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よくある廃墟の街【2】
「――――なんてことだ! オレとしたことが男に声をかけてしまうなんてっ!!」
芝居がかったしぐさで頭を抱えて、青年は絶叫した。
落ち着いた色合いの生地に、十字模様の縫い込まれた上着――神官の制服を着た、二十いくつかの若者である。
「兄さん。とりあえず、挨拶を」
「あ……、そ、そうだね」
プリスに囁かれ、青年は小さく咳払いした。
「はじめまして。オレはイスト。妹と一緒に、ここシンクレアで神官をしてる」
「聞いてる。なんかこう……イメージと違ったけどな」
「? まあ、サプライズは好きだよ」
苦笑とともに肩をすくめてから、イストはふうと息をついた。
「とにかく、来てくれてありがとう。欲を言えば妹は留守番させてほしかったんだけど……」
ソルとウィザは互いを見た。地上があの状態では、とてもではないが置いて来られるものではない。
人間を閉じ込める結界のことを話すと、イストは深いため息とともに額を拭った。
「……むごいことをするね……分かった、ありがとう」
「大丈夫か?」
顔色が悪く見えるのは、薄暗いせいだけではないだろう。
「今の話で確信したよ。結界に織り込まれてたのはネクロマンシー……いわゆる、死者を意のままに操る呪文だ。ネクロって言ったか、彼女の目的は、結界に使われる魔力を自分のものにすることだったんだろう」
街一つを守る結界、それも神話の時代に施されたものを強化するとなれば、多くの神官や僧侶が力を貸すこととなる。
「兄さん、ごめんなさい、私、金印を……!」
「いいさ、街からは出られなかったんだろう? ……幸いまだ、全ての魔力が奪われたわけじゃない」
「どういうことだ?」
イストは視線で周囲を示した。
「聖都の歴史は二千年以上……共同墓地で眠るなきがらは数えきれない。儀式が完全な状態で発動していたら、この程度の死者の群れじゃ済まないはずだ」
おそらくその立地も含めて、ネクロはこの街に目をつけたのだろう。
「彼女がもう一度儀式を行う前に、見つけ出して止めるしかない。二人とも、ネクロと戦ったんだろう?」
「ああ、心臓に穴が開いても平気な面してたぜ」
言いながら思い出したのだろう。ウィザが嫌な顔をする。
それに頷き返して、イストが傍らに携えていた本を開いた。辞典に近い大きさと厚みのそれは、本来机に乗せて使うものだろう。
ウィザがイストの手元を覗き込む。
「古語か? ……己が…光…」
「お、話せるね。“己の光の生む影に迷いて、道を誤ることなかれ”」
古めかしい文字で書かれた教典をなぞり、イストが内容を読み上げる。
「“……これにより生けるものに祝福を、死せるものを御許へ”…つまり、聖職者のみが使える浄化の呪文だ。本当は、僧正さま以上の力がないと効果は薄いけど」
一度言葉を切って、イストは笑みを作った。
「鐘楼の上の十字架を見ただろう? あれは歴代の聖職者の力をたっぷり蓄えてる。そのそばで呪文を使えば、オレでもかなりの威力になるよ」
「それじゃあ……!」
「ただ、これは極端に魔力を消耗するんだ。オレの力じゃ一回打つのが精いっぱいだし、妹は……」
プリスが力なく首を振る。
イストは教典を閉じると、真剣な目でソルとウィザを見た。
「力を貸してくれ。仮にも聖都の人間として、これ以上好き勝手させるわけにはいかない。それに……」
イストはちらりとプリスを見た。プリスがそれに気づく前に視線を外し、冗談っぽく苦笑する。
「男と心中する趣味はないだろ?」
「ここじゃ墓の下でのんびり出来そうもねーしな」
「シャレにならねえこと言ってんじゃねェよ」
三人の視線が交差し、イストが表情を緩める。
すらりと差し出された手に、ソルとウィザが手を伸ばしかけた―――ときだった。
ズゥゥゥン……!!
