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よくある犬猿の仲【1】

 昼下がりの日射しを受けた波がきらきらと輝く。  堤防の内側には数隻の船が留まり、荷運び用の小舟に積み荷を降ろしていた。  初夏には早い時期の海風はやや冷たく、日差しにほてった体を心地よく撫でていく。  停泊場から少し離れた広場にはいくつもの露店が出ており、船乗りや旅人、親子連れが食事を楽しんでいた。  屋台の店員が愛想よく客をさばく。 「戦士さん、注文は?」 「ベーグルサンド。と、鶏の串焼きとツナハムクレープ」 「1580Rだ。飲み物は?」 「連れが買ってる」  ソルは右手で釣りを受けとり、手首を返して紙袋をつまんだ。  左手の人差し指と中指に串焼きを挟み、親指でクレープを持つ。  と、細い指がひょいと串焼きを抜き取った。 「ウィザ」  ローブを着た魔導師が串焼きをくわえ、逆の手で紙コップを3つ突き出す。 「ルイボスとストレートティーとカフェオレ」 「中身入れて持てるか?」 「ーーーーぐぉっはあ!!」  ソルとウィザは振り向いた。  停泊場の脇には乗船手続き用の小屋がある。そこの扉がはじけるように開き、妙齢の女の団体が二人の前を横切って行った。尖った口調で頷きあいながら、広場の向こうへ去っていく。 「……ひ…ひどいよ、マダムたち……」  開いたままのドアのそばで、神官が一人、ひき潰されたカエルのように倒れていた。  平和だった世界に魔王が現れ、魔物が闊歩するようになって、しばし。 『魔王を倒したものには望みの褒美を与える』―――そんな王家からの通達によって、多くの者が旅に出た。    そんな、よくある世界のよくある話。  政治経済の中心である王都へは、陸海さまざまなルートが敷かれている。古くは交易路と呼ばれる陸路を使うのが一般的だったが、造船・航行技術の発展に伴い、現在は海路を行く者の方が多い。  特に各港からの定期船は観光や出稼ぎの足としても馴染んでおり、手続きをすれば誰でも簡単にチケットを買うことができる。  はずなのだが。 「イスト、メシ」 「あ、ありがとう……でもちょっと待って」  服の土を払い、イストがよろよろと起き上がる。 「時期が悪かったかな……この港から王都に向かう定期船は満席だってさ」 「あ゛ぁ? 秋のバザールには早いんじゃねえか?」  ウィザがストレートティー片手に怪訝な顔をする。  ソルはベーグルサンドをかじってそちらを見た。 「バザール?」 「王都でやってる定期市だよ。氷の結晶から砂漠のバラまで、世界中の品が集まるって聞いてるぜ」 「へー」  イストが肩を落としてため息をつく。 「ちょっと遠いけど北の港から乗るしかないかな。ソル、寄ってくれるかい?」 「行くのはいーけど」  ソルは物入れから地図を広げた。  いびつなΩ形の大陸の左下方が現在地。そして、湾を挟んだ右側奧にあるのが王都・リモーニアだ。 「ここから北っていうと……カンツァーノより向こうだぜ」 「かの有名な武闘都市だね」 「前に行きてえっつってた街か」  ソルは頷いた。 「夏が終わるまでに着きてーから、港までは送ってけないかもしんねーぜ」 「十分だよ。言ったろ? キミたちの旅に付き合うって」  緩んだ空気を見計らったかのように、果物のカゴを背負った少女が顔を出す。 「食後のデザートいかがですか? 50Rで飾り切りもできますよ」 「あはは、じゃあお願いしようかな」  イストが銅貨を渡して目を細める。 「北か。これからの季節は過ごしやすくなるね」  そんな話をしたのは、ほんの数時間前のことだ。 『――――ッギギャァ!』  ソルは飛び込んできた魔物を打ち払った。体重の乗ったかかとが砂に埋まる。  突き刺すような太陽の光を背負い、イグアナに似た魔物が威嚇の声を上げた。  硬化した背びれはナタのようなエッジが効いており、木の枝程度なら苦も無く叩き折れるだろう。  尾をくわえて体を丸め、魔物が車輪のようにソルへと突っ込んでくる。  ソルは長剣を握り直し、低い位置から逆袈裟に一閃した。 『ピッ……!』  眉間を裂かれた魔物の口から尾が外れる。  伸びた腹を返す刃で撫で斬って、ソルは背後からの気配に視線を転じた。  