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56 冷めた心/楓真の現在

 千晃との関係はすでに終わっていた──  楓真は大切なことを思い出した。  電撃のようにはっきりと脳裏に蘇った「愛していた」はずの千晃の存在と、その後の心の移り変わりを。  それは、初めて好きになった人、初めての恋人。初めて体を許し、愛し合うことを教えてもらった大切な人……  でも今、目の前にいる千晃は楓真が愛していた当時の千晃ではない。もちろん楓真自身も、あの時のような純粋な恋心は消えてしまっていた。 「ただいま」 「なあ……千晃。俺も忘れてたのも大概だけどさ、何で千晃は俺を受け入れたの?」 「いきなり何? そんなことよりメシは? 俺、腹減ったわ」 「………… 」  三日振りに帰宅した千晃は当たり前のように楓真に抱きつきキスを強請る。嫌悪にも似た気持ちがチクリと湧きつつ、楓真は「おかえり」と諦めたようにその頬に唇を当てた。 「気まぐれに帰ってくんのやめろよな。言われなけりゃメシだって作ってねえよ」 「とか言って、ちゃんといい匂いしてるじゃん。ありがとな」  今日の千晃は機嫌が良さそうに見え、楓真は無意識にホッとして緊張が解けるのがわかる。料理も、どうせ帰ってこないだろうとわかっていても、千晃が欲しがった時に困らないよう自分の分を多めに作っていた。笑顔で「ありがとな」なんて言われてしまえば、たとえ憎しみがあったとしても嬉しく思ってしまうのが癪だった。  何日も家に帰らず音沙汰なし。きっと吏紀のところにでも行っていたのだろう。記憶が戻った今、千晃の行動に何も感じることはない。悲しく思うこともない。何食わぬ顔をしてテーブルにつき、楓真の用意した食事をとっている千晃は何を考えているのかわからなかった。もとより、記憶が曖昧だった楓真自身も、千晃から見たらおかしな言動をとっていたのかもしれない。そう、理解できないのはお互い様だった。 「千晃……俺、ここを出てくよ」 「は? 唐突に何だよ」  何だも何も、お互い愛は冷めていたはず。何度も裏切られ、挙げ句の果てに吏紀にまでいいようにされ、あの時の自分の心はボロボロだった。何でもない、自分は愛されているんだと錯覚し、自分を騙すようにして千晃に縋っていた。 「だってさ、もう俺ら終わってたじゃん」 「ちょっと? 楓真? 待ってよ、どうした? 終わってなんかねえし!」  この時、千晃が狼狽えたような表情を見せたことに楓真は驚く。自分は間違ったことは言っていない。千晃からの愛情は感じていなかったのは事実だった。 「お前急にいなくなるし、帰ってきたと思ったらいきなりおかしなこと言い始めるし、ほんといちいち突然だな。勘弁してくれよ」  泣きそうな笑顔を見せる千晃に、何とも言えない複雑な気持ちになる。「そんなこと言わないでくれ」と楓真に向かって両手を広げた千晃に、楓真は思わず体を寄せた。すかさず腰を捕まえられ、抱きつかれてしまった。 「せっかく俺のところに戻ってきてくれたのに……悲しいこと言うなよ。愛してるよ」  椅子に座ったままぎゅっと楓真にしがみつく千晃は、そのまましばらく動かなかった。

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