階段で起きたのと同じ、いや、それ以上の振動が地面を揺らした。
天井から振ってくるつぶてからプリスをかばい、イストが周囲に目を配る。それらが止まないうちに、また新たな振動が響いた。
がしゃん、と、奥の通路へ続くアーチが壊れる。
「ここにおったか、人間ども」
くぐもったようなしゃがれ声が響いた。
「ラディアート……!」
プリスが呻く。
部屋に入ってきた相手は、シルエットだけなら体格のいい男にも見えた。天井に触れそうなほどの上背と、ドアにつっかえそうな体の幅は、室内を移動するのも楽ではないだろう。
その巨体を円筒状のマントで覆い、顔には鉄仮面のような兜をつけている。
光沢のある布越しに鎧のような凹凸が見て取れた。
合わせから手袋をつけた手がのぞき、光沢のある布地を引きちぎる。
「ゴーレムか」
ウィザが低く呟く。
あらわになったラディアートの体は、隙間なく集まった石のブロックで出来ていた。長短さまざまな形が組み合わさっており、肘や腕だけを見れば石造りの防具にも見える。
兜の空気穴の向こうに目のような光が灯り、イストを見て山なりに輝いた。
「我が輩に気配を悟らせんとは、神官にしては見事よ。だが、もって数分だったと見えるな」
「ああ、気絶してた時間を言ってるのかな? 偶然天井が崩れてくれてラッキーだったよ」
ソルたちはあさっての方向を見た。それに気づくことなくイストが続ける。
「それより何の用だい? どうせならあの美人とお話したいんだけど」
「……ネクロならば、鐘楼で儀式の準備をしておる」
含み笑いをしたラディアートに、ソルとウィザは顔を見合わせた。
イストが声のトーンを落とす。
「……いやにすんなり教えるね」
「隠すことでもあるまいよ。古くは武術に秀でた神官がいたと聞き、奴の守り役に甘んじたが……とんだ見当違いであったわ」
「……?」
ソルはイストが眉を寄せる前に地面を蹴った。腰の長剣を鞘ごと引き抜き、半ば突き飛ばすようにイストの立ち位置に滑り込む。
――――ぐわんっ!!
死角から振り下ろされた棍棒が触れた瞬間、ソルは角度をつけてその一撃を受け流した。
が、鋼鉄製の鞘が鈍い音と共に歪む。
「我が輩が求めるのは強者との闘いのみ! 神の名にすがり、己の精進を怠るものなど、生かしておく価値もあるまい!」
返す棍棒を脇の下から振り上げて、ラディアートが喜悦を含んだ声を上げた。
「抜け、戦士! さもなくば貴様の命、鞘ごと手折ることになるぞ!」
「……言われなくても!」
ソルは舌打ちとともに長剣を抜いた。下からの一撃を片足を起点に避け、ラディアートの体の側面に回り込む。
――――じゃっ!
兜と首の境を狙って斬りつけた一撃は、石造りの腕にあっさりとガードされた。指がしびれるほどの反動に舌打ちし、ソルが横薙ぎの腕を蹴って飛び退く。
「我が肉体は岩石以上の固さ。下手に斬りつければ貴様の指が砕けるだけだ」
「へぇ?」
「む……!?」
ラディアートが自身の肘を見下ろす。一閃を受け止めたブロックの一つに切っ先の跡が入っていた。
棍棒を握り込み、ラディアートが地面を踏みしめる。
「面白い……! いざ、存分に戦り合わん!」
「吹き飛べ!!」
横合いから放たれた衝撃波がラディアートを殴り飛ばした。振り向いたソルに、ウィザが軽く顎をやる。
「ソル。先に行ってろ」
「なっ!?」
声を上げたのはイストだった。
数秒のにらみ合い――と、いうよりは視線での押し合いの末に、ソルが目を閉じて息を吐く。軽い金属音がして、長剣が鞘に収まった。