牧草用のフォークのように変化したアゴをもたげ、小熊ほどあるクモの魔物が足を狙ってくる。 「火炎よ!」  ソルは垂直に跳び上がった。  足元を横薙ぎの火柱が行き過ぎ、ひるんだ魔物が足を止める。  ソルは落下ついでにその背を真上から突き刺した。  六本の脚を痙攣させ、魔物の体が塵となって消える。 「サンキュ」 「おう」  ウィザが額を拭い、ソルと同じ方向を見る。  揺らめくかげろうに溶け込むように、二十を超える魔物の群れが彼らを囲んでいた。 「ウィザ、派手にヨロシク」 「言ったな」  ウィザが挑発的に歯を見せて笑った。  めいめいに雄叫びをあげ、魔物の群れが一斉に地面を蹴る。 「はじけろ!!」  沸き起こった爆発があたりの空気を熱風で塗り替えた。  黒焦げになった魔物たちの遺骸は砂となって砕け散り、街道に静寂が戻る。 「………ふー」  ソルは長剣を納めた。物入れから水筒を取り出し、喉を濡らす程度に一口飲む。  コップから跳ねた水滴が地面に落ち、染み込む間もなく蒸発した。  脳天を貫く日差しと照り返しが容赦なく全身を炙る。  それらを遮る日陰はなく、ただただ地平まで続く砂の海があるだけだ。 「過ごしやすい気候か……」 「イスト、お前すげーな」 「おかしいよ!! 異常だろこんなの!!」  木の枝を杖代わりにして、はるか後方からイストが叫ぶ。  先程の港町を出て二、三時間といったところか。地図では右手に林、左手に貯水湖からの川が流れているはずだが、見える景色は先ほど述べたとおりである。 「おかしい……絶対おかしいよ…あの港からこの距離でこんなに気候が変わるワケない……」 「あんまりしゃべんなよ、喉乾くぜ」  ソルは地図の裏を見た。  作成日は今年の頭。右下に『傭兵派遣所連合謹製』の刻印がある。王都発行のものに比べれば若干の縮尺ミスがあるものの、手頃な値段が特徴だ。 「(そろそろ買い替えるか)」  ソルは地図を巻いた。 「一応、この辺に町があるはずだけど……なきゃ野宿な」 「…………いいね、こんな大きなベッド初めてだよ」  どこか虚ろな決意をしたらしいイストを横目に見つつ、ソルは内心で手持ちの防寒具を数えた。  砂漠の夜は冷えると聞く。  荷物には防風用のアルミブランケットがあるし、ウィザも大判のストールを持っていたはずだ。一晩灯しておく程度の固形燃料もある。二人で野宿をするぶんには問題ないだろう。  ソルはちらりとイストを見た。 「(……こいつは何か持ってんのかな。神官服ったってフツーの布じゃねえ?)」  と、ウィザが目元に手をかざした。 「おい、あれじゃねえか?」  かげろうの向こうに円筒状の木の塀が見えた。魔物の襲撃を防ぐため、町や砦の周囲にはよく設置されているものだ。 「アレルヤ! 行ってみよう!」 「そーだな、野宿もキツそーだし」 「屋根がありゃ上等だろ」  思い思いに口にしながら足を進め、塀の切れ目にある入り口をくぐる。  と。 「――――ッッこの! 盗んだモンを出しやがれこのアバズレぇ!!」  イストが一歩を踏み出したポーズのまま硬直し、ウィザがぎょっとして騒ぎの方を見た。  見るからに人相の悪い筋肉質な男が、華奢な女の髪を掴んで振り回している。  ソルは半眼で町の景色を眺めた。  砂漠のど真ん中ということを差し引いても埃っぽい。下手をすると町の外のほうが快適に息ができるだろう。  朽ちた看板の道具屋の店先には何の商品も置かれていない。  足もとには何かのカケラが散乱し、風が吹く度に砂に埋もれてはまた顔を出す。  通行人のほとんどがストールやターバンで頭を覆い、騒ぎを避けるように通り過ぎていった。 「風呂はムリかもしんねーな」 「言ってる場合かい!?」  放心から抜け出したイストが男女の間に割って入る。 「お、落ち着いて! 乱暴はいけません、どうしました!?」  男が怒り泣きのような表情で叫んだ。 「この女がうちの品を盗りやがったんだ! 十日かかってやっと仕入れてきた薬草を……!」 「わ、わかりました、ではオレが買い取ります。おいくらですか?」 「は」 「おい!!」  ウィザの制止は間に合わず、跳ね起きた女がイストの手元を掠め取った。