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第8話

◇  口元の柔らかさには覚えがあった。勘解由小路(かでのこうじ)は靄のかかった記憶を辿る。手繰り寄せた情報が正しいか正しくないのか、確かめる(すべ)はない。唇の感触は後者を引き連れてきた。。口の中は甘苦い。人工甘味料の味とアルコールの風味だ。積極的な性商売の嬢に腕を回して抱き寄せる。いつまでも攻められているわけにはいかなかった。覚えている限り「本気になった」と3人ほどに言われたことがあるが、そのうちの誰かか、もしくは4人目だ。頭はまだ惰眠を貪りながら、舌を伸ばす。心地良い眠りだった。肩を探した。腕を降り、手を繋ぐ。指も絡め合うキスが好きだった。最後までするつもりで、その頃まで寝ながら準備に移った。 「んっ…」  猫の鳴き声が聞こえた。嬢のものだ。空いた手で胸を(まさぐ)る。気持ちの良い浮遊感と人の温もり、目覚めとともに始まる情事への期待、勘解由小路はすぐに気をよくした。しかし安酒が(もたらす)す眠気は工業油の如く粘こい。  平たい胸を服越しに愛撫し、ぷつりとした部分に大きな渦を描く。ゆっくりと中心に向かっていく。合わせた掌が退こうとする。胸の弱い嬢はすぐ気に入ってしまう。目蓋は重く、至近距離から聞こえる息遣いを楽しむ。舌もいつものような働きはできなかった。しかし唾液は甘い。相性はいい。かなり控えめな、それも硬さのある胸を撫で摩り、何度か凝っている先端を指の背で押した。強張っているのが全身から伝わった。初めてなのかも知れない。だとしたら、初の客は半分眠り()けている。下半身に手を伸ばした。 「オニイチャ……」  舌が逃げ惑い、口が離れた。甘えた声がする。兄妹シチュエーションはあまり好みではなかった。 「任せろ」  股に肉瘤がぶつかった。腫瘍がある。それか、女性器の外陰部が異常なまでに肥大化している。性病という単語で目が覚めた。視覚情報に、さらに頭が冴えていく。知らない子供が隣に寝ていた。高校生くらいのようだが体格の完成度からすると成人しているようにも思う。我が家同然の他人の家を見回した。朝日が眩しい。玄関扉の開く音がして、家主が戻ってきた。勘解由小路は慌ててブランケットをよく知らない人物に掛けて隠した。彼は手足をばたつかせて掛け布を剥ぐ。 ◇  抱き合うように寝ていたのが嘘のように宗教上の身内は隣人から離れた。二日酔いの頭痛を堪えながら缶を捨ててきた真城は助けを乞う三白眼から目を逸らす。 「れーあ~ん」  媚び(へつら)い、舌ったらずの上擦った声音で勘解由小路は真城の腕に飛び付いた。 「今味噌汁を作るから待っていてくれ」  冷めた態度で腕を振り払ってしまう。長い付き合いの相手はそれを気にした様子もない。片手と包帯から出た指を洗っていると彼は隣にやってくる。悪戯っぽく体当たりを繰り返した。幼児退行したみたいな邪悪さを秘めている。 「(おい)ちゃんもお手々洗う~」  トイレの後も手を洗わない勘解由小路が珍しく石鹸で手を洗う。 「ついでにうがいもしてい?」 「洗面所でやれ」 「了解(りょ)~」  勘解由小路が傍を離れ、真城はまだ寝ている隣人に近付いた。放られたブランケットを掛け直す。寝返りを打って彼はブランケットを抱く。情緒が荒れ狂う。飴玉が喉に留まったような首の隆起、丸みを持つほど発達した肩の筋肉、果肉を豊富に蓄えたみたいな腕、香ばしげに焼けた肌、すべてに犬歯を突き立ててみたくなった。