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第10話
静かに、来夢が座るベンチへ戻る。
弓束君を横たわらせて、来夢の隣に腰をかけた。
「小学生の頃、色々あったらしいね。僕の知らない大事件が」
真相なんか知りたくない。そう思っていても、僕の口はするりと疑問をこぼしていた。考えないようにしよう、と変に意識しているからこそ、逆に知りたがっている自分がいるのかもしれない。
「私の口からは何も言いたくない。とっくの昔に済んだことだ、今更掘り返したところで仕方ないだろ」
僕の方を見ずに、来夢は早口で答えた。
「でも氏家君は……弓束君の友達は、そのことについて言及してた。失踪者は、それと関わっている人が関係しているんじゃないのかって」
ばかばかしい、と来夢は吐き捨てる。
「釈然としてないみたいだから、これだけは伝えてやるよ。あんたは守られている。家族含め、当時のことを話す者はいなかったはずだ。それはあんたのことを守るためなんだ」
何が言いたいのかわかるだろ、と来夢は僕の肩を叩いた。
この件について触れないのは僕自身のためである、ということは重々承知だ。だからこそ、周囲は徹底して隠したのだろう。それでも、僕からしたら、失われた記憶があるというのは形容しがたい恐怖がある。
記憶が欠けているのでは、と自覚したのは中学2年を過ぎた頃だった。小学4年から6年に上がるとき、自分は一体何をしていたのだろうと疑問を抱えるようになった。さほど昔のことではないはずなのに、その時期のことは何も思い出せずにいた。
時折過去について振り返るような会話があっても、思い出せずその場で話を合わせて対処していた。それは今でも変わらない。
「……僕は、殺されかけたんだ」
口が、勝手に動いていた。
僕が殺された。それは一体どういうことなんだ。見当がつかない言葉を、いつの間にか口走っていた。
また、僕の身体が操られたのか。
「あんた……今何て言ったんだ」
「違う、今のは僕じゃない! ……僕の言葉じゃないんだ」
来夢に説明を促されたので、今朝の出来事について言及した。
勝手に弓束君のスマホを漁ったこと、彼を襲おうとしたこと。流石に性的な欲求を抱いたことは触れなかった。
「妙だな。ゲームに参加したせいで、情緒が不安定になったか」
「多分違う。それだったら、さっきみたいなことは言い出さないはず。病んでるときって、本音じゃないけど暗いことが思いついて言葉になる、って感じだと思う。けど、さっきの僕はそんなこと想像すらできなかった」
腕を組んで来夢は唸る。前回のゲームを思い出していたようで、前例がないとぶつぶつ呟いていた。
「今回のバージョンの新要素か……? いずれにせよ、要注意だな。仕方ないから私が見張ってやろう」
「何でそんな偉そうに。まあ、見ててくれたらありがたいんだけど」
「そら私が先輩だからだよ。あんたはその代わりに、弓束のこと見てやりな。死んでるはずが、無理矢理生かされてるようなものだからな」
視線を弓束君の顔に向ける。紅顔の美少年、といった言葉がよく似合うはずが、今では真っ白に染まっていた。精肉店で売られている、鶏肉のような色合いだ。血が通っていないのかもしれない。
そっと頬に触れると、それでも微かに温もりを感じた。間違いなく、彼は生きている。
「これまで、あんまり弓束君のことを意識していなかったけど、短い時間でかけがえのない存在になった気がする。僕が守らないと、って」
「……そうか。こんな状況だけど、それだけは良い出来事なのかもな」
そう言って来夢は、静かに優しく微笑んだ。その笑みの意図がわからず困惑していると、今度はにやにやしだした。
「僕変なこと言ったっけ」
「言ってない。ただ、嬉しかっただけ」
なぜ喜ぶ、と首を傾げる。疑問を抱えたまま、懐からハンドガンを取り出した。
「待て、風雅。何をする気だ」
来夢が僕の腕を掴み止めに入るが、その体勢のまま引き金を引く。
鈍い、爆発音がした。
運が良く、来夢は被弾していない。怯んだ来夢の拘束を引き剥がし、撃った先まで駆け出した。奥にある木の陰だ。そこには、うずくまり悲鳴を上げる男子生徒がいた。身の覚えのある紺色のブレザーだ。余所の私立高校の制服だった。僕は彼のことを知らないが、気づけば彼らしき名前を呼んでいた。
