8 / 13
第7話
談笑を続けていたのも束の間、スマートフォンが鳴った。
はやる気持ちを隠せずに、慌てて画面を覗き込むとゲームアプリからの通知だった。
『ゲームルール配信のお知らせ』
通知はそのように書かれている。来夢に目配せすると、彼女は強くうなづいていた。読め、ということだろう。
内容は、概ね来夢が事前に伝えていた情報そのままだった。今回初めて知った情報は以下のふたつだ。
『ゲームの制限時間は一週間。それまで最後のひとりになったらゲームクリア。生き残りがふたり以上いた場合は全員ゲームオーバー』
『体力ゲージの下にある、小さいゲージは必殺技ゲージ。これはプレイヤー本人以外見ることができない』
『立ち入り禁止区域に入るとゲームオーバー。なお、日付を超えるごとに禁止区域は増えていくため、各自マップを確認の上行動すること』
……なるほど。ひとまず、僕の体力ゲージの下については理解できた。
禁止区域を確認するためマップを見ると、僕らが今いるゾーンはあと16時間後に禁止区域になるとのことだった。
「来夢、ここ明日には禁止区域になるって……」
「そのようだな。じゃあ、今日は移動するか。……ちょっと待て」
そういうと来夢は、自分のスマホを食い入るように見つめる。
「あの、どしたの」
「バージョン1.0。私がプレイした頃はベータ版だったのに」
つまり、どういうことだろう。来夢の言っていることがわからず首をかしげていると、説明をしてくれた。
「アプリケーションにはバージョンっていうのがあるんだよ。ベータ版っていうのは、サンプルのバージョン……正式にリリースできないが、一通り動くのでプレイヤーに遊ばせて不具合がないか調べるってことなんだ。それで、今私達が参加させられているゲームのバージョンは1.0。正規にリリースされたということだ」
「ということは、これまでは第一稿とかそういうので、今回は最終稿ってこと?」
「そんな感じだ。最終稿以降も、修正されたものがリリースされる場合が多いが……まあ、その話はもういいだろう」
何となく理解できた、と納得しつつ僕はルールを読み返す。よく見ると小さい文字で書かれた一文があり、思わず声に出して読み上げた。
「今回のバージョン限定でゲームマスターも参加しています。倒すとボーナスが貰えるかも……?」
キッ、と来夢は僕をにらみつける。ごめんなさいと思わず謝ったが、そういう問題ではなかったようだ。
「いいか、ゲームマスターの件はきっと釣りだ。殺人を増やすためのな。あんたは絶対乗っかるなよ」
「わかったけど……ゲームマスターって何?」
「今時ゲーム用語知らないのって本当びっくりだよ。ゲームの運営ってこと。ゲーム作った人」
「つまり、殺人をさせるゲームを作った殺人鬼ってことか」
「そう、本物の屑だ。私の家族を殺した、人でなしだよ……」
僕は何も言えなかった。来夢はこの事実を一年間、誰にも言わず抱え込んできた。僕がゲームに巻き込まれてから、ようやく真実を伝えたんだ。そのことがただただ悲しかった。
「何しょげてんだよ。ちょっと、外の様子見てくる。ここから離れるなよ」
そう言って来夢は部屋から出ていく。取り残された僕は、横になっている弓束君を眺めた。彼は天井をぼんやりと見つめているようだった。
そういえば、弓束君はどんな武器を持っているんだろう。突然好奇心に駆られた僕は、ベッドに掛けられている学ランのポケットをまさぐった。ビンゴだ。スマホが入っている。
勝手に人のスマホを見て申し訳ないが、弓束君本人が当分武器を取り出したりできない状況であるため、今僕が取り出して持たせたほうがいいと考えた。言い訳がましいが、そういうことにしておく。ではないと、罪悪感で押しつぶされそうだ。
おかしい。普段の僕では絶対にしない行動だが、やめようとする脳とは裏腹に体は止まらなかった。まるで、誰かに操られているようだ。
複雑な心境のまま、スマホのロック画面を見る。弓束君と教室のバレー部仲間3人が写ったものだった。中央に爽やかな笑顔を浮かべる弓束君と、横に不貞腐れたような氏家君、満面の笑みの新道君が肩を組んでいる。それを見て、どうしようもなく切なくなった。
この頃の弓束君が戻ってこなかったらどうしよう。今の弓束君を見たら、彼の友人であるふたりはどんな顔をするんだろう。
元に戻った弓束君を、何とか元の世界に帰らせて友人達に渡してあげたい。この日にあった日常を、取り戻してあげたかった。
苦しい思いで写真を眺めていると、その隅には僕が見切れていることに気づく。久方達と話している様子だった。
――弓束君、もしかして。僕が写っているから待ち受けにしてたのか。
一瞬そのような思考が過ったが、頭を振った。そんな訳がない。弓束君に好かれていることに気づいて、浮かれているだけだ。
