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第9話

◇  正常位になりながら下にいる冬夢湖は腰を振った。シリコンの穴の中でシリコンの棒と肉の棒が擦れ合う。渋い顔をしている女の腰を抱き、容赦なく爪を立てた。陰核としての陰茎が激しく前後する。美貌が艶めいて歪む。淡いカラーリップの塗られた唇が弱々しく開き、嬌声を掠らせた息を漏らす。婚約者は彼の乱れたローズブラウンの人工毛を額や頬から取り除く。それから黒のレースドレスから伸びる腿を撫でた。薄い瞼の重なる目が細まる。 「イく…っ」  シリコンホールを貫いた長い棒状の陰核が精を吹く。ベロア生地の上に粘液が広がった。 「お気に入りの服なのに傷んだらどうするの?高かったんだから」  恋愛嵐(りあら)はシリコン膣から擬似陰茎を引き抜いた。ベルトを外し、呆気なく男性器は落ちていく。蕩けた顔は天井を仰いで固まり、紅色の舌が薄い肉を彩るリップカラーを舐めた。婚約者は持ち込んだ厚手のアルコールティッシュでソファーを拭き、さらにティッシュで乾拭きしてからそこに座った。 「こんなならお(うち)で良くなかった?」  小さなバッグから彼女は箱を出す。そこまでメジャーではないがそれでも長い、生チョコレートを思わせる舌触りと硬さのチョコレート菓子をひとつ口に含んだ。テーブルも拭き、そこに放置されたアルコールティッシュで指に付いたココアパウダーを落とす。タバコは吸わないが、代わりとばかりに世良田はチョコレートやコーヒーを摂る。曰く、アンガーマネジメントなのだそうだ。 「家には暫く帰れないんですよ」  何拍も遅れ、無視と受け取られるような間を置いて答えた。 「何で。汚いの?オナティッシュで激臭がするとか?」 「ストーカーが来るんです。貴方もあまり来ないことですよ、俺に会いたくても」 「たとえ人類が絶滅してあたしとアンタしかいなくても、アンタにだけは絶対に会いたくないから安心して」  もうひとつ、真っ赤なリップカラーが馴染んでいる唇にチョコレートが入っていく。 「俺もすぐいなくなりますよ、そんな(せかい)になったら」 「弟クンがいないからでしょ」 「やっぱり俺には貴方しかいない」 「こんなに褒められた気がしないことも()うそう無い」  冬夢湖は起き上がり、徐ろに気に入りのレースショーツを脱いだ。爪先までゆっくりと、観賞会の中心人物の如く、焦らしながら抜いていく。精液は床に引き寄せられ、冬夢湖はそれに構わず、婚約者の傍に寄った。 「ファスナーを下ろしてくださいませんか」  女は無言のまま彼の方へ膝を向けた。 「ストーカーってアンタ大丈夫なの。ストーカーならアンタのすべてを受け入れてくれるでしょ。尻穴 穿(ほじ)るのもおっぱい弄るのも許してくれるんじゃない?このド変態レズプレイもしてくれるでしょ、ストーカーなんだから」 「何か誤解がある。それにストーカーなんてものはそんな盲信的な純愛志向の人ばかりだとは限りませんよ」  ファスナーは簡単に下げられる。冬夢湖は胸元を押さえ、ベッドの脇に移動してからまたレースショーツと同じように脱ぐ。 「刺し殺されればいいのに」 「早く籍を入れないと、遺産を受け取れませんよ」 「薄気味悪い。呪われそう。あたしがあたしのために使ったら呪い殺す気でしょ!ホラー映画みたいに!」 「さすがにここまで性癖(シュミ)に付き合ってくれた貴方を呪うだなんてしない。慰謝料だとでも思ってください」  裸のままベッドに沈んだ。婚約者は今度は別の菓子の袋を出した。アーモンドやナッツ類で、嫌がらせや当てつけのように音を立てて噛む。最初は美容と空腹のための折衷案だと思っていたが、どうやら別の思惑があるらしかった。 「どうするの。ああいうのって実害ないとどうにもできないんでしょ。何したの?一目惚れでもされた?レズプレイの公開オナニー見せてあげなさいよ。アンタがかわいい女の声してあんあん鳴いて脚開いてちんぽ扱いてるの見たら、1億年の恋も冷めるから」 「ホスト時代の客です。特別扱いしたのがよくなかったみたいだ」 「ホストしてたのアンタ。