それでいて彼の肌を痛め付けることに激しく恐怖した。寝かせておきたかった。しかし十河の寝姿が視界に入るのがどうにも落ち着かなかった。背を丸めブランケットを抱き締めて眠る友人の傍から離れられない。 「十河……背中を痛くする」  膝をつき肩を揺すった。温かい手が睡眠の邪魔をする者を嫌がる。 「十河…」 「オニイチャン……」  さらに背を曲げ、隣人は真城の膝に額を当てた。腿を抱かれる。布越しに重量感と体温を感じる。二日酔いの頭がさら疼いた。胃が焼ける。喉が渇く。触れたい。撫でたい。そうしなければ癒えない。潤わない。渦巻く欲望に頭を振る。 「もうちょっと……」 「れーあん!何これ、くそマジい!」  下の階にも響くような足音で喧しく勘解由小路がやってくる。うがい薬とコップを持っていた。 「腐ってんじゃねぇの」 「静かにしろ。彼の目が覚めるだろう」  三白眼は不機嫌になる。 「はぁ?オカンかよ」 「そんなポッと降って湧いたやつより、宗教上の家族、だろ?」 「彼とは中学から同じだが」 「俺ちゃんたちはもっと前じゃん。俺ちゃんの勝ち」  理解の難しい闘争心を露わにし、それに勝ったからといってどのような利があるのかも分からないまま勘解由小路は洗面所に引き返していった。 「…十河?」 「オニイチャン………やだ」  甘えた声は続く。腿に置かれた掌に軽く叩かれる。 「起きてくれ」  頬に触れた。口が何か吸うように動く。乾いた唇に惹かれる。邪心のなかった指がそこに向かっていく。 ―梢春(すえはる)…  声に出さずに呼んだ。背後から伸びてきた腕に捕まる。背中に体温が当たった。フルーツとミントとスパイスの香水が薫る。一瞬脈が飛んだが匂いと理性に冷めていく。 「どしたん?そいつと何かあったんけ?」 「別に何もない」 「いいや、あるね。オマエにはいつも俺ちゃんしかいなかったのに、こいつにはなんか優しいもん」  薄い頬肉を容赦なく突つかれる。勘解由小路にはいつでも見透かされてしまう。それでいて彼は手の内を明かさない。明かしているようでまったく掴めない。 「中坊時代の喧嘩が復活したとか?それとも隣人トラブル?中坊時代の(よし)みで金貸したとか?取り立ててやろうか。2、3発ぶん殴ってさ」 「やめろ。違う。彼に構うな。昨夜あれだけ打ち解けておいて……」 「打ち解けて……あ?」  勘解由小路はぐるりと宙を見回すと真城から顔を背けた。 「あれ……あのさ、俺ちゃん、朝、どんな感じだった?」  真城の神経質な細い眉が寄る。 「まるで仲の良い兄弟みたいに彼と抱き合って寝ていたぞ」  言っているうちに苦しくなった。真城は味噌汁を作りにキッチンに回る。「酔い覚ましの味噌汁を作れ、毎日味噌汁を作って欲しい」と腐りきって朽ちてもまだ繋がりの切れない奴から責付(せつ)かれてから彼のいる朝は味噌汁を作った。 「やべぇな。汚してなかったよな?俺ちゃん、夜、どんな感じだった?」 「酒を飲んで談笑していたな」 「なんか、こう、パンパンッ!あんあんっ!みたいなのなかった?」 「缶が倒れてうるさかったことか」  両側頭部に小石と紛うリングを嵌めた指を突き、ぐるぐると回した。鍋に水を汲む真城の脇を徘徊する。 「なぁ、もし俺ちゃんが過ちしていたら、どうする?」 「…程度と問題による」 「じゃ、じゃさぁ……俺ちゃんとれーあんの仲だから悔いて心を新たに改めるんだけどさ…………俺ちゃんがホモセックスしてたら?」  