「イスト、出口は?」
「西の階段が近いはずです!」
ウィザを残し、三人の足音が遠ざかっていく。
それが聞こえなくなったころ、ラディアートが巨体を起こした。
「勝負の最中に手出しとは……やってくれる」
「てめえみたいなのに付き合わせると、あとが面倒なんだよ」
「ふむ?」
ラディアートは顎に手を当てた。が、すぐにどうでもいいと言うようにかぶりを振る。
「お主のような優男では興が乗らんわ」
「ありがてェな」
「き奴らを追うためにも――――ここは早々に片付けさせてもらうぞ」
ラディアートが棍棒を一回しして構える。衝撃波の直撃を受けたにも関わらず、体を作るブロックに目立った傷はない。
ウィザは渋い顔で肘の亀裂を見やった。
■□■□
「あの魔導師くん、大丈夫なのかい?」
ソルは視線だけで隣を見た。
地下墓地と神官たちの宿舎を有する大聖堂内には、東西南北と中央の五か所に階段が備え付けられている。ただ建物自体が広いため、階段と階段の間にはかなりの距離があるようだ。
教典を両手で抱え、イストが肩越しに後ろを見る。
「どう見てもあいつと殴り合いができるようには見えないけど」
「蹴り合いで負けといて何言ってんだよ」
「余計なお世話だよ!」
「兄さん」
プリスが行き止まりの扉に手をかけた。イストが頷き、ソルが長剣の柄に触れる。
ゆっくりと開いた扉の向こうからは、先ほどの共同墓地と同じ、湿った空気が洩れだしていた。
石造りの墓標が通路を挟むように左右に広がっている。それでも狭苦しく感じないのは、墓と墓の間に一定の間隔が設けられているからだろう。一直線に伸びる通路の先に、入ってきたものと同じような扉がある。
「ここはね、王都の著名人が眠る場所なんだ。教師や研究者もいるけど、主に騎士の名をたまわった人たちが多い」
ソルは近くの墓石を見た。故人の没年と功績が刻まれ、愛用していたらしい武器が立てかけられている。
参列者で踏み固められているのだろう。一歩進むごとに、かつん、と地面が硬い音を立てる。
かつん。かつん。………かた。
かつん。……かたかたかたかた。
「だから――――ネクロが利用しないわけはないよね!!」
イストが言うのとほぼ同時に、土を巻き上げて骸骨たちが躍り出た。
ソルが一閃と共に前へ跳び、イストがプリスを抱き寄せるように後方へ飛びのく。
三人が立っていた空間を十数本の切っ先が貫いた。
『カタタッ、カタカタカタッ!』
不揃いな歯を鳴らし、一体の骸骨が何かを叫ぶ。それに応えた数体の骸骨が武器を携え、ソルの方へ向かって来た。
眉間を狙って繰り出されたレイピアを跳ねあげてしのぎ、その流れのまま横からのサーベルを打ち払う。
背後に嫌な気配を覚えて、ソルはレイピアの骸骨を叩き斬って正面へ跳んだ。鈍い風切り音とともに後ろ髪を掠めた斧が地面に刺さる。
『カタタタタッ!!』
一体の合図を受け、骸骨たちが一斉にソルに武器を投げつけた。八方から刃が迫る状況では取れる選択は限られる。
傷を覚悟で進むか、この場にとどまって打ち払うか――――
「――――進んでくれ、ソル」
イストの開いた教典が淡い光を帯びる。
「加護を!」
鐘を打ったような音と共に、ソルの周囲を光の障壁が包み込んだ。飛んできた刃は一つ残らず弾かれ、槍を突き込んだ骸骨が押し返されてたたらを踏む。
「プリス!」
「委ねなさい!」
直線状に吹き抜けた突風に押され、不意を突かれた骸骨たちが体勢を崩した。
しかし範囲の外にいた数体は武器を拾い、一斉にプリスに襲い掛かる!
