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第4話
足が竦んで動けなかった。
表札を見た瞬間から、弓束君の家だと察したが、倒れている人が弓束君とは考えたくもなかった。だが、遠目から見ても見慣れた弓束君であると認識してしまう。
「……これから、多くの血どころか死体を見ることになる。慣れてくれ」
冷静に言い出す来夢に、怒りを覚える。まるで人の死を厭わないような言い方だ。
「慣れろだって……? 人の死に慣れろって……? ふざけんなよ来夢。確かに来夢はこの状況を経験しているだろうけど、絶対慣れちゃいけないことなんじゃないのか。来夢はこれまで生きていて、突然殺されてもいいのか……?」
「私は常に、そう思っているよ」
「……どうだか」
僕は血まみれの弓束君をせめて拭いてあげようとし、彼の死体を直視するのを恐れながら近づいた。ゆっくりとうつ伏せになっていた身体を起こそうとし、驚愕する。
弓束君は、胸にぽっかりと大きな穴が空いていた。薄く開いた口元には血があふれかえっており、白い液体が混じっている。顔面にも液体がかけられてるような状態だった。見覚えのある液体だ。間違いなく、精液だった。
殺された後に、強姦されたということか。
「うっ……ぐぅっ、オェッ……!」
吐き気を催したが、ぎりぎりで耐える。弓束君が受けた現実から目を背けたくなかった。
「……黒ゲージだ」
はっとしたように来夢が呟く。もしや、と思い弓束君の右隣を見ると、黒色になったゲージがある。
「ゲームオーバーか……」
「違う。ゲージをよく見な。ほんの少し赤が残ってる」
ゲージの端には、赤い線が入っているように確認できた。
「まだ生きてるのか……!」
「そうだ。ちょっと、ここの安全確認をしてから施錠してくるよ。それまでここを離れないでくれ」
来夢は僕達を通り過ぎ、白い空間から消えていった。どうやら本来扉のある部屋へ入ったらしい。
僕は鞄からティッシュを取り出し、まず弓束君の顔を拭いていった。矯正な顔にここまで下衆なことをしでかした人物がいると考えたら、はらわたが煮えくり返る思いがする。
今まで生きてきた中で、すれ違った人のうちにこのような所業を実行できる者がいたのかもしれない、と考えるだけで身震いがした。
ずっと胸に穴が空いたままなのを不憫に思い、鞄から救急キットを取り出す。ないよりはましだ、と考え消毒液を傷に垂らしたら、ビクリと弓束君の体が動いた。
「んっ……」
弓束君は身じろいで、ゆっくりと瞼を開く。
「雁翼……雁翼……」
僕の名前を呼ぶ弓束君を見て、胸が締め付けられる感覚がした。
「弓束君、大丈夫? 痛くない? 僕の声が聞こえるか」
僕が口を開くと弓束君は勢いよく起き上がり、僕に抱きついた。
「ま、待ってよ、あんまり動くと傷が広がるって」
僕の静止を聞かずに弓束君は、顔を近づけさせる。
「んぅ……んっ……!」
唇が、当たってる。多分これキスだ。なぜか目が覚めた弓束君は、僕にキスをしている。意味がわからない。
何気にファーストキスが奪われてしまった。グロテスクな状態の弓束君が、初めての相手だなんて。レモン味じゃなくて、精液と血が混じった味がした。最悪だ。
――もしや。弓束君は強姦を塗り替えたかったんじゃないのか。何で僕が、って思うけど、弓束君が受けた苦しみがそこまで大きかったのかもしれない。
そう思うと、抵抗できなかった。弓束君が満足するまで受け入れようと思った。
「確認が終わったよ。ここは安全だ。鍵も閉めてきたから……ご、ごゆっくり」
タイミング悪く戻ってきた来夢が、僕達を見て引き返そうとする。前言撤回だ、受け入れるのをやめる。僕は細心の注意を払いつつ弓束君をはがして叫んだ。
「違うから、誤解、誤解なんだよ! だから戻ってこいお願いします!」
「いや、誤解も何も付き合っている奴がいるなら紹介してくれよ。相手が男だから隠してたってことか」
「だーかーらー! それ誤解!」
僕は必死になって弓束君との関係を説明した。ただのクラスメイトであるということ、なぜか目が覚めた弓束君が僕に突然キスしてきたことを伝えると、来夢はがっかりした様子だった。何だよ期待してたってことか。