スマホのロックを解除するため、虚ろな弓束君の顔に画面をかざした。ホーム画面を見ると、思わず絶句する。さっきのは勘違いではなかったみたいだ。
画面には、僕が机に伏せて寝ている姿が遠くに写っていた。カメラのほうに向かって、久方と入江が呆れたような目線を向けている。氏家君も写っていたが、幻滅した様子だ。
「いや、君ね、これ盗撮なんだけど……」
弓束君、人のこと言えないけど馬鹿なんじゃないのか。鈍い僕でも、弓束君が何を考えて撮影し、待ち受けにしたのかを察してしまった。正直重すぎる想いに胃もたれしそうだ。ロック画面で一瞬、甘酸っぱさを期待した僕が馬鹿だったのかもしれない。
それとも、人は恋をするとここまで馬鹿になってしまうのだろうか。身分違いのふたりが、結ばれないとわかっていながら求め合うように。
ここまで強烈な感情を持つ弓束君が羨ましく思った。僕は、そのような身を焦がす感情を持ったことがない。
だからこそ、恋愛小説を読み漁ってきたのだが。小説の中でなら、疑似恋愛を楽しむことができる。恋をする快感はきっとこんな感じなんだろう、と脳内麻薬を分泌させていた。
ぞくぞくする。あんな気持ちを、弓束君は僕に向けているんだ。
変わり果てた姿になっても、彼は僕を求めていた。それを考えた途端、いつの間にか欲情していた。身体中に甘い痺れが駆け巡り、中心が熱を帯びる。ああ、脳内麻薬が分泌されているんだ、と自覚し息が荒くなる。
気が付いたら、僕は弓束君の首元に顔を押し当て、深く息を吸い匂いを嗅いでいた。麻薬がさらに回ってくる。首筋を舐めまわそうとした、そのときだった。
「氏家……ごめん……新道」
弓束君が呟いた。頭から、冷水を被るような感覚がする。僕は慌てて弓束君の身体から離れた。相変わらず天井に顔を向けていて、虚ろな表情を浮かべていたが、一筋の涙を流している。
「弓束君、ごめんなさい……! 本当に、ごめんなさい」
僕は、弓束君を凌辱した奴と同じ事をしでかそうとしていた。自分の行動が、信じられなかった。先程から立て続けにこうだ。それでも、言い訳にしかならない。僕が行動した事実は、確かにあるからだ。
弓束君は、僕に視線を向けず言葉を返さずとも静かに涙を流し続けていた。それだけで、彼が何を言いたいのか明白だった。ごめん、では済まないに決まっている。
先程のロック画面を思い浮かべた。恋心の混じった意図があろうとなかろうと、あの弓束君は、大切な友達の横で笑っている。
僕は馬鹿だった。勝手に弓束君の感情を想像して、勝手に興奮して、弓束君の肌に触れようとしていた。意識が濁った相手にだ。
「クソッ……!」
壁に頭をぶつける。痛みはあったが、この程度では足りない。弓束君の身に起きた事と比べたら、大したことはなかった。再度弓束君のスマホを開き、ゲームアプリを起動する。
今は、弓束君を守らないといけない。守り抜いて、元の日常に戻さないと。彼を氏家君達に渡さないと。そして、一瞬でも邪な感情を抱いてしまった僕と引き離さないと。
僕なんかを想っても、ロクなことにはならないぞ。さっきみたいに、喰われてしまうかもしれない。それ以前に僕は、恋愛感情のないばけものなんだ。だから僕以外の、もっとふさわしい人をどうか好きになってほしい――。
心の中でそう祈りながら、弓束君の武器を取り出す。大当たりだ。映画で見たことがあるような、レーザーブレードだった。
「めためたかっこいい……」
どろどろとした気持ちから逃げるように、つい僕は周囲に気を付けて武器を振り回す。ぶん、ぶんと音がした。
だが遊んでいる場合ではない。弓束君が武器を持つ、という脳があるか試すため、起き上がらせてレーザーブレードを持たせてみる。意外にも、しっかりと握ってくれた。護身で戦えるかと言われたら、実戦していないためわからないが。
「これの使い方、わかる?」
そう弓束君に問いかけても、彼は無反応だった。やっぱりか、と落胆していたところに外から悲鳴が聞こえた。女の人だ。
「ごめん、ちょっと待ってて」
僕は弓束君を置いて、思わず外に飛び出した。誰かを助けようと必死だったが、もし誰かに女性が襲われているところだったなら僕だって身の危険がある。それでも、無鉄砲に外へ出ていた。しばらく弓束君の顔が見れない気分だった、ということもあるかもしれない。
声を発したであろう女性の後ろ姿が見えた。恐る恐る声をかける。
「どうしました……か?」
そこには、事件というものは何も起きていなかった。
「ああ、麗しいお嬢さん。貴女に会えたのはきっと奇跡、運命です。どうか私とお話していきませんか……じっくり、ね」
「嫌よ、この変態! 変態!」
外では、来夢がブレザーの女子を口説いているだけだった。うちとは別の他校生だ。見事に幼い顔立ちと断崖絶壁。来夢のターゲットに当てはまってしまう。僕は即座にあの女子を助けることにした。