「きゃぁああっ!」
「――――っ!」
振り下ろされた刃の前に割り込み、イストがプリスを抱き込むように飛びのいた。
その切っ先が腕を裂きかけた刹那、長剣が骸骨の頭蓋を叩き割る。
『――――ギャアッ!』
最後の一体が静かになるまで、そう時間はかからなかった。
「サンキュ、助かった」
「神官のたしなみだからね。プリスも大丈夫かい?」
「兄さん、ケガを……!」
「剣が掠っただけだよ」
イストが突き当たりの扉を押し開けた。その背中に手を伸ばしかけて、プリスがぐっと唇を結ぶ。
扉の先は降りたときと同じようならせん階段だった。
ただこちらは比較的小規模で、らせんの中央には柱が通り、大人二人が並んで通れるほどの幅のものになっている。急カーブを一気に駆け上がる危険を考えてか、一段一段の幅が広かった。
「さっきの話だけど、魔導師くんが心配じゃないのかい? あんな大技連発して、王都の生まれには見えないし……」
「ああ、田舎の出身だってさ」
イストが一瞬歩みを止めた。それに気づかず、ソルが独り言のように続ける。
「あとなんだっけな……あぁそう、先祖返りだって」
■□■□
「――――はじけろ!!」
ウィザは振り下ろされた棍棒目がけて呪文を放った。
爆発の勢いが棍棒を浮かせるが、やはりラディアートの指に目立った傷は入らない。魚の群れのように集まった石のブロックは、それ相応の強度を持っているようだ。
「ぬぉぁあああ!」
「火炎よ!」
足もとから伸びた火柱を打ち払い、ラディアートがウィザへ突進する。一歩ごとに地鳴りのような足音がこだまするが、巨体の歩みはそう速くない。
脅威的な腕力から繰り出される棍棒のみに気をつければ良い。
「はじけ……」
ウィザが数度目の爆発を食らわせようとしたときだった。
―――――――ぢっ!!
火打ち石をぶつけるような音がして、ラディアートの姿がぶれる。とっさに脇へ転がったウィザの横を強風を纏った何かが突き抜けた。
砲弾のように壁へ突っ込み、ラディアートがゆっくりと振り返る。
「……ふむ。これは避けるか」
「な…!?」
驚愕の声を洩らす間もなく、再びラディアートが地面を蹴る。
先ほどの位置から壁まで、およそ10メートルはあった。その距離を一瞬のうちに駆ける速さで、ラディアートの巨体がウィザに迫る。
「ぬんっ!」
上段から振り下ろされた棍棒が墓石の一つを打った。つぶてと化した石の群れがウィザの頬を叩き、ラディアートが再び加速をかける。
「吹き飛べ!」
「なんの、児戯にもならんわ!」
正面からの衝撃波を押し返し、ラディアートが棍棒を突き込む。
「――――ぐぅっ!」
その直撃こそ食らわなかったものの、石造りの巨体は体当たりのようにウィザを弾き飛ばした。数歩よろけて踏みとどまりつつも、柔い墓土に足を取られる。
「…………っ!」
「膝をついては雌雄が決したも同然」
「はっ、言ってな」
ウィザは切れた口の端を拭った。
最初から荒れ放題だった墓地だが、この数分でますます元の形を失いつつある。先ほど破壊された墓石に加え、突進に巻き込まれた墓の残骸がいくつも足もとに散らばっていた。
「少々の威力を扱えるようだが、所詮は人間……我が輩の前に立ったことを悔いるがよいっ!」
砲撃のような踏み込みの音が響いた。
次の一歩が土を踏む刹那、ウィザがその足元へ狙いを定める。
「はじけろ!」
土と墓石の残骸が舞い上がった。
僅かに体勢を崩しながらも、ラディアートが着地点をずらして爆発の中心部をかわす。
踏みしめた足元が不意に抜けた。
「何ッ!?」
「かかった!」
空の棺桶のふたを踏み抜き、ラディアートが大きく前方につんのめる。
ウィザはそのつま先に目を凝らした。
地面に跳ね返ったブロックが隣り合うものを弾き、そのブロックがまた隣へぶつかる。体を作る無数の石をビリヤードのように打ちあって勢いを増すことで、巨体に似合わぬ加速を可能にしたのだろう。
ぶつかったブロックが跳ね返る瞬間――――力を逃がす場所を失った瞬間を狙い、圧縮した衝撃波を叩き込む!
「貫け!」
ラディアートの胴に亀裂が広がった。いくつものブロックが大きくひび割れ、細かな欠片を落として震える。
「ぐっ……おっ……!」
「カン違いすんなよデク野郎。膝をついたら終わり、じゃねえ。膝をつこうが『やる』んだよ」
ウィザは片膝を軸に上体を捻った。体重の移った足一本で体を起こし、目の前の亀裂をかかとで踏み抜く!