あからさまな単語に顔を真っ赤にする。火照った。カウンターの奥で寝ている友人が目に入った。同種のセックス。おそらく同性を指している。可能か否かは分からなかった。裸で、肌を触り合うことかも知れなかった。 「合意は……あったのか」  空返事に等しかった。真城の目は床に寝ている隣人から離れられない。 「まぁ、あったようなもんだわな」 「それなら俺に話す必要はないだろう」 「まぁ、あんだよ!あんだわ。あんの!」  鍋を加熱した途端に横から突進される。鍋の持ち手にぶつかり水が大波が起こる。 「ンだって俺ちゃんモーホーじゃねぇんだもん」 「そうか」  深く関わりたくない話題ばかりだった。溢れた水を拭く。 「どしたらい?」 「責任を取る」 「男同士は結婚できねぇって知らねぇの?」 「結婚だけが責任の取り方なのか」  乾燥わかめを水に浮かせ、豆腐を切る。包帯に水気が沁みた。勘解由小路は手伝うこともしなければ離れようともしない。そのうち後ろから身を寄せ、腰に手を回したり、肩を揉んだりしはじめる。 「危ない」 「萌えないから多分(やっぱ)ホモじゃない。オッケー?」 「それは自分だけ知っていればいいことだろう」 「自己完結型自分の頭ン中引きこもり系思い込みメンヘラ陰キャ励徳厨の邁進ヲタクは黙ってろって。世の中にゃ繁華街、駅前で、テメェの潔白を大発表しなきゃ満足イかねぇやつらもわんさかいんだよ」  勘解由小路は冷蔵庫を開けて卵を出してきた。味噌汁に落として欲しいらしかった。しかしまだ投入する段階ではない。 「きっとれーあんもその類だと思ぉね。俺ちゃんには分かる。ただれーあんの蚊だのブヨだのがピィピィ鳴くような声じゃ誰にも聞こえやしないと思うけどな」  ろくすっぽ話は聞いていなかった。床に寝ている隣人だけが彼の目には映っていた。濁りきって穢れたと持主に強く劣等感を植え付けた澄んだ瞳の中には朝日に照りながらブランケットを翅のようにして、異教絵画の清い使徒が寝ている。 「……違う」 「違くない。そうなの。俺ちゃんには分かる。俺ちゃんはれーあんのケツの毛の本数まで分かんだから」  強く否定するのも面倒で真城は黙った。聞いていなかっただけなのかも知れない。 「俺の………肉業もか」  水が沸騰の兆しを見せた。味噌を掬う。 「好きなやつがいるけど、好きなやつを好きなことが気に入らねぇんだろ?ナメんな、れーあんの心を読むなんて朝飯前なんだから。朝飯前どころか昨晩の飯前どころだわ」  新しい恋人(おんな)贔屓(おきに)の嬢、カラダだけの関係(やつ)、真城は何度も勘解由小路の隣に立つ人を紹介された。毎回違う顔、違う名前、雰囲気異なり、年齢の幅も広い。 「分からないよ、お前には…」 「分かるって。あのな、もしかして恋しちゃって、そのコイゴコロが相手に、まぁ相手じゃなくても周りにバレちまうなんてことは恋愛ド素人にはよくある。でも身内に頭の中まで覗かれてるだなんて思ったらもうそれは別の狂気(ビョーキ)だ。聡信御大の前でド卑猥(すけべ)な妄想したってバレやしねぇんだ。あのご老体の萎びた梅ケツにちんぽぶち込みてぇと思ってもな」  真城は無言のまま味噌を解く。 「卵入れろよ」  この要求にも無言だった。堅い表情で、眉間には峻厳な皺を刻み、唇は白くなっている。片手で卵を割り、さらにもうひとつ卵を足した。 「好きなやつに言うなよ、好きでゴメンって、絶対。相手、ゼッテェ、キモがる。黙って独りで耐えとくのが、償いだよ。