顔が良いだけじゃ売れないでしょうに」 「痛いところをつきますね。学歴も抜きん出た経歴もなかった俺にはホストで稼ぐしかなった。大学、何ランでも出てないと今のご時世、拙いでしょう。給料が全然違うんです。仕事の口も。大学出ているのと、いないのとでは。梢春(すぅ)が遠慮したら可哀想だから」  冬夢湖は眠そうに腕で枕を作る。重くはなりそうにない瞼を伏せ、婚約者のほうを見た。弟の学費がある程度貯まり、伯母夫婦の寛容な姿勢を見ると冬夢湖も働きながら高校卒業の認定試験を受け、アルバイトをして大学に進んだ。周りは年下のほうが多かったが浪人も少なくはなく、かなり年上の同期もいた。 「大変だったのね。あたしにはムリ。弟っていっても、他人だし」 「多分素直に甘えていたら養母(ママン)養父(パパン)は俺の学費も出してはくれたんでしょうよ。ただ俺は……上手く甘えられなかった。施設に入った俺をあの人たちは引き取ったんですよ、殺人鬼を。それだけで俺は満たされたんです。あの人たちは神様がどうだなんて言いますが、俺にとっては養母と養父のほうが神様というものより(えら)いんです。誰よりも」  眠げに彼は説明した。やがてシーツに顔を埋める。珠のような肌に摩擦が起こることも気にした様子はない。弟には話せないことだった。話したところで分からない。話す上で必要になる前提のことを、弟は知らないのか、覚えていないのか兄の認識は曖昧だった。そこを突き、穿(ほじく)り返して処理する器量もない。 「梢春(すぅ)には、俺が幸せだってところを見せないと、気を遣わせる。俺は貴方と結婚して、今幸せなんだってことを梢春に見せる必要がある。弟を安心させたい」 「泣き落とし?」 「弟がいると聞いたから試してみたくなった」 「あたし、アンタがストーカー持ちのド変態ブラコンってことよりも、もっと釣り合いのとれない、ヤバいのあるよ。それでも本当に結婚したいだなんて言うの?早く、アンタがこの話やっぱ無しって言うカオ見たいんだけど」  寝に入っていた首を彼は重そうに(もた)げた。仕方ないから聞いてやる、と言わんばかりの仕草が隠すことなく顕れている。 「聡愛検証学会の人とはもう聞きましたが」 「それじゃなくて。あたし傷害の前科あるよ」 「俺は殺人の前科があります」 「それは知ってる。でもフツー、前科持ち夫婦って嫌じゃない?」  婚約者はクルミを口に放り、ぼりぼりと音がした。相手が期待するような驚きはまったく伴わなかった。却って安堵すらしている。そういう女でなければ結婚はできない。この血肉の半分は加害者側のものでできている。 「前科持ち夫婦だと背中に貼って歩くんですか」 「話になんない」 「いいじゃないですか、暴力。最高ですよ、暴力は。大体のことはこれで終止符が打てますから。暴力は……」  冬夢湖は舌足らずに喋った。途中でとうとう寝てしまう。まだ耳はカシューナッツやらピスタチオやらの種実類その他豆類が砕かれる音を拾っていた。 +  ぼりぼりと音がして幼き日の冬夢湖は母親に何を食べているのか訊ねた。実の母親ではなかったが、優しい継母が彼は好きだった。塗り絵を楽しみながら隣に座る母親は飴玉を舐めていた。物の多い、狭い部屋だった。父親の居ない時間は母親が笑っていたし、隣にいた。顔にはいつも痣がある。漠然と彼女を冬夢湖は実の母親の姉妹だと思い込んでいた。  ある日、父親が継母の髪を引き摺り倒して、そのままそこに身体を乗せた。泣き叫ぶ声を寝室から覗く。継母の悲鳴が恐ろしかった。父親は彼女の髪を引き毟り、嫌がる腕を抑えて腰を前後に動かした。赤い顔は笑っていた。冬夢湖は凍ったまま動けなかった。  弟か妹ができると知った時、冬夢湖に嬉しさはなかった。どういうことなのか理解できていなかった。そして様々なものが半分になることを知っていた。母親は今日も飴玉を舐めていた。ぼりぼり、と音がする。砂糖の塊の甘い匂いが漂った。1人で飯を食い、1人で寝る。時々父親が帰ってきては壁や家具を蹴飛ばし、壊し、散らかし、怒鳴り叫んでまた出て行った。  弟が産まれて少し経った。