その間も口付けや頬擦りばかりしている。次は少年を仰向けにして交合 うつもりらしい。
「せんせ、せんせ、足 痛い痛いするから……っ」
この自身で放った一言が彼を現実の谷底に突き落としてしまった。誰に乗っているのか気付いてしまった。ここが罌粟朱郡ではないことにも。
「せんせぇ………?」
骨が軋むほど力強く握っているらしき大人の手を頬に寄せて確かめる姿が健気だった。だが相手は"先生"ではないのだ。山鳩本人もそれを理解しつつあるようだった。腰を引こうとしている。それでいて現実を拒否するために、すぐに逃げようともしなかった。猛烈な思慕と欲熱で沸騰した牡がここで獲物を追わずにいられただろうか。
「紫逢 ちゃ……ごめ………っ、ごめんって………」
「何の問題もございません」
呆気なく山鳩は先生ではなかった人肉製の張型を手放したが、稲城長沼のほうが腰の上で弾んでいた悪い子供を捕まえていた。返答と行動が一致していない。
「紫逢ちゃん、おで………おで、」
「大丈夫です。痛いことはしません」
「紫逢ちゃ………」
稲城長沼は狼狽する少年の額を啄むが、返ってくるのは拒否だった。そしてそれは反射的に、無自覚に出ているの拒絶なのだから恋に堕落した男は立つ瀬がない。
「や、だ…………紫逢ちゃっ………!」
逃げようと身を捻り捩り、少年のしなやかな肉体が翻る。稲城長沼は無理強いこそしないが、彼は彼で山鳩の上に重なり、両手を押さえ付けている。力の優勢な者の余裕と、惚れ腐っている男の弱みである。獣の交尾と同じ構図で、稲城長沼は下で暴れる少年に肌や髪を擦り付ける。まるで嫉妬深い飼猫だ。否、飼主と比した大きさから言えば虎や獅子に違いない。
「山鳩さん」
「ごめ、謝るからッ、ごめん、許してっ、許して…………っ!」
少年が畳を這えば、稲城長沼も伏せた体勢になった。山鳩に逃げ場はもうなかったが、土間のほうへ来ると、彼は人影に気付く。
「さくらさま…………」
咲桜は嘆息した。救いを乞うような目を山鳩に向けられては跳ね除けることができない。しかし視線が交わった瞬間、白くなった爪がざりり…と畳が掻いた。少年の身体は引き摺られる。
「あうぅッ、!」
悲鳴と、稲城長沼の小さな吐息が咲桜の耳に届いた。
「挿れちゃヤ…………ぁんっ、あっ……!」
「山鳩さん」
頸 に顔を埋め、腰を必死に捕まえておく姿は猫の生殖行動を思わせた。野暮ったく泥臭い男児に発情した牡の滑稽な仕草はとうとう稲城長沼の美男子ぶりを大いに損ねてしまった。巷の凡百な色好みどもとそう変わらない。己の欲望をぶつけ、快楽に溶ける。苛烈な情念を抱き続けた相手との淫交は美青年を人語も理念も解せなくなった妖怪にしてしまった。彼が一直線に進む道は、山鳩ただひとりこの少年のみに対する種付けなのである。
「山鳩さん、山鳩さん、山鳩さん……!」
囁きは訴えだった。耳を舐め、齧り、引っ張って想人を貪る。
「あっぁぁ………っ、」
ぬちゃぬちゃと音がした。粘膜が擦れる音だ。性交していることを強く告げる。咲桜の耳の奥にも残っている。拷問官の腹の凹凸をまだ鮮明に覚えている。男根をその肌の奥に受け入れ、内臓を突かせるのだ。
「や、ぁっんっあっ」
山鳩も咲桜の存在を忘れ、与えられる内側からの快感に没頭している。ある程度は抜けても惚れ薬の陰はまだ色濃い。
「山鳩さん……」
まだそこまで強靭に仕上がっていないものの成長し、筋肉をつけている背中に薄い唇が押印され、それは1回や2回ではなかった。皮膚がふやけるほど口付け、吸う。
「せ、なか……や、ぁっ……!」
「山鳩さん」
咲桜は稲城長沼が泣いているものと思った。ぎらぎらとした鱗のようなものが落ちるからだ。
「だめ、だめ、も、あっ、んッ」
彼の要望どおり、乱暴な抽送が止まる。稲城長沼は長いこと恋しい人の狭い背中や首、耳に執着していた。唇を当てては赤い舌が這い、歯を立て、また舐める。
「あ………ぅ、ん」