「ごめんなさい、この人僕のツレで……後でしっかり説教しますので、どうか許してやってください。不快な思いをさせて申し訳ないです」
僕は女子から来夢を引きはがす。先程まで、僕も弓束君に似たようなことをしていたからか、胸がシクシクと痛んだ。
「おい、風雅。なにひとりで外出てんだよ。っていうかよくも弓束を置いてきたな」
「ご、ごめん、女の人の悲鳴が聞こえたから、つい」
僕が弓束君にしたことは、来夢に言える気がしなかった。自身の保身に嫌気が差す。
「つい、じゃねぇよ。王子様を守るのがあんたの仕事だろうが」
「あ、いいえ……そんな、私何ともないから……」
女子は真っ赤な顔をして俯いた。かわいそうに、来夢のせいで傷ついてしまったのだろう。
「すみません、怖かったでしょう。僕から見ても君可愛いし、狙われやすいだろうからナンパに気をつけて」
「や、やだっ、可愛いだなんて……」
さらに女子は顔を赤くしてしまう。もしかして、熱でもあるんじゃないのか。こんな異常事態だからこそ、体調を崩してしまってもおかしくない。
「ちょっとごめんなさい、熱測らせて」
そう言って僕は、彼女の額に手を当てようとしたが、来夢に叩き落とされた。
「いや、あんたがセクハラしてどうすんの」
「違う、体調悪そうだったから熱あんのかなって思っただけ。来夢と一緒にすんな」
「やすやすと触らせてもらえる身分が羨まし……じゃなくて! そこの君も喜んでるんじゃない!」
「だって、彼なら何されてもいいって思っちゃって……」
かぁー、と奇声を上げながら来夢は空を仰ぐ。彼女は一体どのような心境なんだろう。挙動が気持ち悪かったので想像したくはないが。
「あー、戻るぞ風雅。お嬢さんも悪かったな。道中くれぐれも気をつけて」
「あっ、はい……また会えるといいな」
僕はなぜか来夢に叩かれる。何もしていないというのに、イライラしている様子だ。状況に呆れつつ、ロッジに帰ろうとしたところだった。
ドン、と鈍い音がした。
振り返ると、ブレザー女子が倒れていくのが目に入る。
「い、痛い、痛ぁい……!」
彼女は苦しみを逃そうと、のたうち回っていた。状況を理解できた。あの子は、何者かに打たれたんだ。
「もう一発、体力ゲージ残り半分……! くそお、ヘッドショット外しちまった!」
スウェット姿の巨体な男が飛び出してきて、馬乗りになり彼女の頭にハンドガンを突き立てた。あの子、殺される。
「ああ、とっとと殺さねえと……じゃねえと俺も殺られる……死にたくねえ、死にたくねえ、死ねえ!」
男が引き金を引くよりも早く、横にいた来夢はクロスボウで矢を放った。
「あ、れえ……」
男が綺麗に倒れていく。
「これがヘッドショットってやつだ。わかったか」
冷たく来夢が言い放つ。男の頭には、弓矢が深いところまで突き刺さっていた。体力ゲージは空になっている。この人は、来夢の手によって殺された。
スマートフォンが震える。きっと、この男が死んだ通知なのだろう。
「撃っていいのは、撃たれる覚悟がある奴だけだ。知らないのか」
もう聞こえないはずの相手に、来夢は静かに説教をした。
「フィリップ……マーロウ……」
体の震えが抑えられず混乱している僕だが、ようやく口を開いて出てきた言葉はこれだった。
「あんた、教えてくれたよな。ハードボイルド小説」
そういつものように、軽やかに来夢は答え、女子の元へ行き腰を下ろした。
「お嬢さん、辛いだろ。大丈夫か」
「痛い……苦しい……」
「そうだろうな。このゲームは、体力がゼロにならない限りは生き続けるんだ。出血多量で死ぬことはないし、痛みのショックで死ぬこともない。生きている限り痛みがずっと続くんだ」
弓束君のあの状態を見ているからこそ、僕も理解できた。たとえ苦しくとも、体力がある限りは生きなければならない。このことがいかに残酷なのか、恐ろしいほど実感している。
「そんな……! お願い、私を殺して。どうか、助けて……痛くて、苦しいの」
女子は涙をボロボロ流しながら、来夢に乞う。あまりにも痛々しい光景だった。
「わかった。今、楽にしてやる。絶対即死させてやるからな」
ありがとう、と彼女が唇を動かすのを確認すると、来夢はまた矢を放つ。スマホの通知が鳴った。彼女も死んだ。あっけなく。
「殺せと乞えたら、どんなに楽なんだろうな……」
来夢はそう呟き、亡骸の手を握り首を垂れた。黙祷しているようだった。
震える手で、僕はスマホを開く。通知にはこのように書かれていた。
『遠野 晴臣 がゲームオーバーしました。残り13名です』
『狭川 美加子 がゲームオーバーしました。残り12名です』
あまりにも無機質な文字列に絶望する。彼らの死に際をこの目で見たというのに、たった数行で伝えられていた。人の死を軽く扱っている、この現実が憎かった。
ともだちにシェアしよう!