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第9話

 月曜日の夕方、携帯に知らない番号から着信があったとき、祐樹は地下鉄の出口を出たところだった。仕事の関係者かもしれないから、通路わきに寄ってひとまず電話に出る。 「はい、高橋ですが」 「祐樹?」  懐かしい声が聞こえた。  訓練されたアナウンサーのようにやわらかく張りのある声。この声で名前を呼ばれるのがとても好きだった。 「祐樹? 聞こえてる? 東雲です」  数年ぶりに聞く東雲の声は、ただひたすら懐かしく、祐樹の心に沁みこむようだった。 「はい、聞いてます。お久しぶりです」  どうしてこの番号を知っているんだろう。浮かんだ疑問には本人が答えた。 「ごめんね、実家に電話して、お母さんからこの番号を教えてもらったんだ」  祐樹が高校生から大学生だった頃、まだ携帯がなかった時代だ。東雲からの電話は実家にかかり、母親が取ることもよくあった。きっと母は東雲の名前を覚えていただろう。 「ああ、はい。構いませんよ」  でも正直言って、わざわざ連絡をくれるとは予想していなかった。  いまの東雲なら関係者からのプレゼントはたくさんもらうだろうし、メッセージカードにYukiとしか入れなかったじぶんに直接連絡が来るとは思わなかったのだ。 「素敵な贈り物をありがとう。とてもうれしかった」 「いいえ、雑誌を見たのでお祝いをしたくなって。迷惑でなかったのならよかったです」 「祐樹からの贈り物が迷惑なわけないでしょう。びっくりしたけど、本当にうれしかったんだ」  東雲はそこで一拍置いて、やわらかな声でさりげなく言った。 「よかったら会えないかな」  こんな展開は予想していなかったことで、祐樹はどうしたものかとためらった。その間を読み取って、東雲が理由を追加した。 「無理にとは言わないよ。ただ、いまの祐樹に会ってみたかっただけなんだ。俺は学生の祐樹しか知らないから、どんな大人になったのかと思って」  その気持ちはわかるような気がした。  学生の孝弘しか知らなかったじぶんも、中国で仕事をしながら何度も想像したからだ。  孝弘は今なにをしているのかな、どんな大人になったかな、と。  もう就職して仕事をしているだろうか、やっぱり通訳になってこの中国のどこかで元気にしているかな。そんなことを何度も思い、いつか再会することがあるだろうかと夢想した。  北京のどこかで、あるいはこの広州で。  この広い中国のどこかで、いつか…。  東雲ももしかしたら、そんなことを考えたんだろうか。  いつか祐樹に会えるだろうか、……いや、会いたいと。 「構わないですよ、おれも会いたいです」  言葉は決心よりさきにすべり出ていた。  これが本心かもしれない。  きっとじぶんも会いたかったのだ。

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