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真がピアス穴を開ける話

 あれは、大学に入って一ヶ月後のある日のことだった。  大学のオリエンテーションやら初めての履修登録やら講義やら――様々な初めてで忙しなく、中々心を休める事が出来ない毎日が続く。そんな中、やっと大学生活に慣れ初め、そろそろサークルに入ろうか、バイトを始めようかどうしようかなんてことを考えていた俺のスマートフォンに拓兎から「今晩会いたい」という短いメッセージが送られてきた。  拓兎と俺は大学進学を機に、初めて物理的に離ればなれになった。初めて違う学校に通い、お互いの下宿先も一駅分ほど離れている。そうなると――しかも唯でさえ大学の行事事で手一杯になっていたせいで――悲しいくらいに自然に二人で会う時間が減っていた。  今まで、ほぼ毎日顔を合わせていたという生活がある意味では異常だったのだろうがその異常が最早正常になってしまっていた俺は、たった一ヶ月間、彼と会わなかっただけで、メッセージを送り合わなかっただけで、自分でも戸惑うくらいの寂しさに支配されてしまっていた。  だからだろう。俺は久しぶりに届いた彼からのメッセージに直ぐに返信を送り、本堂は電話をしたい気持ちを抑えて返信を待ち続けた。すると、俺と同じで彼も空きコマの時間潰し中だったのだろう、直ぐにメッセージが返って来て、俺達は久しぶりにその日の晩に俺の下宿先で会うことになった。  正直、それ以降の講義はまともに受けられなかったし、友人らから「彼女か」「デートか」「お泊まりか」と散々言われ続けた。相当緩みきっていたのだろう。そう自覚してもどうすることもなく、やっと頬の緩みを止めることが出来たのは拓兎にそれを指摘され頬を触られたときだった。  漫画のような「ドキッ」という音とともに顔が引きつる。音を立てて唾を飲めば唇に拓兎の吐息が触れた。 「可愛い」 「拓兎……」 「あぁ、久しぶりの真だ……なあ、キスしていいか? いいよな?」 「う、うん……」  俺が頷くと拓兎はゆっくり唇を重ねた。僅かに口を開けばそれに応えるように拓兎が舌を差し入れ、俺は頭の端で「ずるいな」と自分を責め続けた。拓兎に触れられると嬉しい。そう思うと同時に「このままではダメだ」という自分もまだいる。あんなに熱烈に「俺にはお前しかいない」と告白されているのにもかかわらず、「拓兎には俺以外にもっといい人がいるはず」という染みついた観念が離れない。  それに、高校三年生に上がった頃くらいから、彼から貰う言葉が、熱が、何もかもが甘くて、気持ちが良くて、それを浴びていると深くて暗い底のない沼へ落ちていくような感覚がして怖いのだ。自分が、自分としての形を保てなくなってしまうようなそんな微睡みに包まれるのが酷く恐ろしくて。そんな甘い恐怖に四六時中身体を浸けているのが怖くて、俺は高三の冬――拓兎の大学の合格発表があった日に彼が言った「一緒に暮らそう」の言葉に首を振ったのだ。  そのくせに、今は寂しくて、怖かったはずの熱と悦を求めているのだから自分でも訳がわからない。本当に、自分はどうしたいのだろうか。そんなことをぐるぐると考えていると、拓兎の顔が離れる。すると、拓兎はニヤニヤと笑ったままで俺の耳たぶを執拗に触ってきた。 「何だよ、耳なんて触って」 「ん? いや、きっと似合うと思ってな」  何の話しだろう。訳がわからないまま首をかしげたときに、拓兎の耳元に目が行った。キラリ。拓兎の耳たぶにシルバーの丸いピアスが刺さっているのが見えた。  俺が知らない間に、拓兎がピアス穴を開けていた。  きっと、拓兎はピアスをするだろうなと思っていたし、俺の周りも大学に入った今この時期にピアス穴を開けている人はたくさんいたため別に驚く必要は一つもなかった。でも、何故か拓兎が「俺に言わずに」ピアス穴を開けたという事実に、驚きともまた違う、妙な引っかかりを覚えた。  俺が「引っかかっている」事に気が付いたのだろう。拓兎はわざとらしく耳を触ると「似合ってるか?」と笑った。そんなの当たり前だ。俺が無言で何度も頷けば、拓兎は満足そうに笑い、立ち上がった。そして、もって来ていた小さな紙袋を俺の方へもって来た。 「はい、これ」 「え? なに?」 「誕生日プレゼント。渡せてなかっただろう?」 