「がは…………………ッ!」
ラディアートの体がくの字に折れ、反動を受けた兜がのけ反るように宙へ外れた。中心から順に砕けた石の群れは、地面に落ちることなく砂となって消える。
ラディアートの体が完全に消滅したことを確認し――――
「~~~…~~…~っ!」
ウィザは肩を震わせて片足を抱き込んだ。
■□■□
「兄さん、先祖返りって?」
「正式な呼び名じゃないから、キミも知ってるはずだよ」
階段を上るペースを心なしか速めながら、イストがプリスを振り返った。
「混血の問題は知ってるだろう。でも、代ごとに魔力が弱まる現象は、最近急に起こり始めたものじゃない。その血に流れる魔力が失われてから、数百年、数千年と続いてきた家系……そこに突然、強力な魔力を持った子供が生まれることがあるんだ」
階段を上り切った先には、繊細な彫刻を施した扉がついていた。イストが膝をつき、鍵代わりの組木を外していく。
「主に地方で発見されてるから、はっきりした研究は進んでない。ただ、彼らの呪文には『詠唱』がないんだ。体内の魔力を集めて効果範囲を指定し、望むイメージを組み上げる―――これを一瞬で行えるから発動も早い」
「さっきの結界も早かったんじゃねえ?」
イストが背中を向けたまま苦笑した。
「術式理論、って言ってね、呪文を扱うための数式みたいなものがあるんだ。オレはその余計な部分を省いて、短い詠唱で発動できるようにしてるんだよ」
プリスがそっと一冊の本を差し出す。
「普段はこちらを使っているんです」
ソルは本を受け取り、ぱらぱらとめくった。いくつかの教えや祈りの言葉が現代語でつづられている。厚みは手のひらに収まる程度だろうか。
これならば、教会や宿の引き出しで見た覚えがある。
「難解な古語を解読しなくてもいいように、聖都が発行したものです」
しかしそうして人の手を経たものには、時に省略や解釈の違いが発生する。
深い信仰心と探求心を持って原典を紐解いた者だけが、より鮮明な『神』の教えに――そして、その時代に存在した知識に触れることができる。
「兄は……とても努力家なんですよ」
本をしまって、プリスが辛そうに微笑んだ。
かしゃん、と軽い音を立てて、2つに分かれた組木が地面に置かれる。
「開いたよ、そっちを持って」
二人がかりで扉を押し開けると、長い廊下のような空間に出た。深紅の絨毯が縦横に伸び、白亜の壁が薄闇の向こうまで続いている。
「骸骨たちはいないみたいだね。ほら、入口も閉まってる」
ソルはイストの指差す方向を見た。
「(ってことは、ようやく一階に戻ってきたわけか)」
「兄さん、あれ……!」
プリスが声を潜めて奥を指した。
鐘楼へと向かう階段の一つに、誘うようにロウソクが灯っている。
握った手のひらを胸に当て、イストが深く息を吸った。
「……よし。一度状況を整理しようか」
聖都のランドマークである大聖堂――――その最上階に位置する鐘楼は、戴冠式や式典の場にもなった歴史から、ちょっとしたダンスフロアほどの広さを有していた。四隅からは白レンガの柱が伸び、頭上で交差して屋根と鐘を支えている。
その一本に背中を預けて、ネクロが一人、眼前の街並みを見下ろしていた。
「んっふふ……よーうやくステキな景色になって来たじゃなぁい?」
生臭い霧が立ち込め、生ける屍たちが通りを歩く。
満足げに唇を歪めて、ネクロは手元の金印を眺めた。鐘楼の床には魔法陣のような文様が描かれ、骸骨たちが着々と祭壇の準備を進めている。
