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二人の初夜の話(1/2)

 時は一年と少し前に遡る。 「そろそろ、恋人になってみないか」  真の身辺で巻き起こっていた問題が一通り解決し、真が拓兎の家に引っ越したその日の午後九時。やっと荷物の片付けも済み、落ち着いたところで拓兎は真の身体を抱き寄せると、彼の耳元でそう囁いた。急に鼓膜を震わせたその言葉に真は尻尾を踏まれた猫のような声を出すと頬を赤く染めた。 「どうしたんだよ、急に」 「「急に」じゃなくて、「満を持して」だろう。何年待ったと思う? 七年だぞ。七年」  熱っぽく笑うと拓兎はゆっくり真の着ている黒いタンクトップの下へと手を滑り込ませる。その手つきに真は背筋を粟立たせると思わず口を塞いだ。こうでもしないと声が漏れてしまう。  確かに、長く待たせてしまった。二人が身体を重ね、思いを交わし合ったのは高校時代の秋。そのとき、互いが好きだと、愛し合っていると確認したのだが、真の中学時代のトラウマが邪魔をして恋人同士になることはなかった。それから、真のトラウマを和らげるための治療と称した過度なスキンシップやキスは繰り返されてきたが、恋人という関係に踏み込むことは無く、大学進学を機に住む場所が離れ、拓兎のメジャーデビューや真の就職が重なり会う頻度がぐっと減ってからは――会う直前までは、抱くだ抱かれるだということばかり考えているはずなのに――実際久しぶりに会えば、ご飯を食べ近況報告をして終わりと言うことが多くなり、色や恋からは遠のいていく一方だった。  そういえば、最後に裸で抱き合ったのはいつだろうか。  真がそんなことを考えていると、拓兎は遂にジーパンの上から真の尻を揉み拉き始めた。情緒など微塵もない。流石の真もこれには黙っていることが出来なかったらしく、拓兎の腕を振りほどき叫び声を上げた。 「やめろよ! な、なにすんだ、この変態!」 「変態ではなく天才なんだが?」 「うるっさい! いきなり人の尻揉む天才がいてたまるか!」 「正直なところ、かなり溜まってる。長いことしていないからな。というわけで、やらせてくれないか」 「唐突すぎるんだよ。如何した、お前、思考力落ちてない、」  最後まで言い終わるより先に真の言葉は拓兎の口の中へ吸い込まれていった。小鳥がついばむようなキスは次第に粘っこく深くなっていく。水音が大きくなるにつれ味は濃くなり、舌で優しく上顎を撫でられると足が震えた。  拓兎の「恋人にならないか」という言葉についてわりと真剣に考えていたのが馬鹿らしくなるくらいに真の脳内回路が破壊されていく。脳内が次第に「気持ちいい」に埋め尽くされていく。 「――っは、あ……たくと……」 「気持ちよかったか? 色々ゴタゴタしていたせいか、こうやってキスをするのも久しぶりな気がするな。セックスの方はもっとご無沙汰だが」 「そ、そうだな」 「あーあー、大学時代から同棲してたら毎日のようにセックスできたのになぁ」 「そう、だな」 「それに、お前も倒れることはなかったかもしれない」  急に真剣な声になった拓兎に驚いて、思わず拓兎の顔を見た。オニキスの瞳は黒いというより暗く、深い穴の底を思わせる。その目を見つめるだけで、真は腰の辺りに電気が流れたような感覚に襲われて拓兎の腕を強く掴んだ。 「……なあ、なんで、同棲しようって話しを受験前に出したとき、嫌がったんだ? もしかして、俺の事が、」 「違う。違うんだ。拓兎、」 「好きで好きで堪らなくて、これ以上一緒にいたら自分を見失いそうになったから、とか、そういうことか?!」 「うぉおおぉお、腹立つけど正解だから何も言えねぇ!」  顔を真っ赤にしながら真が叫ぶと、拓兎は自信満々な笑みを浮かべ、真の頭を掻き乱した。