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59 もう心は動かない
「何でそんなに優しくすんの?」
千晃の温もりに包まれた楓真は、思わず聞いてしまった。
今更……と思う自分と、優しくされ少し嬉しく思ってしまう自分の気持ちが揺れ動いているのがわかる。
「なんでって、当たり前だろ? 心配しちゃ悪いかよ」
「だって今までそんなふうにしたことなかったじゃん……」
「そんなことねえだろ。何? 拗ねてんの? かわいいな、楓真は」
「違うし! そうじゃなくてさ……今更おかしいだろ、こんなの」
どうせヤリたいだけなのかと思っていた。いくら拒んだところで強引に体を晒され好きなようにされるのだと思っていた。現に今まではそうだったはず。機嫌を損ねればより酷く抱かれるのがわかるから、どうしても気持ちが萎縮してしまう。ずっと植え付けられてきた僅かな恐怖心はこういう時に思い知らされる。愛し合うという尊い行為が、いつの間にか一方的な欲の発散という行為になっていた。
「楓真が俺の前からいなくなってから、もっと大事にすればよかったって思うようになった。帰ってきてくれた時は俺のことを受け入れてくれたのかと思って嬉しかったんだ」
「それは……」
嬉しそうな千晃を見て何も言えなくなってしまった。
記憶を無くす前の最後の日。
もう千晃とはやっていけないと決心していた自分は、それをちゃんと伝えていたのだろうか。ひょっこり戻ってきた楓真を見て、千晃は喜んでいた。自分もかつての愛した恋人を思い出して涙が出るほど嬉しかったはずなのに、本当に大事なことは忘れたままに誤解を与えるような接し方をしてしまった。現に千晃は「許された」と思い、今こうして楓真に触れている。
「それで楓真が吏紀に跨って、やってるのを見てショックだったんだ。うん……あれは、吏紀とのことは俺のせいだってわかってる。でも、それでも俺はどうしたらいいかわからなくて……」
目に涙まで溜めて「ごめん」と謝り顔を伏せる千晃は続けた。
「どうしようもない嫉妬と八つ当たりで、あの時もお前を酷く抱いちまった。優しくしたいって思ってるのに、感情が昂ると抑えることができなくなる。こんなだから……こんなふうに俺が自分で楓真に愛想尽かされるようなことをしちまってるのに……それでも楓真。お前のことが好きなんだ」
千晃ははっきり「好きだ」とそう言った。
同じベッドに横になり、かつて愛した男の腕に抱かれている楓真は言葉が出ない。こんなふうに何もせずに会話だけで二人で体を寄せていることも珍しいことだ。今まで自分勝手に行為を強いてきた男が悔い改めようと、楓真を抱く腕を小さく振るわせている姿がひどく印象に残った。
「ありがとう……ごめん、もう寝る……から」
「……ああ。おやすみ」
きっとまたいつものことだ──
楓真の気を引こうとして優しい態度で接しているに過ぎない。今まで何度も何度も同じようにされてきた。こういう千晃の上辺だけの優しさにいつも期待し、絆されてしまっていたのだと自身を振り返る。
今更あの時と同じように優しくされたところで、もう心は動かない。楓真は千晃に背を向け眠りについた。
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