「これで聖なる都は魔王さまとアタシの忠実なしもべ。……あのボウヤがいなければ、とっくに済んでるはずだったんだけどぉ」
『カタタタッ!!』
ネクロは骸骨の声に視線を上げた。
階下へ通じる唯一のはしご階段―――――それをのぞき込んだ骸骨が鉄の鞘に顎を突き上げられ、のけぞるように吹き飛ぶ。
駆け寄った二体の足を抜き放った一閃で砕き、ソルが鐘楼の床に着地した。
「やっぱり来るわよねぇ」
あとに続いたイストを見やり、ネクロが指を鳴らす。
辺りの骸骨が一斉にソルたちへ襲い掛かった瞬間、未だはしごにいたプリスが詠唱を終える。
「委ねなさい!」
吹き抜けた突風はソルには追い風、骸骨たちには向かい風となった。隊列の乱れた一瞬に目の前の頭蓋を叩き割り、踏み込みと共に斜めに斬り下ろす。
粉々に砕けたあばら骨ごしにネクロが右腕を振り上げるのが見えた。
「ッ!?」
とっさに膝を折ったソルの頭上を掠め、鎌のようなヒレが行き過ぎる。
ネクロの肘から伸びるそれはソルの髪を数本斬り飛ばし、床へ落ちる途中の骸骨の頭蓋を真っ二つにした。
「一匹足りないわねぇ。ラディアートに捕まっちゃったかしらぁ?」
「そいつ『が』捕まってんだよ」
ソルは残りの骸骨たちを斬り伏せ、横薙ぎに繰り出された腕を肘の先から斬り飛ばした。ネクロが舌打ちと共に飛び退き、羽衣が右腕を覆う。
「そぅお、じゃあ全員揃うのが楽しみねぇっ!」
ソルは間合いの外から繰り出された一撃を打ち払った。
羽衣がほどけた腕の先からは2メートル近い蛇の尾が伸びており、ムチのようにしなって後方のイストへ向かう。
「そっちのボウヤは見学かしらぁ!?」
ソルは踏み込みと同時に長剣を跳ねあげ、刃の側面で絡め取るように尾の方向を逸らした。
大きくカーブした尾の先がイストの肩口を打ち、呻き声と共に詠唱が途絶える。
「っ、すまない!」
床を打った蛇の尾が白レンガにひびを入れた。
再び向かってくるそれをいなし、ソルは階下での打ち合わせを思い出した。
■□■□
『状況を整理しよう』
イストがロウソクの下で指を立てる。
『ネクロには、剣も呪文も足止め程度にしかならない。おそらく彼女自身が不死……というか、死者に近い性質を持ってるんだろう』
『だからあんな風に体をすげ替えて……』
呻くプリスにイストが頷く。
『ネクロを中心に浄化呪文を放って、聖都全体を清める。ただ、魔力の消費が大きいのは話した通りだよ。オレの魔力じゃ打てるのは一回、外すわけにはいかない』
『詠唱にはどのくらいかかるんだ?』
『……急いでも30秒はほしいな』
ソルは地下へ続く階段を見やった。
『(ウィザが追いつけばいーんだけど、キツいな)』
合流を待っているうちにネクロが儀式を終え、おびただしい死者の群れと戦うことになっては元も子もない。
『前に出るから、詠唱頼む』
『どうするんだい?』
『どーにかして当てられるように持ってくよ』
『わかった、信じてるよ』
ソルは青ざめてイストを見た。イストがきょとんと瞬きする。
『あの……兄さん』
『ああプリス、ごめんね。じゃあ行ってくる』
■□■□
「慎みなさい!」
まっすぐに伸びた光の帯が鐘楼を横切った。骸骨のいなくなった上り口を踏みしめ、プリスがネクロに手のひらを向けている。
慌てて前方へ抜けたネクロの前に回り込み、ソルは長剣を逆手に持ち替えた。
突き下ろされた長剣は鱗を貫き、ネクロの右腕を床へ縫いとめる!
