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23 千晃

 看板には本日のオススメとアラカルト、ドリンクメニューが独特な字体の手書きで書いてあり、開店時間は夕方五時からとなっていた。楓真がスマートフォンで時間を確認すると開店まであと十分程。ドアは閉まり「準備中」の札が掛かってはいるが人の気配はあった。この店も来たことがある、そう直感した楓真は店に入ろうか少し迷った。客として中に入るなら、少し待ってからの方がいいのか……店主と話すだけなら今すぐでも大丈夫か……そうドキドキしながらドアに手をかけるも、鍵がかかっているのがわかり拍子抜けした。 「あれ? 楓真君じゃね?」  唐突に背後から声がかかり楓真は驚き慌てて振り返った。自分より少し歳上な雰囲気の男と、もう一人若い男が楓真を見つめ立っている。 「うわ……ほんとに楓真だ。お前、今までどこにいたんだ?」 「え?」  あまりの驚きに腰が抜けるかと思った。  目の前にいる男の内、一人は「千晃」だった。楓真は思わず千晃にしがみつき、何度も何度も名前を呼んだ。 「千晃! 千晃だ! 千晃」 「おいおい、どうした? 久しぶりだな、って……ちょっと落ち着けよ。楓真? 大丈夫か?」  いきなり楓真に抱きつかれた千晃は戸惑った表情をしながらも、拒絶することなく楓真の背に手を回し優しく摩る。  勝手に涙が溢れてくる。今までその存在を忘れていたのが嘘みたいに、この手が掴んでいるのは間違いなく千晃だと分かった。楓真は興奮冷めやらぬまま、千晃の名を何度も確認しながらその体を撫で回した。 「悪い吏紀、こいつ一旦連れてくから……」 「はい……って、今日はいいっすよ。俺が見ときますんで」 「そか、じゃあよろしくな」  千晃と話しているのは楓真の後輩、吏紀(りき)だった。吏紀が入社してすぐの頃、自分が指導を担当していたのを思いだす。そんな吏紀も楓真とはそこそこ長い付き合いだった。感情に任せ思わず千晃に抱きついてしまったけど、吏紀の視線に恥ずかしくなり慌てて離れ「ごめん」と呟いた。  千晃と少し距離をとり、並んで歩く。  先程足をとめた立ち飲みバーも公園も、よく仕事帰りに行った場所だった。今はバーのマスターの顔までも、はっきりと思い出せている。楓真は何もかも信じられない気分だった。 「楓真、ちょっと雰囲気変わった?」 「そう? 気のせいじゃね? てか帰るの? 店は?」 「いや、さっき聞いてたろ? 今日は吏紀に任せることにしたから、気にすんな」 「そか……俺のせいだよね? ごめんね」  千晃は楓真が務めていた美容室の店長で、ここの店舗と隣駅にもう一つ店を持っている。ここで会ったのも、恐らく向こうの店舗からの移動中だったのだろう。吏紀が一緒だったのが少し気になったけど、ヘルプで店を行き来するのもよくあることだと、特に聞くこともなく千晃の家に向かった。  

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