父親は相変わらず母親に暴力を振るい、母親は飯も食わず"パアト"に行った。冬夢湖は見様見真似で弟の面倒を看た。"梢春(すえはる)"は、母親が昔好きだったロックバンドのボーカルからとったららしかった。  風呂場のタイルの冷たさからいって、夏場でないことだけは覚えていた。今月の生活費がどうのこうのという言い争いだった。父親は紙幣を握り、それを倍に増やすだの、もっと稼いで来いだの何だのと言って奪い返そうとする母親を殴った。何度も殴り、傍にあった木製のハンガーを振り上げた。母親は頭を多い、風呂場に逃げた。弟が泣いている。冬夢湖は迷った挙句、母親を追った。逃げた先は風呂場の狭い脱衣所だった。先に追っていた父親に突き飛ばされ母親は(つまず)いた。絡まり、乱れ、傷み、ほぼ黒くなっている茶髪が宙を舞うのがコマ送りのようだった。鈍い音がした。彼女は浴槽に頭を打ち、起き上がろうとしなかった。父親が怒鳴った。反応を示さない継母の髪を引っ張り、拳を上げる。弟が泣いているのを聞きながら、冬夢湖は父親が振り向くのを黙って見ていた。もうダメだ、もう終わりだという呟きを聞いた。父親は冬夢湖の脇を通り抜け、台所をうろうろと歩き回った。冬夢湖はそれを見ていた。弟が泣いていることも気にならなかった。日常だった。父親の耳には何も届いていない。お継母(かあ)さんはどうしたのか、表情のない奥深くで訊きたくて仕方がなかった。父親は突然立ち止まり、冬夢湖の首を絞めた。その時の父親の顔は脳裏に刻み込まれたまま成人し、これからも、おそらく老年になっても消えないのだろう。目付きも眉の形も鼻も、肌の張り方さえ弟は父親に似ている。  冬夢湖は父親に存在を認められていたことをそこで初めて知った。父親には視えず、時折気紛れで視えたふりをしているものだと彼は思っていた。大人の強い力に捩じ伏せられ、すべてを親に放り出した。弟はまだ泣いている。「すぅちゃんのご飯の分」だと父親に泣き縋る数分前の母親の姿が蘇り、冬夢湖は突然悲しくなった。言い争いの中で落ちた包丁で父親を刺した。飴玉をぼりぼりと鳴らす母親の姿ばかりが浮かんだ。父親を刺す。指を怪我しても、父親を刺す。その父親が弟になっている夢ばかりを見た。このままだと弟も父親のようになる。兄を苦しめた。  きつく胸元を圧迫する。眦を伝う擽ったさに意識が浮上した。粘こくも朧げなこの苦しみから逃れる方法を思い付き、飛び起きる。隣にベッドがあるにも関わらず、ソファーで女が寝ている。黒い髪が垂れていた。ラブホテルにはカテゴライズされないホテルで、街によく居るカップルとそう大差のないデートを終え、当分の間の自宅に帰ってきて特に何もなく寝たのだ。冬夢湖は全裸ではなかった。周りに特殊な衣装もない。下着はレースではなくボクサーパンツのゴムの締め付けがある。女の寝るソファーの脇のテーブルには開封済みのミックスナッツの袋が置かれ、食べる分だけティッシュの上に出されていた。冬夢湖はクルミを摘んで口に放る。塩気が最初にあった。潰す。骨に固さが伝わり砂糖とは違う微かで素朴な甘みが広がる。ピーナッツを摘んだ。口に入れる。 「美味しいわよね」  黒い目が開いていた。眠気も残していない。 「盗み食いしてすみません。新しいのを買って返します」 「別に、いいわよそれくらい。たまにはカラダにいいもの食べて、健全な魂ってやつを宿しなさいよ」  まだ少量残っているのを彼女は袋ごと冬夢湖に渡した。 「身体のことを気にするのなら、何故ベッドで寝ないんです」 「アンタの隣で寝るとか寒気がするじゃない」 「片方しかシーツが乱れないから、なんだか官能的だ」 「そこまで乱れちゃいないでしょう。死体みたいに動かないんだから。寝返りはうったほうがいいわよ。血行不良はカラダに悪いわ。アンタ本当は蝋人形なんじゃない?」  種実類を噛みながら婚約者の悪態を彼は聞いていた。擦り潰され砕かれる音で所々聞き逃す。だからといって今後を脅かす意味を含んだ中身はない。ぼり、ぼりぼり…と少し思い描いたものとは異なるが似た音を立て、冬夢湖はナッツを咀嚼する。 「急に梢春(すぅ)に会いたくなったのですが、何かいい案はありませんか。