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73 吏紀と浩成
千晃のマンションのエントランスで出会したのは吏紀だった。一瞬しか見なかったがあの時の「男」だと直感した浩成は、思わず吏紀の腕を掴んで引き止めた。
「お前っ、吏紀だな?」
「なんだ? 誰だよ、放せよ!」
あの事故直後は楓真の状態のこともあり大事にならないよう事件にはしなかった。それが正しかったかはわからない。でもこれ以上楓真に危害を加えるつもりなら容赦しない。浩成は吏紀に対し殺意に近い感情で迫っていた。
「あっ! もしかしてストーカー野郎か? 放せったら!」
「……は?」
吏紀にストーカーだと言われドキリとした。違うと否定したいのに後ろめたさから何も言えず、思わず手を放してしまった。
「楓真君に付き纏ってたやつじゃねえの?」
「ち、違う……」
「そ? まあ別にいいけど。なんなん? あんた」
掴まれていた腕を不満げに摩りながら吏紀は浩成を睨んだ。
「……楓真を突き落としただろ」
「え? 何それ。見てたのかよ? 違うし。ちょっとぶつかっただけ……でも今更言われてもね。証拠もないでしょ」
開き直った態度にイラっとするも、吏紀の言う通りだった。事故の件は今更言ったところでしょうがないことだと浩成は引き下がる。でも言いたいことは言わないと気が済まない。行方不明の楓真のことを知らないか、吏紀に聞くのが早いと思い矢継ぎ早に捲し立てた。
「楓真の気持ちはとっくに彼には向いてなかったんだよ。彼らは別れたに等しいのに……」
「ああ、そうだろうな。そんなの知ってるし。勝手に消えて勝手に戻ってきて彼氏ヅラして迷惑なんだよ。千晃さんだって……なんであんな奴に……」
あの事故後、消えた楓真に吏紀はこれ幸いとばかりに千晃に取り入った。
千晃は自分と別れたがっていた楓真が、知らない間に出て行ったと吏紀に聞かされかなり苛つき怒っていたのだそう。そもそも楓真は自分と別れたがっているなんて信じてはおらず、何かに当たらなければやっていられないと言わんばかりに荒れていた。以前吏紀が見かけたという見知らぬ男、浩成の存在をストーカーだと勝手に認識し、全ての原因はそのストーカーのせいだと言い、何かに巻き込まれて失踪したのかもしれないと言い出した。それを吏紀がなんとか宥め諦めさせ、楓真がいない間「遊び」の関係だった吏紀に楓真を重ねるようになり、やっと千晃に恋人らしい扱いをしてもらえるようになったのだと吏紀は言った。そんな矢先に楓真が戻ってきて迷惑だったと、吏紀は大きなため息を吐き浩成を睨む。
「千晃さん、やばいことになってるよ。もう逃さないって楓真君閉じ込めてる」
「は? 閉じ込めてるって……」
「言葉のまんま。でも拘束は俺が解いてやったよ。今頃脱出しようとしてんじゃね? あぁ、でも思い詰めてなきゃいいけどな」
千晃が帰ってくるまでの間に楓真をなんとかしてくれと馬鹿にしたようにケラケラと笑う。そして「千晃さんの側には俺がついてるから楓真君はもう必要ない」と寂しげにそう言った。
自分が楓真を諦め、もたもたしていたせいで酷いことになっていた。 悔やんでも悔やみきれない。吏紀が言っていた「思い詰めてなきゃいいけどな」と言う言葉が気にかかる。確か千晃の部屋は十階だ。楓真は寝室に鍵をかけられ閉じ込められている。千晃にDVを受けていた時も楓真にはその自覚がなく、むしろ愛されているのだと自分を納得させていた。側から見れば普通の精神状態ではない。あの時の楓真も浩成から見たらかなり危うい状態だった。それを踏まえて、今のこの状況で考え得ることがどうしても最悪な結末しかなく、気持ちが逸った。
「何なんだよ……クソっ」
浩成は吏紀とすれ違いに、急いで千晃の部屋へ向かった。
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