9 / 14
二人で一緒にお風呂に入る話
「真! 一緒に風呂入ろうぜ!」
「うっわ、何?! 寒ッ!?」
突然浴室の扉を開け放たれ、真は文字通り身を震わせると髪の毛を洗っていた手を止めた。勢いよく扉の方を向けば、いつ帰宅したのかレコーディングから帰ってきた拓兎が全裸でそこに立っていた。
風呂に入るのだから全裸なのは当たり前なのだが、それでも突然眼前に裸の恋人が現われ真は露骨に慌てふためくと直ぐに目を逸らす。その様が面白かったらしく、拓兎はにやけ面を浮かべ浴室に入ると扉を閉めた。
カチャリ、と普段風呂に入る際には聞かない音がする。真がその音が何なのかを理解した途端、拓兎の身体が背中に張り付いてきた。思わず溜息が漏れたのは、今日のバイトがいつになく忙しなく暇が無かったせいだろうか。
嫌いでも嫌なわけでも無いが、今日は、今日だけはゆっくり湯船に浸かって疲れを落としたい。そう思っていた真はその計画が今まさに頓挫したことを嘆くように一心に髪の毛を掻き乱すように洗った。
「如何した真。お前が大好きな俺の裸だぞ。もっとじっくり見ないのか」
「べ、別に好きじゃ、」
「嘘吐け。いつもうっとりした顔で俺の身体見ているくせに」
「洗いづらいから離れろ」
頬を膨らませ桶に風呂の水を汲もうとした真の姿を見て、何か勘づいたらしい拓兎はその身体から離れると、浴室の鍵を開けるとそのまま出て行ってしまった。まさか出て行かれるとは思っていなかった真の方は、水を被りながらポカンと口を開ける。
疲れていたからとはいえさすがに冷たく当たりすぎた。慌てて彼を追いかけようと立ち上がった真に浴室の方から声がかかった。
「直ぐ戻るから身体を洗って待っていろ」
風呂椅子が滑る音か何かが聞こえたのだろう。真は恥ずかしさと安心感で火照る身体を、拓兎に言われたとおり洗い始めた。甘い匂いのするボディソープを泡立て身体へ滑らせる。全身がほぼ泡で覆われた頃に、拓兎が浴室へ戻ってきた。その手には大きめの紫色の球体が握られている。一体何をもって来たのだろう。首をかしげた真に笑いかけると拓兎はそれを湯船の中へゆっくりと沈めた。
シュワシュワと音が弾ける。その音に真はゆるゆると目を輝かせ浴槽へ近づいた。
透明の湯の上を浮かんできた紫色の球。それはまるで絵を描くように球は回転しながら湯の上を滑っていく。次第に湯の色は淡い紫色に染まり、ほのかに花の匂いがし始める。湯を混ぜるために手を湯に入れると、僅かに湯にぬめりの様なとろみのような手触りがした。化粧水か何かを触っているような不思議な感覚だ。
「ファンの子から送られてきたプレゼントに入っていたんだ」
拓兎は「良い匂いだろう」と真に言ってから風呂桶を手に取ると自分の身体を洗い流す。それと同時に良く嗅ぎ慣れた匂いが真の鼻腔をくすぐった。
「あ……」
「ん? どうした。俺の身体に見とれているのか」
「ち、違う!」
真は顔を真っ赤にしながら拓兎から風呂桶を奪い取り、浴槽の水を掬い取ると泡を洗い流し、そのまま湯船に浸かった。温かい湯が身体を包み込む。いつもより身体に絡みつく湯の中でグッと身体を伸ばしてから力を抜くと自然と口から声が漏れた。
「気持ちいい……」
ぼんやりと夢見心地で呟く真の姿に拓兎は眉を下げ濡羽色の髪にシャンプーを絡ませ、泡立てた。温かい湯に浸かっているせいか。それとも浴室に香る入浴剤の匂いのせいか。微睡んできた意識の中で真は拓兎が自身の身体を清めていく様を見つめた。
これだけで、ドラマのワンシーンを見ているようだ。白い肌が薔薇色に染まる。ほどよく、美しく身体に付いた筋肉の上をなぞるように真っ白な泡が滑っていく。その泡を滑らせる指先が、腕の動きがどこか妖艶で真は享楽にも似た感情を覚えながらその様を眺めた。
その視線にあまりにも熱がこもっていたせいか、拓兎はくすぐったそうに笑うと風呂桶で、真の身体に当たらないように湯を掬い身体の泡を流すと首をかしげる。
「バイト、大変だったのか」
「……? なんで?」
「酷く、疲れているようだから」
「ばれた?」
ぼんやりと呟く真に拓兎は「声を聞けばわかる」と言うともうほとんど湯に沈みそうになっている真の身体を引き上げ、膝を立たせてから真と向かいような形で湯に浸かった。拓兎も普段とは違う湯加減が大層気持ちよかったようで喉の奥から声を漏らすとグッと身体を伸ばした。
「いいな、この入浴剤。いつもとは違う気分を味わえる……なんか、ぬめ……トロトロしてるし。保湿効果があるタイプなのかもな」
「それに、良い匂いするし」
「お前こういう匂い好きだろう」
「うん……拓兎の香水の匂いと似てる」
ラベンダーとバニラ。それにイランイラン。夢の世界に誘うような甘美な香り。その香りを嗅ぐだけで真は身体から力が抜けていくような心地を覚えた。安心する匂い。
大好きな香りに浸っている真を見ながら、拓兎は満足げに笑うと静かに両手を拡げた。その意味を直ぐに理解し、真はそのまま身体を上げると拓兎の胸に飛び込む。じんわりと、拓兎の熱が伝わってきてさらに眠気が増してきた様で真は何度も瞬きをした。
「ごめんな、たくと」
「何がだ?」
「えっちしたかったんだろ、今日。お風呂でしたいとき、拓兎いっつも風呂の鍵閉めるから」
「したかったけど、お前疲れてるし、それに、こうやってゆっくり一緒に湯船に浸かるの、気持ちが良くて好きだろ?」
「ん……すき……」
「だから、全く問題ない」
拓兎は濡れてへたった真の髪に指を差し込み優しく撫でる。真が強請るようにその手に頭を押しつけると拓兎は鼻歌を口ずさみながら少し強めに真の頭を撫でた。
「あんまり長く浸かりすぎたらのぼせるから、もうしばらくしたら出ような」
「うん」
「ふふ……眠たいんだな。大丈夫。出たら俺がトリートメントもドライヤーも保湿も全部やってやるからな」
普段は風呂から出ても髪をドライヤーで乾かすくらいで他に拓兎が列挙したことは何もしていないのだけれど。そう思った真だったが、拓兎にいっぱい触ってもらえるならばいいか、と微笑みながら目を閉じる。
花の匂いが香る黄昏色の湯の中。二人は抱き合いながら心地の良い熱を味わい合った。
ともだちにシェアしよう!