下で四つ這いに蹲 る少年がゆらゆらと身動きする。それは恐ろしい牡から逃れようとする類いのものではなかった。自ら串刺しになろうとしている。珍奇で淫猥だ。
「山鳩さん………?」
「だ………って、あっんんっ…ぁっ」
言い訳をしようとして、また揺らした腰から生まれる快楽に少年は抗えなかった。動かれないならば自身で動けと、強壮な若い肉体に入り込んだ惚れ薬が呪っているのだ。
「あっあっあっ、きもち………ぃ、あぁ…………」
そこに稲城長沼は要らなかった。楔が"先生"でないならば、開発され過敏な性感帯となったそこに必要なのはただの張型なのである。人肉製であろうが木製であろうが、硝子製であろうが、護謨 製であろうが、差して変わりがない。もしかすると、この際張型でなくてもよかったのかも知れない。たったひとり、幼馴染が除かれたなら、女の手でも穴でも構わなかったのかも。
「いけません」
背を覆う男の腕が少年の奔放な腰を止めてしまった。
「や、だ………やだ、ぁっ……ずんずんして、奥、ずんずんしたい………ッ」
虚ろな目をして駄々をこね、山鳩は拘束から逃れようとする。
「お腹………ずんずんしたいぃ…………」
腰を掴まれ前後どちらにも動けなくなり、山鳩は喚いた。稲城長沼に尻を高く掲げ突き出す。
「逝きたいですか」
振り乱された髪を梳きながら稲城長沼は訊ねた。彼も限界に近いはずだった。汗で顔が濡れている。山鳩は首の骨が外れるほど頷いた。
「俺のモノになってくださいますか」
「ぁっう………んっ」
咲桜は脅迫紛いの取引きを目の当たりにしながら助け舟を出すこともしない。
「俺のモノになってください」
稲城長沼の手が少年の背中を撫で回す。山鳩は追い込まれているような切羽詰まった鳴き声をあげた。
「あっあっあっ、ぁぁ………ぅ、」
「俺のモノになると、言ってください」
余裕な素振りでいて稲城長沼も今すぐ想人を貪り喰いたいようだ。欲情にまみれた目を長い睫毛で伏せ隠し、やっと瘡蓋の消えた薄い唇が歪んでいる。
「あ……んっぅ…………」
潤んだ眼は畳の目を彷徨う。
咲桜は汗で毛が額に張り付いている山鳩と2秒ほど目が合った。たちまち彼の全身はぶるぶる震えはじめ、やがて弛緩した。肘から崩れ、肩を打ち、頭を畳に擦り付ける。同時に稲城長沼が少年に伸しかかった。それは故意的な嫌がらせではなく、力が抜けてしまったらしい。だがすぐに起きた。山鳩の腿を掴み、身体を翻させた。
「も、ムリ………っ、今、だめだって………」
稲城長沼とも咲桜は目が合った。咎めたつもりはなかった。劣情に火照った美貌は咲桜から視線を切り離した。ばつの悪そうな表情は傷付いているようにも見える。彼の後ろめたさが伝わった。しかし咲桜はこの報われない"先生"ではない人熱の張型に同情を寄せていた。
「だめ、あつい、やだ………あっ、あんっぅう!あァ、っ――!」
互いに顔の見える体位で繋がり、稲城長沼は休みなく情交に心を奪われ、山鳩は身悶え痙攣して甘い絶叫を繰り返していた。
納屋の裏に屈み、手紙を読み返す。目を通すだけ腹の立つ内容だ。居丈高で、優位性を疑わない自信のほども窺える。謙遜や卑下を要求しているわけではないが、何か気に入らない。
背後で納屋の戸が開いた。身を清め衣服を整えた稲城長沼とその腕の中で抱き上げられぐったりしている山鳩が出てくる。情欲の満たされたくせ不満げな美男子は振り返った咲桜へどういう顔をしていいのか分からないふうだった。詰問を待っているのか、薄い目蓋を下ろし、瞳を隠す長い睫毛が憐憫を誘う。
「おつかれ」
「彼の"先生"という方は足が悪いんですか」
「オレの知ったことじゃないね」
肩を竦めた。稲城長沼は咲桜に眠る男児を差し出した。
「なんぞ」
「彼の傍にいてください。私ではいけない」
意識の無い山鳩は温かかった。首も胸元も綺麗だ。見えるところに痕はない。すでに背を向けてどこかに行こうとしている稲城長沼に声を掛ける。