「あ――」  そうだ。大学のオリエンテーションと重なって忘れてしまっていたが、四月の五日は拓兎の、八日は俺の誕生日だった。確か当日はメッセージを送り合うことはしたが、実際に会うことは出来なかった。  俺は拓兎から誕生日プレゼントを受け取ると、慌てて立ち上がり、自分も拓兎に渡そうと準備をしていたプレゼントを彼に渡した。毎年、誕生日はお互いに好きな食べ物を奢るというのが定番であったため、こうやってものを渡し合うのは初めてだ。なんだか妙にドキドキする。そんな俺に微笑み、拓兎は俺の震える手から小さな箱を受け取った。 「先に開けていいか?」 「おう。お前の方が三日俺よりお兄ちゃんだし」  なんだそれ。そういって眉を下げ、拓兎はゆっくりと箱を開いた。緊張する。果たして気に入ってもらえるだろうか。唯々、拓兎を見つめた。彼は箱の中に入っていたシルバーの細いチェーンを白く長い指で掬う。チェーンを引き上げればその先でシルバーの十字架が揺れた。 「クロスのネックレスか。へぇ……真らしいセレクトだな」 「拓兎に、似合うと思って」 「はは、嬉しいよ。なあ、真、つけてくれないか?」  差出されたネックレスを受け取ると、俺は言われたとおりに彼の首にネックレスを巻いた。かんを留めると拓兎はゆっくりとこちらへ振り返った。 「いいな。真がくれたものを身につけていると考えるだけで昂ぶるよ」  鼻歌を歌う拓兎に心臓が潰れそうになる。そんな風に考えられるとは思わなかった。拓兎が、俺が上げたものを身につけている。その事実を反芻すればするほど身体の熱が上がっていった。 「可愛いな。林檎みたいだ。食べていいか?」 「からかうな」 「悪い、悪い。ほら、俺からのプレゼントも開けてくれよ」  彼に促されるまま紙袋を開き、中に入っていた小さな箱を取り出す。とてもお洒落なデザインの箱だ。金色の文字が箔押しされている。恐らくブランドの名前なのだろうが、どこのブランドのものかは全く見当がつかなかった。故に何が入っているかも見当がつかない。  むず痒いようなふわふわとした心地のまま箱を開ける。するとそこには白い布の上に鎮座するシルバーのピアスが一対。見覚えがあるデザイン。俺は勢いよく拓兎の方を向いた。  すると、拓兎は数分前にそうしたように、俺の耳たぶを、まだ穴も何も開いていない俺の耳たぶを撫でる。そういうことか。全て理解できたが、俺は確認のために拓兎に問いかけた。 「これってさ、」 「うん。俺とお揃い♡」  そう笑う拓兎の顔が一瞬、人を惑わす悪魔のようにも、純真無垢な天使のようにも見えて目眩がした。 「真に俺と同じピアスつけて欲しくてさ。それにこうすれば、離れていても、俺の事を感じられるだろう?」  いつも愛を囁いているときと同じトーンのはずなのに、何故か拓兎が少し怒っているような気がした。怒っているとは違う。何故か、少し切なそうだった。そういえばさっき「離れていても」と言っていたときに声の音量が少し大きくなったような気がする。もしかして、拓兎は――。 「なあ、真、つけてくれないか?」  聞き覚えのある台詞。甘ったるい声と耳たぶに走る鈍い痛みに浸りながら、俺は胸もとを握りしめた。  それから数日後、次の講義のある教室へ向かっている途中、俺は背後から声をかけられ振り向いた。そこには同じ学科の同級生――オリエンテーションのときに隣の席になって、それから仲良くなった田辺が立っていた。 「よう、高藤。何か嬉しそうだな。いいことあったか?」 「そうか? 別に、変わったことは……」  何かあっただろうか。考えていると田辺は俺の顔をのぞき込む。そして不思議そうに首をかしげた。 「あれ? お前、ピアスなんてつけてたっけ」  心臓が高鳴る。あの時、耳を撫でられていたときと同じような感覚が耳を優しく包んだ。 「開けたんだ、ピアス穴。プレゼントされて」 「へぇ。お前って、そういうキャラじゃないと思ってたけど……」 「なんだよキャラって」 「キャラはキャラだよ。さては、彼女からプレゼントされたな、それ!」  そう言う田辺の言葉に俺は唯、事実だけを口にした。 「唯の、幼馴染だよ」  疑心の目を向ける田辺の視線を無視する。初夏の風がふわりと耳を撫でていった。   

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