「――――ッ、あああ!」
悲鳴というよりは癇癪のような声を上げて、ネクロが左腕を振り上げる。その両腕を羽衣が覆うよりも、背後の呪文が完成するほうが早い。
「イスト!!」
■□■□
『連れてかねーの?』
ソルはプリスを見やった。
『お前が浄化呪文で手いっぱいなら、一人でもサポートがいたほうがいいんじゃねえ?』
『サポートって……! いや、だけど妹は』
『魔力封じとか。二回は当たんねーかもだけど、向こうの目は逸れるだろ』
『うーん……』
イストは口を結んでいたが、しぶしぶといった様子で頷いた。
『……しょうがないね。でも、あくまで後方支援だよ』
■□■□
詠唱の最後の一節を唱えながら、イストがネクロに手のひらを向ける。一般的な攻撃呪文と違い、浄化呪文に巻き添えの心配はいらない。
最後の一文を唱える口元がゆっくりと動く。
生けるものに祝福を、死せるものを――――
「――――――そぉうはいかないわぁあああああああっ!!」
突き刺さったままの長剣を無理矢理に引き抜き、ネクロが右腕を振り回した。
血の滴る蛇の尾が辺りをめった打ちにし、床と柱に亀裂が走る。
「…………ッ!」
跳ねたがれきの一つがイストのこめかみを直撃した。傷を押さえてよろめいた鼻先を蛇の尾が通り過ぎ、頭上の鐘を濁った音で鳴らす。
ソルは舌打ちと共に長剣を掴みなおした。一歩踏み出そうとした刹那、腹に鈍い衝撃が走る。
目の前を行き過ぎた蛇の尾がプリスの胴を横薙ぎに殴り飛ばした。
「ごほ……………っ!!」
体重の軽い体はあっさりと床から離れた。一メートルほどの距離を飛ばされ、プリスがそのまま鐘楼の外へ投げ出される。
イストが血相を変えて走るが、伸ばした手は僅かに妹に届かない。
その背中目がけ、ネクロが蛇の尾を振り抜いた。
「! ――――兄さん、呪文を!」
悲鳴じみた叫びを残し、プリスが遥か下へと落下する。
イストが弾かれたように振り向き、慌てて手のひらを突きだした。
「導き……えっ!?」
―――――――かっ!!
瞬間、目を焼くほどの光が辺りに満ちた。
数秒、あるいは数時間にも思えるホワイトアウトを経て、辺りに少しずつ色が戻り始める。
イストが荒い呼吸のまま周囲を見回す。
ネクロの姿はない。
ソルは長剣を握ったまま、鐘楼の中央で片膝をついていた。
白一色であるはずのレンガの上に、じわじわと赤い血だまりが広がっていく。
「――――っ、がはっ!!」
「ソル!」
頭上から飛び降りてきた影がソルを蹴り転がす。
「ざぁんねんだったわねぇ。アタシの動きを封じて浄化呪文を叩き込む……そんな作戦だったんでしょうけど」
肩越しにイストを一瞥して、ネクロが誇らしげに自らの足を撫でた。カンガルーのような魔物の足が羽衣に包まれ、細い女の足へと戻る。
「アナタみたいな一神官なら、直撃させなきゃ意味ないわぁ。まさかアタシが知らないとでも思ったのぉ?」
「ぐ…っ……!」
巨大な針のように尖った左手の爪を舐めて、ネクロがソルの腹を踏みつけた。
「さて、お仕置きの時間ねぇ。このコには相当お気に入りをダメにされたし、利き腕ぐらいもいじゃおうかしらぁ」
「よせ!!」
ネクロがくつくつと喉を鳴らす。
「妬かなくてもアナタもぜーんぶ見てあげるわよぉ。顔は自前だけど、そのキレイな目ならココに入れたいくらぁい」
「……そのままで十分魅力的ですよ、レディ」
「お世辞でも嬉しくってよぉ、神官サマ」
ぎり、とソルが長剣を持つ手に力を込めた。
「――――――吹き飛べ!!」
下からの衝撃波がネクロの頭上をかすめ、鐘楼の屋根を吹き飛ばした。
ネクロが反射的に振り仰ぐ。
その足首目がけ、ソルは片腕で長剣を振り抜いた!