真が怒りにかまけて拓兎の胸を叩き続けてしばらく後。やっと落ち着いた二人は、一旦ソファに腰を下ろした。拓兎が淹れた温かい紅茶を一口飲むと、真はしばらく口の中で言葉を咀嚼した後、ゆっくりと言葉を吐き出した。 「昔俺が犯した罪への――自分の「拓兎が好き」って気持ちを殺したことへ対する償いでさ、自分の気持ちを認めて素直になればいいって、拓兎が言ってくれただろう。その為に、拓兎は、俺のトラウマとか心の傷を治してくれるために色々頑張ってくれて、さ。気持ちいい、こととかも、いっぱい、して、さ。それが積み重なる度に、俺、どんどん拓兎のことが好きになって、好きで、好きで、愛されたくて、愛したくて仕方なくなって。 そうやって、罪滅ぼしをしていく度に、自分の気持ちに素直になる度に、拓兎に愛されることに、拓兎とそういう関係になることに対する恐怖とか、拒否感とかを覚えることは少なくなったんだけど、今度は、拓兎のことをどんどん好きになっていくのが怖くなっていったんだ」 「怖く、な」 「なんだろう……好きになればなるほど、深い闇に堕ちていくような。そんな感じがして、怖くて……だから、お前をわざと遠ざけようとしたんだ。だけど、そうしたら今度は、寂しくて、辛くて仕方なくなって、挙句、治してもらったはずの心の傷が開きだして、ネガティブになって、体調崩しちゃった」  真は乾いた笑いを浮かべる。喉を潤すために口に含んだ紅茶の味と熱が体中に広がって、気分まで微睡んできた。 「……今回さ、倒れて、拓兎に心配されたり怒られたり、いっぱい尽くしてもらってわかったよ。俺、拓兎がいないと生きていけない」 「俺も同じだ。お前がいないと生きていけない。だから、」 「だから、俺の、恋人になってください。俺と、ずっと……ずっと一緒に、いてください」  真がアメトリンの瞳を潤ませながらそう告げる。すると、拓兎は今まで見たことがないくらい目を丸くし停止した。ぽかんと口を開いたままの状態が数十秒続く。あまりに心配になった真が拓兎の前で手を振り、耳元で手を叩くと、やっと拓兎は「すまん」と声を出した。 「告白は、俺からするつもりだったんだが」 「あ――悪い。つい、昂ぶっちゃって」 「いや、いいんだ! 寧ろいい! お前から、ずっと一緒にいたいといわれて、嬉しい。あぁ、どうしよう。抱きしめて良いか?」  拓兎の問いに真は無言で両腕を広げた。それに拓兎は間髪いれずに飛び込むと力強く真の身体を抱きしめた。相当嬉しかったらしい。拓兎は真の頭を撫でながら何やらメロディーを口ずさみ始めた。流石、話題沸騰中のシンガーだ。ハミングだけでもアルバムのボーナストラックに入れられそうな上手さである。 「嬉しすぎて一曲出来上がりそうだ」 「大げさだな。でも、久しぶりにお前の生歌聴いてみたいな。最近、テレビかCD音源しか聴いてなかったから」 「言ってくれれば家に押しかけて歌ってやったのに」 「それは、確かに嬉しいけど……」 「でも、これからは毎日、俺の歌を聴かせてやれる。歌だけじゃない。愛の言葉も、たくさん、言ってやれる」 「それは……」  楽しみだ。そう頭の中で言うと同時に思わず口の端が緩み、真は慌てて唇を噛んだ。心臓がうるさい。今にも心が爆発しそうだ。嬉しくて仕方が無い。真はふわふわとする思考の不安定さと、身体に染みこむ多幸感に陶酔しながら拓兎の背中に手を回した。  こんなに幸せで良いのだろうか。ぼんやりと頭に浮かんだ言葉に意識が現実に引き戻される。だが、目が覚めていたのはほんの数秒で、真の意識は直ぐに幸福の海に沈んでいった。  拓兎の首元に顔を埋めれば甘い花の香りが鼻腔をくすぐる。彼の周りを漂う空気を吸い込んで呼吸をするだけで、脳が微睡むらしく、真は次第に口で息をし始め、その吐息には艶が滲み始めた。その音が拓兎の耳にダイレクトに飛び込み、拓兎は唇から赤い舌を覗かせる。 