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バレンタインの話

「お前はサプライズへったくそやからなぁ。ちゃんとばれずにプレゼント出来るんか?」 「ははは! 何のことやら。普通に花屋に寄って、普通に帰宅し、花束を渡せば良いんだろう? 簡単なことだ」 「その間絶対に真ちゃんに「花束を買って帰るから、花瓶を準備しておいてくれ」とか言ったらあかんで」 「安心しろ。花瓶ならテーブルの上に置いてきた」 「もうアウトな気ぃするわぁ……」  スタジオでの収録後。チョコレートの匂いと恋人達の雰囲気、両方の「甘さ」が漂う街中を行ながら俺達はそんな会話をしていた。  今日はバレンタインデー。世間一般的には「愛を伝える日」もしくは「感謝を伝える日」とされている。街の至る所に薔薇やリボン、ハートの装飾が施され、「年に一度の特別な日」「あの人に思いを伝えよう!」等と書かれたフライヤーが様々な店に貼られており、ある種の圧さえ感じるほどだ。  正直、バレンタインデーはあまり好きではない。  俺が美しすぎるが故の罪でもあるのだが、バレンタインデーは昔からプレゼントと告白のラッシュだった。両手がチョコレートの入った紙袋でいっぱいになり、休み時間の度に呼び出される。ありがたい話ではあるのだが、正直に言うととても疲れてしまう。  しかも、プレゼントの全てが全て「安全な物」とは限らない。渡された食べ物の中に「体の一部」や「体液」が入れられていた経験も過去に数回あった。そういう意味でもバレンタインデーはあまり好きではないのだ。  だが、そんな俺は今からバレンタインデーに便乗して真にプレゼントをする。  サプライズプレゼントをしようと思ったのにはとあるわけがあった。  といっても対した理由ではない。数週間前、花屋で見かけたとある花がとても綺麗で、衝動的に「真にプレゼントしたい」と思っただけだ。真はきっと俺のプレゼントを喜んでくれる。そう確信しながら、花を注文しようとしたとき店に掛けられていたカレンダーが目に入ったのだ。  もうすぐ二月十四日――バレンタインデーではないか。そのことに気が付き、どうせなら「バレンタインのムード」に乗ってみようと今回のサプライズを計画したというわけだ。 「まあ、サプライズ成功祈っとるわ」 「あぁ、任せろ」  花屋の前でアカネと別れると俺は花を受け取りに店内へ入った。色とりどりの花が並び、甘い花の匂いが立ちこめる店内。俺は早く真に花を渡したくて――事実、今日まで真にこのことを話さず我慢していたその限界が来そうなのだ――花を受け取ると足早に店内を出て家へ向かった。  どこからかバレンタインソングが聞こえてくる。そういえば、まだバレンタインをテーマにした歌は書いたことがなかったな。そんなことを考えながら手に持った花を見る。何となく苦手意識があってこの日の存在を避けていたが、これを機にバレンタインソング考えてみるのも良いかもしれない。例えばメロディは、心がわくわくしつつも緊張している様子をイメージして――と考えているところでスマートフォンが震えた。  ポケットからスマートフォンを出して確認する。画面に表示されているのは電話の通知。発信者の名前を見て俺は直ぐに通話ボタンを押した。 「どうした?」  俺の声に真は直ぐに「あ、」と声を上げる。その後続けて「間違えて通話押しちゃった……」と小さな声が聞こえた。電話越しにでもわかる。きっと今の真は薄紅色に頬を染めて俯いているはずだ。想像するだけで愛らしくて抱きしめたくなる。今目の前にいないのがもどかしくなった。  スマートフォンの向こう側からは「えっと、」や「あの、」と可愛らしい声が聞こえてくる。どうやら何か話すことを探しているようだ。一分近くもごついて、真は「あ!」と今度は何かを思いついたらしい声を上げた。 「なんか机の上に花瓶が置いてあるんだけど、これなんだ?」  一瞬、アカネの心配する言葉が脳裏にちらついた。 「気にするな」 「え?」 「気にするな」 「お、おう……わかった」 「もう少しで家に着く。待っていてくれ」  真の頷く声を聞いてから通話を切る。少し強引に話を切ってしまった。帰ったらリカバーをしないと。俺はさらに歩く速度を上げた。  スタジオと花屋が自宅の近くだったからだろうか。それとも真に早く会いたいという気持ちが体を軽くしたのだろうか。想像していた時間より遥かに早く俺は自宅に辿り着いた。  扉の前に立ち鍵を開ける。扉の前でライブ前にそうするように大きく、ゆっくりと息を吸って。吐いて。