「ギャァァァァアア!!」
怯んだネクロを突き飛ばし、イストが転がるようにソルの襟首を掴む。数歩引きずられた鼻先をネクロの爪が行き過ぎた。
「こぉのッ!」
イストに向かった一撃をしのいで、ソルはせり上がる感覚に片肘をついた。胃から逆流した血が食道を上り、咳を伴って床を汚す。
「火炎よ!」
爪を振り上げたネクロの前を火柱が横切った。
「あの魔導師ねぇ……! 好きに打てばいいわぁ、お仲間に当たっても知らないわよぉ!!」
舌打ちと共に地上へ叫んで、ネクロが目を見開いた。
眼下に広がる景色のすぐ足元――――大聖堂の庭先にウィザが立っている。そして、その隣で肩を支えられるようにして、プリスがきっとネクロを見据えていた。
その意味を考える間もなく、先ほど吹き飛ばされた鐘楼の屋根が落下してくる!
「―――――ッあああぁぁぁぁあああっ!?」
聖都の象徴である十字架に貫かれて、ネクロは悲鳴を上げた。
歴代の聖職者の力を蓄えたそれは人ならざる体を焼き、引き抜こうとする手を電流で阻む。それにかぶせるようにして、イストが静かに呪文の詠唱を始めた。
長い祈りの言葉のような、浄化呪文の詠唱を。
「なッ、なんで……! 呪文はさっき……失敗して…………っ!」
ネクロは動きを止めた。
声を出せる状態であること。術者が集中できていること。その二つの条件さえ満たしていれば、呪文を放つことに制約はない。寝ぼけていようと、大ケガを負っていようと――――落下の最中であろうと。
「さっきの光は、おチビちゃんの明かりの呪文……っ!?」
十字架を引きずるようにして、ネクロは床を後ずさった。
「やめっ……やめてよ、やめなさい! ……そう、あなた家族に会いたくないの!? アタシがいないと全員、ただの死体に戻るのよぉ!?」
イストは答えない。ただ大きくなる光の塊を、気力一つで制御している。
「導きよ」
指先から離れた光がネクロに触れ、直後、大きく広がって聖都を包み込んだ。
「……もっと別の形でお会いしたかったです。レディ」
■□■□
『……しょうがないね。でも、あくまで後方支援だよ』
『待って、兄さん』
ソルとイストが振り返る。プリスは静かな意志をたたえた眼差しで二人の足元を見つめていた。
『剣も呪文も効かない相手への切り札、浄化呪文……ネクロがその存在を知らないなんてこと、あるのかしら』
ソルは横目でイストを見た。プリスは独り言のように続ける。
『少なくとも彼女の知識は本物だった。詠唱の省略や最適化について、兄さんと二人で話ができるくらい』
『プリス、そうだけど』
イストを遮り、プリスが勢いよく顔を上げる。
『だったら! 簡単な呪文しか使えない私より、兄さんを警戒するはずです!』
ソルは人差し指を口の前に立てた。プリスが口を押さえる。
『っつっても、どーしよーもねーんじゃねえか?』
プリスが首を横に振る。
『思いついた作戦があるんです。……兄さん、お願い。私もこの街の聖職者なの』
■□■□
「おい、無理に動くな」
地面に膝をつき、プリスがうずくまるように咳き込む。
ウィザはその背中に手を伸ばしかけてやめた。大した防具もなしに屋根へ落下したのだ。背中の筋肉を痛めていることは確実である。
体全体を震わせるようにして、プリスが大きく息を吐く。
「……兄さんが作戦を守ってくれてよかった……完成しかけた詠唱をわざと止めて失敗したふりをすれば、きっとネクロは油断すると思って、っ、けほっ、けほ」
「だから、無理にしゃべるなっつってんだろ!」
声を荒げてしまってから、ウィザは苛立たしげに目をそらした。
玄関ホールの絨毯を切り裂き、外へと向かう矢印が記されている。
仮にウィザがソルたちのあとを追い、鐘楼に上ったとしても、追いつくまでにはかなりの時間がかかっただろう。だが外へ出れば、合流にかかる時間をゼロにして鐘楼を狙い撃てる。
ウィザは廃墟にそびえる大聖堂を振り仰いだ。
この街の受けた被害を思えば、無茶の一つや一つ、当然と言えるかもしれない。
けれどこの兄妹が生き残ったことを喜ぶ仲間も、危機が去ったことに胸を撫で下ろす人間も――――もう、いない。
「……上を見てくる。ここにいろよ」
翻った視界の端で、プリスが頭を垂れたように見えた。
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