「……いい音だ。もっと聴かせてくれ」  拓兎は無理矢理真の顔を自分の方へ向け、彼の口へ自分の指を滑り込ませる。真は好物を口の中に放り込まれたかのように夢中になってそれにしゃぶりついた。白く冷たいそれを舌でなぞりながらに溢れる音はどんどん卑猥に蠱惑的になっていく。 「あぁ……可愛いよ、真。食べてしまいたいくらいだ」  ライブの時に見せるときとはまた違った興奮の色が拓兎の瞳に宿る。獣のようなその瞳に、真は完全に囚われてしまったようで、夢中になって拓兎の左手を味わい続けた。  人差し指。次に中指。今度は薬指をくわえ込んで、その根元に軽く歯を立てる――しばらくして拓兎の指の感覚を舌で堪能仕切ったらしい。真は咥えていた指を離した。ねっとりとした液体が銀の糸を紡ぎ、プツンと切れて下へ落ちた。その雫を追うように、真は不意に俯く。 「――あ、」  下へ向けられた視線。その先に拓兎の熱の蟠りが写り、真は思わず溢れ出ていた唾液を飲下した。何も考えないままに荒息とともに右手をそこへ伸ばすが、それは透明な粘液でベタベタに汚れた拓兎の手によって制止されてしまう。不満げに拓兎を見上げれば、彼は余裕綽々に目を細めた。 「だーめ」 「でも、」 「続きはベッドでしよう。な?」  微笑みとともに与えられた提案に真は一度だけ頷き、ゆっくり立ち上がる。 「準備するから、」 「準備?」 「昔、恋人同士になったら、最後までしてくれるって、いっただろ?」  だから、と言って真は右手で胸元を握りしめ、左手で自分の臍の下辺りを撫でる。熱で蕩けた瞳が、両眉を上げながら一瞬息を止めた拓兎を捕らえた。 「恋人同士になったから、外だけじゃなくて、中もいっぱい――拓兎ので、撫でてくれるんだよな?」  不安以上に期待が込められた声に拓兎はしばらく驚いた様子で呆然としていたが、直ぐに笑い声とともに法悦の表情を浮かべ、真の腰へ手を回す。そして、静かに手を滑らし尾骶骨に触れた。  それと同時に漏れた嬌声に拓兎は背筋が甘く痺れて脳まで届くのを感じる。荒く息を吐き笑いながら、自分の想像以上に真が自分の垂らした甘い蜜に溺れてくれている事を痛感した。  真の膿んだ傷口に丹念込めて塗り込んできた愛情と快楽の蜜が、どれほどまでに真の身体に染みこんでいるか。どれほどまでに、真が「堕ちて」いるか。それがわかればわかるほど悦びが沸き上がると同時に、未知の感覚を掘り出されるような恐怖にも似た愉悦がじわじわと滲み出て来る。言葉を発そうと、拓兎は自分の口に溜まった生唾を飲み込み、粘ついた音とともに口を開いた。 「お前が望むなら、お前の望むようにしてやるよ」  その言葉に真はパッと明るく、それでいて何処かほの暗さを孕んだ笑顔を見せた。何度も何度も、うわごとのように「嬉しい」と呟きが漏れる。その言葉をまさか口に出しているなど思っていなかったのか、真はしばらくした後に急に息を呑むと顔を赤くしながら俯き、拓兎から遠ざかった。 「俺は……赦してもらえたの、かな」 「「かみさま」に、か?」 「あの日の罪を、もう、償えたんだろうか。もう、拓兎から愛されることを、拓兎を愛することを、許してもらえるのかな」 「――苦しいか」 「え、」 「俺と恋人になることが、俺がお前の身体の中奥深くにまで入り込んでお前を愛撫しようとしていることが、今、この状況が辛くて、怖くて、苦しいか」 「……」  真は直ぐに首を振って拓兎に抱きつく。正直、まだ、胸の奥にじりじりとした痛みが、何かに、誰かに謝り続けたいような衝動が居座り続けているが、耐えられないほどのものではない。それに、ここで首を振りたくはなかった。 「なら、それが答えだ。大丈夫。お前を責める意地悪な「かみさま」はもうここにはいないよ」  そう。ここにはもう、「かみさま」なんていないのだ。ここにいるのは二人だけ。