扉を開けた――その直ぐ先に真が立っていた。 「ただいま」 「おかえ……り」  真の視線が俺の手元へと向かう。どうやら気が付いてくれたみたいだ。だがサプライズ。ここはあえて白々しく接することにした。 「どうした?」 「そんな気はしていた」 「何のことだ?」  そう言いながら真に花を差出す。真は目の前に出された白と紫色の包装紙でラッピングされた黒い花を受け取ると咳払いを一つ。そして、くるりと目を丸くした。 「……わ、わぁ! なんだこれ、薔薇の花か?」 「あぁ、そうだ。驚いたか?」 「驚いた。嬉しいよ」  真は何処か含みのある笑いを浮かべる。思わず首をかしげると真は俺の目を見てやはり何処か面白そうに――その中に暖かな色を含めながら笑うと花の観察をし始めた。 「黒い薔薇なんて珍しいな。一瞬薔薇ってわからなかった」 「確かに薔薇といえば赤色が定番だからな。だが――」  赤色は真にとっては「意味のある色」だから避けたかったのだ。最近調子が良さそうだがまたいつ真があの日のトラウマを――俺に対して抱いている罪悪感を思い出し苦しみの中に堕ちるかもしれない。そのきっかけが俺のプレゼントだなんて悲しいことは避けたかった。だから俺は、花屋の店先に置いてあった黒い薔薇をプレゼントに選んだのだ。  ちなみにどうして黒にしたかというと、ファンの間での俺のイメージカラーが黒だから、というのは内緒である。 「黒い薔薇の花言葉が思いの外良くてな。お前に贈りたくて今日この日――バレンタインを選んだというわけだ」 「そうか。早速花瓶に飾ろう」  俺は頷き真の後に続いてリビングへ向かう。リビングの扉が開かれた瞬間、甘い匂い――花でもチョコレートでもない甘い香りがふわりと鼻腔をくぐり抜けていった。何の匂いだろうか。何か、焼き菓子のような匂いがする。 「なんだか良い匂いがするな」 「何の匂いだと思う?」 「……これは、」  思考を巡らせながらリビングを彷徨う。ふと目を向けた食卓の上。たっぷりと水の入った花瓶の隣に何か置かれていた。ゆっくりとそれに近づく。食卓に置かれていたのはパイだった。艶やかな茶色い焦げ目がついたアップルパイ。俺の好物がそこには置いてあった。 「バレンタインだから、作ってみた」 「……」 「驚いたか?」 「驚いたし、嬉しいよ」  思わず大きな声でそういうと、真は嬉しそうに笑った。まさに「ドヤ顔」といった表情をしている。非常に愛おしい。  俺は花瓶に花を挿した真を椅子に座らせ、その隣に座ると八つに切り分けられたアップルパイの一切れを取り皿に盛る。できたてらしい。ゆらゆらと湯気が立ち上っていてとても美味しそうだ。  いただきます、と手を合わせてアップルパイを口へ運ぶ。パイを口に入れた瞬間、口いっぱいにパイの香ばしい香りとカスタードクリームの滑らかで優しい甘さが広がった。ゆっくりと咀嚼をすると林檎の甘酸っぱさが舌を包む。その味にさえも優しさを感じ「真が作った料理だ」とそんな当たり前のことを実感した。 「大丈夫か? 味」 「あぁ。美味しいよ。今まで食べたアップルパイの中で一番美味い」 「大げさだな」 「心の底からそう思っているよ」 「……ありがとう」  真は顔を赤くしてぎこちなく微笑むと、飾られている黒い薔薇に目をやった。夜の闇を流し込んだような漆黒。それを紫がかった黄昏のような淡い色の瞳を持った彼が見つめている情景は、なんだか詩的でロマンチックだ。 「そういえば、黒い薔薇の花言葉ってなんなんだ?」 「実は暗い意味もあるんだ」 「確かに黒い花はそんなイメージがあるな」 「「あなたを恨む」って意味がある」 「恨んでる?」 「まさか。確かに、たまに憎たらしく思うほどに可愛いと思ってはいるがな」 「そ、ういうのはいいから……で、それだけじゃないんだろう?」 「あぁ。良い意味もあってな。そっちをイメージしている」 「どんな意味だ?」 「決して滅びることのない愛」  じっと見つめた真の目が見開かれる。瞳の色がパッと明るくなったような気がした。 「今日の日にぴったりだろう?」 「あぁ……そうだな」 「ふふ、顔が真っ赤だぞ。可愛いな」 「からかうな」 「ほら、お前も食べろよ。美味いぞ。はい、あ~ん♡」  俺の差出したアップルパイに顔を赤く染めた真が噛みつく。しばらくパイを咀嚼するとその顔は次第に花開くように穏やかになっていった。  バレンタインも存外悪くないな。そう思いながら俺は真と甘い愛の味を噛みしめるのだった。

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