そのまま、白革の長財布を抱き込むようにして人波に飛びこむ。 「ソル!」 「しょーがねーなっ」  ソルは地面を蹴って女を追った。  遅れてイストの悲鳴が上がる。 「ええええ!?」  「バカ! こんなところで財布出すな!」  後ろの騒ぎを聞き流しつつ、ソルは腰の長剣を鞘から引き抜いた。 「ーーーーあっ!!」  投げつけた鞘に足をとられ、女が大きくつんのめった。巻き添えを食らった通行人ともつれあって転びながら、慌てて起き上がろうとする。  ーーーーざずっ!  ソルはスカートの裾へ切っ先を突き立てた。  地面に縫い止められた布地を何度か引き、女が青ざめた顔でソルを見上げる。 「服の文句は神官サマに言ってくんねえ?」 「っ……!」 「ママ!」  小さな影がふらふらと駆けてきた。  10才にもならないような少女である。目に見えて頬が赤く、熱に浮かされているように瞳の焦点が怪しい。 「来ちゃダメ、逃げなさい!」 「ソル!」  ソルは目の端に女を捉えたまま振り向いた。  足早に駆けてくるイストの後ろで、ウィザが牽制するように周りに視線をやる。  大多数の通行人が目を伏せて通りすぎる一方、やじ馬根性にかられた者たちが遠巻きにソルたちを囲んでいた。  女がぐっと息を詰める。 「わ……わかったわよ、気の済むようにすれば!? でも娘には手を出さないで!」 「娘さん……」 「子持ちはやめとけ」 「まだなにも言ってないだろ!?」  イストがウィザの手を振り払った。  こほん、と咳払いする。 「ええと……熱があるのかな、小さいレディ? 脈を見ても?」 「診れんのか?」 「少しはね」  イストが膝をついて少女の首筋に触れた。 「熱中症だね。気付けに少し塩を摂った方が……」  と、荷物を開けかけて手を止める。 「いいぜ、開けな。妙な野郎はぶっ飛ばしてやんよ」  ウィザが肩越しにやじ馬を見渡した。  目のあった何人かがこそこそと後ずさる。 「俺もいい加減手が疲れてんだけど」 「……抜けばいいじゃない」  ソルは女に向かって手を出した。女がしぶしぶ財布を出す。  ソルは財布を受け取り、後ろへと放り投げた。  ウィザがそれを片手で受け止める。 「イスト、中は見とけ」 「ありがとう、ちょっと待って。……そう、ゆっくり噛んでね」  イストが少女の手のひらに塩を出し、薬草をかじらせている。  ソルは長剣を鞘に納めた。 「一晩泊まりてーんだけど、宿は?」 「あると思ってんの?……半年前から雨は降らないし、魔物に貯水湖は壊されるし。あたしだって好きで残ってるんじゃないわよ。こんな呪われた土地」 「どういうことですか?」  女はやけくそのように肩をすくめた。 「ここじゃしおれたキャベツ一つが何万Rもするのよ。よそから仕入れる手間賃に、毒バチの血清代まで上乗せされてね」 「血清?」  ソルとウィザは首をかしげた。  イストが苦笑する。 「一種の解毒剤だよ。たくさん精製できるものじゃないから、価格を上げて使う量を調整するしかないんだ。最近は教会での治療呪文が主流だけど……」 「そんなもん、とっくに患者で満員よ!! 近くの神父さまは魔物に殺されるし、次から次へ、ろくでもないことばっかり……! 財布くらいなによ! 子供抱えて生きてるあたしの身にもなりなさいよ!」  ウィザがむっと眉を吊り上げた。 「おい、聞いてりゃ言い過ぎーーーー」  ごぅっ、と。  熱風があたりの音をかき消した。  砂漠にはつきものの砂嵐ーーーーではない。  ごうっ、ごうっ、と一呼吸程度の間を保って、頭上からの風が吹き付け続けている。  つくりの甘い屋根板が引き剥がされ、立ち込める砂ぼこりの中でちらちらと光るものが舞う。 「熱ちっ!? な、なんだこれ……!」 「火だ! 燃えてるぞ、早く消せ消せ!」  通りのあちこちで悲鳴が上がった。  砂塵に混じって街に降り注いだ火の粉が乾いた布や材木に落ち、次々と細長い煙を上げている。  ソルは長剣に手をかけた。  道の前後に怪しい気配はない。熱風の発生源は屋根の上、いや、さらに上ーーーー 「奥さん、娘さんと安全なところに!」 「てめえもだイスト、下がってろ」  ウィザがローブの袖で口元を覆い、逆の手を空へ向ける。 「はじけろ!」  上空で起こった爆発が砂塵を吹き飛ばした。  