いくら顔がキレーでも、さすがにそこまでヘラってるのはクソキメェから。純情で控えめで性欲後攻で女目線のロマンチストがモテる時代だって言ったって、不気味なイケメンは怖ぇだけだし。不気味なイケメンよりは快活なブサメンだよ。別にブサってほどじゃないけど、あんなんみたいな」  不躾な指がリビングで寝ている隣人を差す。小石なのか指なのか分からない装飾品の重さなど感じさせず真っ直ぐに伸びている。真城はそれを掴んで降ろさせる。 「流石に(ディス)り過ぎて怒った?」 「彼を指で差すな」  卵が固まり火を止める。まだ十河は目覚めない。 「片手では危ない。自分で(よそ)え。卵はひとつだけにしろ」  椀だけ出せば、勘解由小路はいくらか不服げな顔をしたが鍋に向かう。真城は十河の脇に静かに添い、彼の背を撫でた。 「十河」  キッチンチェアにうるさく座る勘解由小路の眼差しも気にならなかった。むしろ存在を忘れていた。頬が手に押し付けられ饅頭のような柔らかさを晒す。脈が飛び、身の震えるような悦びがあった。 「十河、起きろ」  その肉感を試さんばかりに真城は彼の頬を弾ませた。皮膚が手の甲に張り付く。肌理(きめ)のひとつひとつがぴたりと合わさるようだった。 「十河、もう朝だから」 「起きろや!」  怒声が爆ぜた。反射的に背後を振り返る。勘解由小路は何食わぬ顔で味噌汁を飲んでいた。 「やっぱれーあんって味噌汁作るの美味ぇわ。うんめぇ~っ」 「大声を出すな」 「俺ちゃんはいつもの出汁(だし)の白菜のやつが一番好き!」  彼は何もしていないという態度を崩さなかった。鰹節で出汁をとった白菜と玉ねぎ、豆腐の味噌汁を確かに出したことがある。真城は呆れ、十河に目を戻す。眠げな目はすでに開いていた。目が合うと、彼は筋肉質でありながら、痩身な真城に他人事のように華奢と思わせてしまう肉体で家主に抱き付いた。自制心と罪悪感の奥底で浅ましくも熱望していた感触だった。思考停止した。視界は朝日の色ひとつに染まる。ころりとそのまま転がる。 「いつまで人の身内(もん)に乗ってんだよ」  吐き捨てるように言ってからキッチンテーブルにいる腐れ縁は味噌汁を飲み干した。十河の目が彷徨う。真城は指の関節が固まったように手を彼の背中に当てることしかできずにいた。 「……あれ?」 「早く降りろよ」  十河はまだ事態を呑み込めていない様子で、真城の上で動く。再び目が合う。ブラウン虹彩の(ひだ)まで数えられそうだった。 「あ、ごめん」  軽く肘がぶつかった程度の調子で彼はこの抱擁の意味も肌の密着も気にしていない。彼の分の動揺をさらに倍にしてすべて真城が請け負った。罪のない手が退いていく。 「ごめんな、真恋愛(まれあ)くん。寝呆けちゃって」 「フツー寝呆けて人押し倒すか?どうなってんだよ」  家主を挟んで会話が始まる。昨晩の仲の良さは夢だったのかも知れない。しかし今朝まではかなり親しげに寝ていた。反比例するほどにいがみ合っている。主に昨夜隣人を引き留めた張本人が喧嘩腰だ。 「兄貴と間違っちゃっただけだもん」 「兄貴と?兄貴とは朝からおアツいハグすんのかよ?」 「そうだよ、悪いかよ、いいだろ別に!」  立ち上がりかける十河の腕を引いてまだ座っているよう留めた。真城を見ると彼もいくらか冷静になる。割って入り勘解由小路を視界から隠した。 「よせ。彼に八つ当たりするな」 「ハイ出ましたよ。ゼッテェそっちにつくと思った。それって俺ちゃんとのほうが長いからだよな?