いい口実は」 「兄弟のクセにそういの考えちゃうところがガチっぽくてクソキモい。用は無いけどいきなり会いに行くとかじゃダメなワケ?引越し祝いならもう行ったけど」  冬夢湖は顔色を変えた。 「梢春(すぅ)と2人きりになったんですか。男と、女で…」 「何怒っているの。アナタの弟クンは分別(ふんべつ)がないって言いたいの?」 「不健全です、あの子にとって」 「ああ、出た、出た。男は性欲先行の理性のない野獣理論。それならアナタ、男は街中で勃起したら公開オナニー始めるっていうの?食い逃げ、いきなり道の途中で爆睡したりしないのに?捕まりなさいよ」  彼女は鬱陶しげに髪に手櫛を通す。 「捕まります」 「捕まったのはあたしだったんだけど」 「何故」 「男と2人きりになった女が悪い理論じゃない?正当防衛で殴ったのよ。そしたらお縄。お縄よ、お縄!」  世良田は両手首を合わせる仕草をした。自虐的な光がある。 「梢春(すぅ)のことも、そういうつもりで?」 「バカね、あたしは股にちんぽ付いてるヤツ全員のことを言ってるんじゃないの。アンタの弟クンは確かに脚の間に臓物ぶら下げてるけど、あたしにとっちゃガキみたいなものなんだし」 「あの子は、平気な顔をして女を殴って犯すような男の血を引いているんですよ。貴方が殴り殺されるのはとにかく、あの子が罪人になるのは可哀想だ。あの子の血が、優しいあの子を罪人にするんです」 「アンタ、変な壺買わされたりしないでよ。酸素水で癌(がん)は治ったりしないし、マーガリンはプラスチックでできてないわよ。分かってる?分かってないわよね。分かってない!アンタは何も分かってない!」  強く指で差しながら彼女は怒鳴った。冬夢湖は静かにそのネイルカラーされた指先を包み、下ろすよう促す。恋愛嵐の手は負けじと力が籠る。 「血で決まるならあたしは大総裁会長様の狂信者の財布だっての。見たことある?あそこの法具。最低10万するのよ。あれで癌も糖尿も治るんですって!手足が無いのも治るらしいから驚きよ!じゃあちんぽが欠損してるあたしはちんぽが生えるように祈らないと!アンタのバカな(おつむ)も弟クンの穢れた血も治るんじゃない?教育ってもんがあってもまるで活用されてないっていうアンタん()の遺伝もね!」 「それで俺が入信した場合、破門された貴方の立ち位置はどういうものになるんです」 「例がないから知らない」 「前例になりませんか」  冬夢湖の掌の中から彼女は指を引き抜く。 「あたしはカスみたいな人間だけど、種も腹も同じあたしの弟は、アンタ等と違って立派な人間よ。アンタ等カスみたいな人間と違ってね!種も腹も金、宗教、世間体!っていう人だったけど、あたしの弟は立派よ。洗脳されたなりに必死になって……親の期待に応えて、必死に!アンタ等クソのゴミみたいなクズ兄弟(たち)とは違ってね!」 「煽ろうと透けて見える罵倒に俺は乗りません。1発殴らせようとしているんですか?もし殴るのなら一撃では済ませませんよ。だから、落ち着いてください」  冬夢湖は豆腐に触るような手付きで女の肩に触れた。女は男が触れば、その柔肉が指紋で削れ、体温で溶けてしまう。 「きっとあたしはアンタに殴り殺されるんだわ!」 「そんな、まさか」 「きっとそう」 「やめてください。自信がありません。不安になります」  冬夢湖は陰険な微笑を浮かべる。 「またあの夢をみました。ごめんなさい。少し不安定だ」  しなやかな長い指がさらさらとした絹のような髪をいくらか几帳面に掻いた。彼はまたベッドに戻る。 「あたしも、弟を虐待部屋にぶち込ませた日のこと、思い出してた」  マウナ・ケア山の最高点からマリアナ海溝の底までを音速で行き来する婚約者の気分も(ふさ)いでいる。 「あたしたち、やっぱ合わないんじゃない。アナタと居ると、嫌なこといっぱい思い出すわ」 「嫌なことを思い出しているうちが、きっと俺たちみたいなのには安息の時間です。だとしたら俺には貴方、貴方には俺しかいない」  同意も否定もなく、恋愛嵐はソファーで俯いていた。