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第10話
「ただここのとこちょっと忙しくて、平日の夜しか空けられないんですが」
北京赴任を1週間後に控えて、忙しいのは本当だった。
「そう。平日は仕事してるよね? 何時に終わるの?」
「大体8時か9時くらいですね。待ち合わせすれば、その時間に行けるように調整しますから大丈夫です」
東雲はすっかり大人のやりとりだね、と感心したようだ。
「じゃあ、急なんだけど、水曜日の都合はどうかな?」
互いの予定を確認して、時間と場所を決めて、意外なくらいふつうにあっさり電話を切った。
元気そうでうれしかった。そんなふうに思うじぶんに安心する。
彼はもう過去の人だ。
昔、とても大切でとても好きだった人。
彼の将来のために、別れてあげようと決意できるくらい好きだった。
ふたりが別れたのは東雲に見合い話が来たせいだ。
もっと正確に言うなら、近々、見合い話が来ることになるから身辺整理しておけと東雲の師範にあたる人が東雲に告げた、と祐樹が知ったからというのが理由だった。
当時、東雲は30歳を超えてますます男ぶりが上がって、仕事も順調でちょうどメディアからも注目され始めたころだった。
その見合い話の件を、祐樹は東雲の長年の親友から教えられた。
東雲に連れられて遊びにいったバーやクラブで、祐樹はすでに東雲の友人たちに広く知られていた。その中で東雲ともっとも親しい青山という男が、祐樹を呼び出したのだ。
青山は東雲の高校時代からの友人だった。
恋愛関係は一切なく、いい相談相手だと祐樹も知っていた。昼間のカフェで青山は夜の町で見せるいつもの軽薄な笑顔ではなく、ごく真面目な顔で見合いの件を祐樹に話した。
華道の世界のことはまったくわからないが、東雲は師匠にとても目をかけられているらしい。見合い相手はその師匠の一族の娘だという。
年齢から言っても仕事上の関係から言っても、その見合いを断るのは難しいのだろうと、世間に疎い祐樹にも理解できた。
東雲はきみに別れ話なんか言えないと思う。東雲が恋人をこんなに大事にしているのを初めて見たと青山は打明けた。
それまで東雲はわりと軽く広く浅くつき合うタイプだったらしい。
だから祐樹とつき合うようになって、こんなに長くひとりの相手と続くなんてと東雲の友人たちはかなり驚いたのだ。
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