「面倒臭い母親みたいだけどさ、オレがここで山鳩クン受け取った意味、分かるよね」
「はい」
咲桜は山鳩をあやしながら離れ屋に一度戻った。小豆喜を呼ぶ。現れた彼女は腕の中のものにほんのわずか眉を顰めた。
「返事もう出しちゃった?」
「いいえ」
「この子の生き方が理想を固めた愛だの献身的な愛だのと小難しい説法をご論じるならアンタがすべきはこの子を受け止める愛だって付け足しといて」
彼女は承知した。
「それから、後ほどお話がございます」
「分かった。戻れたらすぐ戻る」
小さな用を済ませ、離れ屋をあとにする。主屋に入ると巴炎 と会ってしまった。踵を返そうとしたのが理性より速かった感情の反射らしい。野州山辺の当主のほうでも狼狽がかぎろっている。彫りの深い眼窩で泳ぐ視線が山鳩に留まる。
「彼は」
「お嬢さんは」
同時に声が出た。互いに黙る。
「陸前高田くん……」
大男は俯いた。動物の牡としては非常に優れた体格をしておきながら、年少者の、平均的な背丈の男に萎縮している。肉体の大小に限らず立場としても、そして今の状況にしても野州山辺の長男のほうが強者であった。咲桜の両手は塞がっている。それでいて巴炎は明らかに怯えている。
「空き部屋を借りたいのです。外に寝かせておくと、いくら涼しくても夏ですからね、また暑気中 りを起こしそうで…………」
嘘を並べ、それを巴炎が信じたか否かはどちらでも良かった。ここに必要なのは建前である。真偽はどちらでもいい。相手を頷かせる動機が必要なのだ。
「あ、ああ………北側はどこも空いていると思ったが、使用人に訊いて見てほしい。好きに使ってくれて構わないから」
咲桜は軽く礼を言って、自然を装って彼を避けた。使用人に声を掛けると、疑惑の人間だけに相手を脅かしてしまったらしい。緊張感を持たれたまま山鳩を寝かせる部屋に案内された。少年はいても意識が無い。2人きりになって使用人は硬直していた。
この話は火子 にもすぐ届いたらしかった。可愛くて仕方のない幼馴染のこととあっては彼女が黙っているはずがない。北西の端にある部屋の襖が弾かれた。
「翠鳥!」
彼女は薄手の掛布団を引き剥がす。
「ちょっと。寝かしといてやりなさいよ」
「何があったんです?」
「外で疲れて寝てたの、拾ってきただけ。お嬢ちゃんは大丈夫?何ともない?」
彼女は頷いた。
「あたくしはなんともございませんけれど」
「そりゃよかった。じゃあ、山鳩クンのこと頼むよ。あんまりここにいると悪いからね」
火子はまた固く頷いた。主屋から離れようというときに、巴炎が待っていたらしかった。履物を脱いだ縁側に彼がいる。
「陸前高田くん、あの………その、」
棒立ちの足に野良猫がまとわりついているのがおかしかった。今のこの大男に屋敷を預かる威厳はない。猫はそれを見透かしているのだ。咲桜は巴炎の言葉を待った。だが恐れてもいた。無かったことにしてしまったほうがいい件を穿 り返されはしないかと。建前だけでも、あったことを認めていない形式で、何もなかった関係でありたい。踵は床を躙 り、爪先は離れ屋を向こうとしていた。野良猫は新しい身体の擦り付け先を見つけ、体当たりする。
「陸前高田くん…………」
呼び止めるだけ呼び止め、何も言おうとはしない。小豆喜に話があるらしい。すぐに戻れたら戻ると言った身だ。「やれたらやる」というのは地方によってはできないことの婉曲表現らしい。野州山辺の当主はまだ尻込みしている。
「すみません。ちょっと他に用があるので、また今度……」
「い、いや………すまなかった。あ、ああ、その、呼び止めてしまって」
「いいえ。また今度、改めて」
心にもない挨拶して履物に足を突っ込む。野良猫はまだ匂いをつけたがった。手慰みに艶やかな毛並みを揉んで小豆喜を尋ねる。
「話って?」
「報告がいくつか届いております」