俺ちゃんに絶対的な信頼寄せてんだろ?」 「仔牛郎、やめてくれ。何をそんなに苛々しているんだ」  勘解由小路は大仰に肩を竦め、下顎を突き出して戯けた。 「すまない、十河。根から捻くれているところがある奴だから、あまり気にしないでくれ」  中学から同じだったにも関わらず、付き合いという付き合いは高校からだった友人は首を振る。 「オレのほうも、真恋愛くん()なのにごめんな。抱き着いちゃって……ちょっと急に兄貴のコト思い出しちゃったからさ」 「いい、大丈夫だ。十河がお兄さんを大切にしているのはよく知っていることだから気にするな」  外野が両手を打ち鳴らす。片足で貧乏揺すりをして頬杖をついている。 「つまんねぇ」 「二日酔いが落ち着いたら帰ることだ。十河、味噌汁を作ったから酔い覚ましに飲むといい」  2人掛けのテーブルで犬猿の仲になった2人が対面した。勘解由小路は威嚇するような眼差しを向け、腕と脚を組んだ。家主は目を離せなかった。睨んだ視線が互いにぶつかっている。殴り合い蹴り合う野良猫同士の喧嘩を彷彿とさせた。 「いただきます、真恋愛くん」 「俺ちゃんなんか毎日れーあんに手料理作ってもらってんだかんな」 「卵入ってる!すごい!」 「俺ちゃんのためだけにいつも入れてくれんだよ」 「美味しい。卵と味噌汁って初めてだけど意外と合うんだな!」 「俺ちゃんもう50回くらい食ってる」  十河は不快げな表情を浮かべた。あまり見慣れない。彼はいつでも温厚で損をするくらい人が好かった。おそらく今でもそう変わらない。 「なんなんだよ」 「オマエこそポッと出てきてれーあんにべったりで、アイツの何。俺ちゃんの何!」 「知らないよ、そんなの!真恋愛くんとはフツーに友達。そうだよな?真恋愛くん」  洗濯物を畳んでいた真城は澄み切ったブラウンの双眸に射抜かれ一呼吸分、返事が遅れた。 「さっきからまれあ・まれあって何、真恋愛(マレア)って。誰に許可取って変な名前で呼んでんだ?」 「なんでいちいち突っ掛かってくんだよ~!オレが名前読み間違えててずっと真恋愛くんだと思ってたから真恋愛くん!いいだろ!真恋愛くんもそれでいいって言ってくれたんだし。でももう恥ずかしからやめる!」 「そ―」  話題の中心になった真城は口を開いた。しかし勘解由小路の強気な声に負ける。十河は頬を膨らまし唇を尖らせた。 「そうだよ、身の程を(わきま)えろや。まずは真城さん、だろ」 「真城くん、でしょ。友達なんだし。コーシローくん昨日優しかったのに今日なんでそんなツンツンしてんの。ずっとお酒飲んでればいいのに」  小石をだらけの手が染められた前髪を乱す。そして項垂れた。 「俺ちゃんやっぱ手ぇ出してたんかよ……責任取るわ。男同士だから結婚できねぇけど、付き合うくらいなら大丈夫だろ。悪かったわ、マジで。一夜の過ちっつーか、酒の勢いっつーか。その、まぁ、だから責任取ってやるから付き合え、俺ちゃんと」 「何を言っている」  咄嗟に口を挟んでいた。十河は勘解由小路と真城を見比べる。 「十河、仔牛郎に何かされたのか」 「されてないケド……え?」 「ケツ穴にちんぽぶち込まれたなんて友達に言えるわきゃねぇだろ!ぶち込んだ俺ちゃんだって言えねぇんだから」  澄んだ瞳がきょろきょろと惑う。 「セカンドレイプするなよ、れーあん。で、返事は?責任取られて俺ちゃんと付き合うのか?付き合わねぇのか、どっちなんだ」 「じゃあ付き合う」  首を捻りながら彼は了承した。