神でも何でも無い。唯の人間の恋人同士が二人。いるだけだ。  安心感で胸の奥がじんわりと温かくなってきた。幸せ。今こうして身を寄せているだけで幸せなのに、もっと深く交わりたいと、もっと幸せになりたいと強欲にもそう思ってしまう。 真は拓兎から離れると、静かに寝室を指さした。 「……お、俺は俺で準備するから――その、むちゃくちゃ、時間はかかると思うけど、慣れていない訳じゃないから、そんなには待たせないと思うし――拓兎は拓兎で準備して待っててくれ」 「あ、あぁ……ん? おい、待て、今慣れていない訳じゃないっていったな? どういうことだ」 「そんなに、怪訝な顔をしなくても……ちがくて、だな、その、浮気でも、風俗でもないから安心して欲しいんだけど、」  恥ずかしさのせいか耳まで赤くして、真は声を震わせた。そこに文字が並んでいる訳でもないのに、床を見つめながら言葉を探す。汗をじっとりと額に滲ませながら、真はひとしきり悩んだ後にまず「怒らない?」と拓兎に尋ねた。 「何が理由かは知らないが怒りなどしないよ」 「引いたりも、しない?」 「しない」 「き、気持ち悪いって思ったり、」 「絶対にしない」  淡々と、率直にそう返す拓兎に真は胸をなで下ろし、長く息を吐いた。 「大学入ってさ、お互いの下宿先が遠くなったり、拓兎がデビューして忙しくなったりして、中々会えない日が続いただろう? だからかな……だからだろうな。久しぶりに、お前に会えるってなったときに、嬉しさと一緒にそういう期待も大きくなっていって、今日もしかしたらそいう雰囲気になっちゃうかもって、「もしかしたら、してもらえるかも」なんて、思っちゃったりして、まだ、恋人にもなってないのに、早とちりが過ぎるって話しなんだけどさ、勝手に盛上がっちゃって、」  言葉の端々に「恥ずかしい」をちりばめながら、そこまで言って、真は口を閉じた。流石に自分の口から皆までは語れなかったらしい。再び顔を伏せた真に愛おしさばかりが積もって行くと同時に圧倒的な後悔が重なっていった。 「つまり、あの日会ったお前も、あの日会ったお前も、準備万端だったって事か」 「そう、だな」  あぁ、何故自分は真が、食われたくて自分で下ごしらえをして、ソースを纏って皿の上で腹を出していたというのに、箸一つ付けなかったのだろう。据え膳を食わなかったのだ。男の恥の塊だと言われても仕方が無い。 「ごめんな、俺に食われたくて仕方が無かっただろうに、食ってあげられなくて」 「いいんだ……今日、残さず食べてくれるなら、それで」 「……はは。いいな。良い声だ。恥じらいと期待で揺れるお前の声はとても可愛らしい。そんなに顔を赤くして、どんなことを想像しているんだ。どんな風に食べられるのを、想像しているんだ」 「……どん、な……っ、風って、」 「いけない子だなぁ、真は。俺と気持ちいいことしたくて、愛し合いたくて仕方が無いんだな」  そう言われ、真はぎゅっと唇を噛んで拓兎から目を逸らした。心臓がパンクしそうだ。今の段階でこれなのに、いざ本番をしたらどうなってしまうのだろう。急に不安でまたパンクしそうになった。 「……手伝ってやろうか? 下準備」 「うるっさい!」  何かの鎖をほどくように身体を震わせ大声を上げた真は、愛用のリュックサックの中から何かを取り出すと、そのままリビングから走って出て行ってしまった。 「あー……イチジクの……現物始めてみたな」  拓兎はぼんやりとそんなことを宣うと、わざとらしく「さてさて」なんて言葉を吐きながら、自分の準備をするために立ち上がり寝室へ向かった。 ――あー、緊張する!  互いにそんなことを思いながら、部屋の二カ所でほぼ同時に扉が閉まる音がした。

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