「高坂……久しぶり」
「ひっ、来るな、来るなよ、お前誰だよ!」
怯えきった彼の顔を見て、いやらしく口角を上げ舌なめずりする。
「何で忘れてんだよ、酷いじゃん。いやでもあれか、加害者は覚えてないか」
「な、何ぶつぶつ言ってんだよ! 来んなよ、う、撃つなよ」
喉奥からクツクツ、と声を鳴らした。
一体、自分の身に何が起きたんだ。威嚇射撃とはいえ、初めて銃で撃ってしまったショックも大きいが、確実に誰かに操られているというのに、止めることが出来ないことに恐怖している。
僕はゆっくりと彼に近づき、しゃがみ込む。
「口、開けてみろよ。早く」
震え上がる彼に無理矢理口を開かせ、銃口を突っ込んだ。
「ンムッ……! グッ、ゴフッ、オエッ」
口の中に入れたまま、銃を上下に動かす。まるで、性的なものを彷彿させるような動きだった。僕は、いいや違う、操っている存在は何がしたいんだ。
ふと、既視感を覚えた。……弓束君が暴行されたときのような。
「んっ、フフフ、アハハハッ! はぁ……」
わざとらしく、吐息を彼の首元に当てる。びくり、と身じろぎ嫌悪を覚えた。
「あー、気持ち悪い」
引き金に力を込める。焦らすのは止めて、もう撃ってしまおうか。脳天に貫けるように、角度を調節した。
「本当は色々聞こうと思ったけど、興が冷めた。それじゃ、殺すわ」
今にも殺害する。心の底から必死に制止を呼びかけた。
その瞬間、目の前に突風が通り抜けた感覚がする。額に、熱が走った。
急に操られていた身体が、自分のものに戻ってきた感覚がする。慌てて彼の口から銃を引っこ抜き、僕の額に手を当てた。かすれ傷が出来ており、血が流れている。
突風がした方向に視線を向ける。来夢だ。彼女は少し離れた場で、弓束君の肩を抱きながらクロスボウを構えていた。
「間に合ったか……!」
ずんずんと僕の側まで歩き、拳骨された。
「つっう……!」
「このっ、馬鹿野郎! 快楽のために人を殺そうとするんじゃない! そこのあんた、悪かったな。早く逃げろ、強く生きな」
僕に銃口を突っ込まれていた彼は、怯え上がって逃げていった。我に返って、事の大きさに気づく。まさか僕が、未遂とはいえ人を殺そうとするだなんて。
「ごめん……止められなかった」
しょげる僕に、来夢は乱暴に肩を叩く。
「こっちも、判断が遅れて悪かった。もう取り憑かれた感覚はないか」
「もうないよ、大丈夫。来夢のおかげで、人を殺さなくて済んだ」
「あんたに、殺害は似合わないよ。そうせざるを得ないときは来るだろうが……厄介なのに憑かれたな。おまけにかするようにしたとはいえ、射ってしまって……体力が少し削れた。私のせいだ」
体力ゲージを見やると、ほんの少しバーが減っていた。それでも、大したことじゃない。傷もあまり痛みがないし、どこも危険な状態とは思えない。
「気にしないで。こんなの大したことじゃないから。ちょっと、場所移動しようか。またおかしくなったら困るから、なるべく人がいない所がいい」
「そうだな……見張ると言ったくせに、すぐに止められなかった。本当に格好悪いところ見せてしまったな」
そんなことない、僕が情けなくみえるくらい来夢はかっこいい。そう否定したくなったが、声をかけることは出来なかった。
来夢から交代して、弓束君を抱えつつ先程座っていたベンチへ戻る。そこには、よく見た顔の女生徒が腰を下ろしていた。
「新垣さん……?」
声が届く可能性は薄かったが、思わず話しかけていた。
彼女は勢いよく振り返る。まさかのゲーム参加者か。
「雁翼君!? それに弓束君……? そんな、まさか……」
新垣さんは、弓束君を視界に入れると酷く動揺し、瞳に涙を溜めていた。この状態の弓束君を見てショックを受けたのかもしれない。
「あなたが、あなた達が、弓束君を殺したの……?」
新垣さんは僕に詰め寄り、同じ背丈ほどの大剣を取り出した。
違う、誤解だ。
そう言おうとしたが、来夢は僕の前に出てクロスボウを構える。
「そちらが切るというのなら、こっちも射るまでだ」
じわりとした汗が、背中から徐々に広がっていく。大きな誤解を、どうにかして解かなければ。
今にも戦いが始まりそうな空気に、僕は固唾を飲み込んだ。
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