「しっかし、弓束って苗字どっかで聞いたことがあると思ったら、小学校の頃から大人気な弓束王子じゃないか」
「ってことは、来夢って弓束君のこと知っていたのか……」
「そりゃあもう、上の学年でもモッテモテよ。小中が同じの有名人だから嫌でも話が耳に入ってくるっつうの」
「小中同じなの、僕は今日知ったよ……」
そう僕が言うと、来夢は目をこぼれ落ちそうになるほど丸くしたが、徐々に納得したようだ。
「そうか、あんたは仕方ないか……小学校のとき色々あったもんな」
「うん。おかげ様で自分の顔なんか見たくない」
あの頃はずっと目つきのことでいじめられていた記憶しかない。思い出したくもない過去だった。
「思い出せ……思い出せ……」
弓束君はうわごとのように呟く。あれから突然話し出したので、僕と来夢は驚いて体がはねた。
どうも、様子がおかしい。さっきから視点が合わないし、話し方が単語を呟くだけのようになっている。まるで感情が抜け落ちたみたいだ。
「だめだ弓束。世の中には忘れなきゃ生きていけないこともあるんだ」
来夢はそう言って説得するが、弓束君はさっきの言葉を繰り返すだけだった。その様子が不気味だ。
「あー、狂った人形みたいだな。ホラー映画に出てきそうな感じの。当分まともな意思疎通はむりだろ」
「そうだね……」
残念ながら、受け入れるしかなかった。弓束君は壊れてしまった。あの、優しくてかっこよかった弓束君が。
「胸に穴を空けられるだけじゃなくて、強姦までされたんだ。死にかけた状態でな。体力ゲージが余っていると、どんなに怪我をしていても死ぬことはない。こんな状態なら、死んだほうが幸せかもな」
まただ。来夢の発言に対する違和感を覚えた。彼女は死に対して軽々しく扱いすぎている気がする。
「死んだほうがいいって、よく言えるよね。来夢って死ぬのが怖くないの?」
「怖いに決まってんだろ。でも、このゲームに呼ばれたってことは、もう死んだも同然だぜ。やめようこの話。今後のことについて話そう」
……そうか、来夢は現実を知っている。二度もこんなゲームに参加しているんだ。死に対する捉え方が僕とは別なんだろう。
「っていうか、おかしいと思わないか。ゲージを削りきるまで相手は死なないってことを知っている者の犯行としか思えない。まだゲームルールが配信していないにも関わらずにだ」
「確かにそうだけど、VRゲームを頻繁に遊ぶ人ならその辺の感覚はあるんじゃないのかな。わかんないけど」
「よく考えな。ゲームの敵はともかく相手は生身の人間だ。いきなりゲームが始まった状況で、誰かを殺そうと思えるか。それに、ここは弓束の家だ。どう考えても元々弓束がプレイヤーなのを知った上での犯行としか思えない」
「そっか……そうだね、明らかに変だ」
「変でもあるし、少なくとも暴力や殺しを娯楽だと考えてる者の犯行だろうよ。いずれにせよプレイヤーにとんでもない奴がいるってことさ」
とんでもない奴。それを聞いて、もしかしてと考えてしまう。あのとき遠目で見た人が犯人なのではないか。
「……あのさ、ここに入る前にいた人いたでしょ。何か、機械音がしてた人。もしかしてあの人が」
「クロだな。あの音が聞いたら逃げたほうがいい。間違いなく狩られるぞ」
このゲームがいかに残酷なのか、短時間で味わってしまった。
変わり果てた弓束君に視線を向ける。ここまでひどい怪我をしているのにも関わらず、彼は生きていた。来夢が言っていたように死んだほうが楽になれる、と一瞬でも考えてしまう自分が憎かった。
救急セットに入っている包帯を取り出し、制服を脱がせてから弓束君の胸に巻く。もしかすると意味がないのかもしれないが、少しでも弓束君を助けたい一心だった。
そそっかしい僕は、よく部活中に怪我をしている。だから救急セットを毎日持ち込んでいたのだが、こんな場面でも活躍できるとは思ってもいなかった。
それでも弓束君は、僕に視線を向けることはない。
「……絶対に、許さない」
弓束君にここまでした犯人が、今すぐ誰かに殺されたらいいのに。
思わず心の中で恨み言を言ってしまった。
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