冬夢湖はベッドで寝ながら勢いに任せて弟宛てのテキストボックスに文を打ち、送信ボタンに指を翳しては一文字一文字削除して結局メッセージアプリを閉じてしまった。 「アンタは弟に似てるから、あたしと上手くいくはずない」  泣きそうな声だった。すでに泣いているのかと思われたが、泣いてはいなかった。 「上手くいかせる必要がない」 「まったく。その通り。あたしはアンタを毎日責めて怒鳴って罵るんだ。アンタはある日どこか高いところから飛び降りるか、電車に飛び込んで、臭い臓物になるんだ!アンタは!いきなり!その綺麗なだけの顔面をぐちゃぐちゃにして、あたしを苦しませる!」 「もっと手軽く首を吊ります。そんな、賄いきれない損害賠償、わざわざ作りません。それに俺が貴方を殴り殺してしまうよりいいでしょう」  ヒステリックな悲嘆に対して彼の声音は冷たかった。 「梢春(すぅ)は俺が死んだら悲しんでくれます。貴方はどうです、貴方が死んだら貴方の弟は悲しんでくれますか」 「まずあたしが死んだことも知らないまま生きるでしょうね。ほぼ絶縁なんだから。だからあたし、弟が今どこで何してるかも知らない。どんな顔してるかもね。アンタは弟のちんぽの毛の数も把握してるんでしょうけど!アンタと違って!健全な姉弟(きょうだい)だったの!」  落涙寸前かと思えば彼女は喚きはじめた。 「陰毛は剃らせていますよ。今でも剃っていると思います。あの子は聞き分けがいいから」  艶消しの効いた赤い唇が吊り上がる。何か面白いことを聞いたとばかりだった。感情的な色が消えてしまう。 「いやらしいから?」 「はい。陰毛は性成熟の証ですからね。梢春(すぅ)には要りません」 「…そうね」  女は白い歯を見せ、帰る様子をみせた。 「俺が毎日剃っていたんです。毎日……」  冬夢湖の喉が掠れ、目が(とろ)む。弟の美味そうな果肉を眼前にし、柔肌に刃物を傾けた夜の記憶が(つまび)らかに蘇る。生唾を堪えたものだった。激しい飢渇を覚えたものだった。弟は兄の習慣を普遍な兄弟、或いは保護者の務めとして信じて疑わなかった。芯を持ち、膨らんでいく弟の可憐なペニスに気付かないふりをして、腰を揺する姿は冬夢湖の見てきた何よりも可憐(いじら)しかった。剃刀負けしないようにと保湿クリームを塗りながら、手淫を施したい欲求を抑えることに尽力した。性器の違和に気付いているようで分かっていない弟の蕩けた表情は今でも冬夢湖の淫肴だった。 「あ、そ。虐待野郎が。じゃあな!ストーカーにさっさと刺してもらいたいものね」 「これから梢春(すぅ)との時間を楽しみたいので困ります」  自慰に耽るところにホテルから呼び出しを喰らうのは困る。恋愛嵐はドアを乱暴に閉めた。ひとりの時間がはじまる。気分は剃毛の思い出だった。弟はタイルに背中をつき、冬夢湖は恥ずかしがる彼の下半身に顔を近付け、薄らと生えたそこにクリームを塗る。先端の桃色を包む皮が緩やかに捲れ、見るたび見るたび露茎しては、可愛らしく(プラム)の窪みを濡らすのだ。詳細を辿りながら冬夢湖はすでに固くなっているものを扱いた。腕や肘がシーツを叩く。どこからか、たとえば天井や壁に監視カメラがあれば、だらしなく、悍ましいほどに情けなく、風貌に見合わない赤黒い怒張を晒している。ストーカーに見られているかも知れないと思うとさらに火照った。ストーカーに執着されていると知られるたびに、弟への激しい劣情を催した。ストーカー男の見目も人柄も声質も悪くはなかったが応えられない。肉棒は弟に捧げるのだ。身体のあらゆる場所が弟の奴隷になるためになる。手筒が高速で上下運動を繰り返す。摩擦が起こるだけ官能が深まり、骨まで融けていきそうだった。事実としては存在しない、保湿クリームを塗布しながら放置された弟の幼気(いたいけ)な勃起を扱く妄想を広げる。あの頃の小さなペニスの肉感を、何度もシリコンに馳せた。 「――…ッ、」  急激に上り詰め、迸った。弛緩する。下半身で爆ぜた快感に浸りきる前にホテルから呼び出しがあった。

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