おそらく事態を把握していない。黙った真城と、不満げな勘解由小路に十河は焦る。 「えっ、何が?何に?」 「じゃ、オマエ、今から俺ちゃんの交際相手(オンナ)だから。これでいいんだよな、れーあん。そんなカオすんなよ。モーホーは確かに禁忌だけど、これが俺ちゃんなりの責任ってやつで、御大将の言う聡明で崇高で信奉的な愛かも知れねぇんだぜ。そりゃ俺ちゃん次第だけどよ。あ、……コイツ知ってんの?」 「オレ女の子じゃないもん」 「いいんだよ、男の相手はオンナで。野球でも言うだろ。黒と白みてぇなもんなんだからいちいち細けぇこと気にすんな」  小さな言い争いが起こっても真城は何も耳に入らず、目にも留まらなかった。雑音とホワイトアウトによって支配される。 「で、どこまで付き合えばいいんだよ?」 「はぁ?ンなこた知らねぇよ。オマエ、今からマイホーム買う夫婦にいつ別れるんですか?って訊くのかよ。営業妨害だぞ、不動産屋に土下座しろや。結婚式開く夫婦に何月何日何曜日、地球が何回周ったら別れるんですかって訊くのかよ?デリカシー無さ過ぎだろ。結婚式場とドレス屋に謝れよ」 「え…なんかゴメン」 「ゼッテェ許さねぇよ」  目の前のよく知らない身内の友人へ興味を無くし、呟くように吐き捨てると勘解由小路は置物になっている家主の腕を強く引っ張った。 「なぁ、れーあん。これで許してくれる?」  アヒルの嘴のように口角を上げ、唇を尖らせ、眉を下げる。上目遣いで美麗な顔面を下から覗き込む。普段の悪罵ばかり撒き散らす声も上擦っている。 「許すよな、許すよ。オマエは許す。そういうヤツだもんな」  腕を揺さぶる勘解由小路の手が離れた。真城は抜け殻になっていた。 「ケー番教えろ。3コール以内で出てやるし、既読スルーとかもしねぇから、俺ちゃんは。俺ちゃんはプロカレシだからな。おら、QRコード出せ」 「いいけど、オレ使い方よく分からないんだよな。フツーには使えるけど、あのガビガビした四角いやつの出し方は分かんない」  十河はパスコードだけ解いて端末を指輪だらけの手に渡す。 「それでも現代っ子かよ」  連絡先の交換が始まり、互いに確認の作業に入った。今度は先程の言い争いが嘘になり、今朝の仲睦まじさが現実だった。 「真恋(まれ)―…真城くんも連絡先教えてよ」  多分に水分を含んだ真っ白な眼球と清らか過ぎるほどの瞳が置物だけに意識をくれる。 「まだ連絡先交換してなかったのかよ。ホントにトモダチか~?」  薄く、細く、鋭さのある眉が三白眼の上で冷ややかに嗤う。 「やっぱ…ダメだった?」 「やめとけ、やめとけ。大事なことあるなら俺ちゃんが代わりに間入ってやるよ。俺ちゃんの女房みたいなもんなんだし」  沈黙に甘えていた。勘解由小路は十河がスマートフォンを突き出すのを制した。 「だろ、れーあん」 「仲良いんだな」 「いや、仲は良くねぇよ」 「どゆこと?」  質問には誰も答えなかった。応答を急くこともない。昨晩がほぼ初対面で交際関係に発展した2人はまた真城を多少巻き込んで話に熱中した。そして十河は帰っていく。送る、送らない、すぐ隣、お別れのキス、どこにするのか、大概は頬。覚束ない足取りで付いて行った玄関先の会話に寒々しい思いがした。 「じゃ、またね、真城くん」  無邪気に手を振る姿が昇っていく日の光に消えていく。

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