小豆喜の報告は、菊口任 組に依頼した香染目のことだった。青藍の使った惚れ薬の調達は香染目の仕事だったらしい。また火子に出されるはずだった茶についても香染目に不審な動きがあったことの2点が語られる。
「やっぱかぁ。ありがと。まだこのまま火子お嬢ちゃんのこと見守っててくれや。矢場のヤバだったら火子お嬢ちゃんのことだけは頼むで」
女忍びはしっかりと頷く。
「変なこと訊くんだけどさ」
「はい」
「変なことなんだけど………変な意味じゃなくて…………」
「どうぞお訊きになってください」
何を問われても後ろめたいことはない、すべて割り切っているとでも言いたげな冷淡な調子だった。否、この男に真摯に向き合えるような質問は出来ないという侮りなのかも分からない。
「誰か、家族とか姉妹兄弟 とか仲間とかの情じゃなくて、色恋沙汰として、好きになられたことある?」
「………ございません」
「ホントぉ?そっか、あるって答えられるの前提で訊いちゃってた。小豆喜ちゃん、真面目だし、気が強いとこ誇り高いって感じだし、美人だし、多才だし………」
彼女ら露骨に険悪な表情を浮かべた。
「口説いていらっしゃる?」
「ああっ?いや、そんなつもりはなかったんだけどさ」
「たとえどれだけ見目が良かったとしても、どれだけの財力があったとしても、生まれが生まれですから」
稲城長沼の片親違いの姉が異質なのだ。三河安城という男が変わり者なのだ。穢触底人としての生まれを前に広く自由な恋愛は存在しない。縹緻 も能力も財力も問われることなく社会と家族、そしておそらく己の観念からでさえ否定があるだけなのだ。
「生まれかぁ…………生まれなぁ」
咲桜は腰を下ろし、後ろに手をつくと天井を見上げていた。梁が見える。
「好かれたことがあると申し上げたら、どういう相談をされたかったのです」
「好意持たれるってひとに言ったら見栄っ張りっぽく思われそうだし、何かおめでたくていいことで、自分は素晴らしい人間です!みたいな主張に取られがちだけど、結構、業が深いなって。絶対、自分にとっていいことだとは限らねぇなって思ってさ。これ、変な自慢じゃないから誤解しないで」
ちらと小豆喜を横目で見ると、彼女も冷ややかな一瞥をくれた。
「野州山辺の旦那様のお話ですか」
「ぐ、具体的に言わんでいい……」
どっと疲れてしまった。少し横になるつもりが本格的に眠った。どこからともなく掛布が降り、誰がそうしたのか深く問い詰めることもなく潜った。尾籠 な淡い夢をみた。下腹部に熱は集まるものの、やはり著しい反応は起こらない。巴炎の陰がちらつく。現実に引き戻された。飛び起きる。嚏 を2度して、辺りを見渡す。外は暗かった。真ん中に出された小さな卓の燈火で室内は赤く光っていた。
「お疲れ様でございます」
忍びは音もなく現れるから性格が悪い。
「日向和田様のところへ行って参りました」
「あぁ、そうなんだ。そっちこそお疲れじゃん。寝ちゃって悪かったんな」
「ブドウとモモをいただきました」
彼女の手には膨らみのある風呂敷が握られていた。
「日向和田さんから?」
「はい」
「怖いな。なんかこういうのって、そういのに意味合いが託してあったりするんだよな。怖過ぎの杉の木。花粉症になりそう」
「どうなさいます」
小さな卓袱台で風呂敷を広げた。果物が2種3つ、ブドウが1房とモモが2個包まれていた。モモの片方を手に取った。
「モモは1個、君がもらってって。残りは翠鳥にあげるよ。ブドウがいい?」
「いいえ。ありがたく頂戴いたします」
小豆喜はよく熟れた桃を胸に抱き、小さく礼をすると夜の中を帰っていった。咲桜は彼女をその場で見届ける。離れ屋は静かだ。何度か咳をして、また横になった。興奮によって身体を熱くしたり、また寒々とした心地になった忙しい1日だった。己の体温が残る薄布の中でまた咳をした。喉に毛髪でも絡まっているのではないかと思うような違和感、痒み、微かな痛みがある。長く眠る気配がした。燈火を消し、掛布の下で身を縮める。
ともだちにシェアしよう!