台風の目のように拓けた空の中で、翼のようなシルエットが翻る。 「火炎よ!」  一直線に伸びた火柱が影を直撃した。  炎に包まれた影の主はバランスを崩し、吸い寄せられるように地面へ落下する。  かに、思われたが。 「ぃよっ、と」  骨ばった猛禽の足がソルたちの前に着地した。体の表面を撫でるように炎が切れ、燃えるような赤毛の青年が姿を現す。  金の目が撫でるようにソルたちを眺め、ウィザで止まる。 「よォ。今の呪文はお前ぃかえ?」  隈取りのある目元が妙に機嫌よく細められた。  顔だけ見れば二十を過ぎた若者のようだが、袖から伸びる手は足と同じく、鳥のような三本指だ。  唐風の衣服の背には細いスリットが入っており、鶏を思わせる翼が伸びている。その艶のある羽毛のひとつひとつが火の粉を落としながら燃えていた。 「魔物……!」 「魔物だ!」  やじ馬たちが緊張した面持ちで囁きあう。 「貯水湖を壊した奴らの仲間か?」 「神父さまを殺した奴かも……」 「なんのこったぇ?」  青年がぐるりと周囲を見渡した。  ひっ、と短い悲鳴が洩れたが、それでも体格のいい数人が進み出る。 「な、なんだお前は! この町を襲いに来たのか!?」 「ふゥン……? そう言やァ、どこぞの誰ぞがそんな計画を吠えてやがったかの。この年ンなると|大概《てぇげぇ》のこたぁ右から左でよ」  と、小指で耳を掻く。 「ナニ、気まぐれ起こして降りただけよ。わしァこの辺りが気に入りでの。見映えのいい庭ンなるように、散歩ついでに弄ってンのさァ」 「庭……?」 「おうサ。風情のある枯れ庭ンなったろう?」  くかかっ、と青年が笑う。趣味を披露する老人のように、密やかな得意げを隠さずに。 「水だ緑だを除くにゃあチョイとかかったが、そこは道楽のうち。手をかけただけの見栄えにゃあなったの」 「なっ……ん、だとぉ!?」  一際背の高い住民が声を荒げた。 「お。お前が! やっぱりお前がやったんじゃないか! この日照りで何人が死んだと思ってる!? お前らが貯水湖を壊したせいで、俺たちの暮らしは……!」  「知るかェ。庭の具合を見ンのに、足元の羽虫の生き死になんざ気にもしねえよ」 「ふっーーーーざけるなぁ!!」 「いけない、落ち着いて!」  イストの制止を聞くそぶりもなく、いきりたった数人が青年に襲いかかった。 「フン」  と鼻で笑って、青年が翼を広げた。  火の粉を落とす程度だった羽毛の火が膨らみ、翼全体に燃え広がるようにして巨大な炎となる。 「くかかかっ!!」  打ち出された炎の塊に直撃され、先頭の一人が悲鳴もなく炭と化した。  他の者が怯む間もなく、荒れ狂う炎の波がやじ馬たちへ伸びる。 「加護を!」  半透明の障壁が炎を受け止めた。  神官の扱う結界呪文ーーーーだが、次の瞬間に障壁は大きくきしみ、ふちから無数の亀裂が走る。 「オレの魔力じゃ防ぎきれない……! 早く避難を!」 「はじけろ!」  ウィザの放った爆発呪文が炎を散らした。  瞬きほどの差で、結界の障壁が音もなく砕け消える。  ソルは腰の長剣に手をかけた。  火の粉と砂塵を目くらましに、青年とソルがそれぞれ互いを捉える。  ひゅ、と、煙から飛び出してきた猛禽の足が目の高さを薙いだ。  その蹴りをくぐるように膝を折り、下から跳ね上げるように鞘を払う! 「ぬぁっ!?」  浅い手応えが刃に伝わった。  さらに踏み込んだ一閃で砂煙を裂き、青年の姿を確実に捉えーーーーソルは目を見開いた。  数分前まで二十才半ば程度に見えた『青年』の顔には、深いしわが刻まれていた。  まっすぐに伸びていた背は骨張った弧を描いており、頭髪にも、毛羽立った翼にも白い毛が混じっている。  絶句したのは1秒未満、動きを止めたのはそれ以下の時間だっただろう。  『青年』が皮膚の余った口元を吊り上げた。 「どうしたぇ、若僧」  下段からの膝蹴りがソルのみぞおちにめり込んだ。  胃から突き上げる衝撃と吐き気をこらえ、返す刃で『青年』の腿を斬りつける。 「ぐっ……」 「かふっ……!」  それぞれの反動で間合いが開く。  そのタイミングを逃さず、ウィザが『青年』に狙いを絞る! 「貫け!」  圧縮した衝撃波が放たれる刹那、『青年』の翼が下向きに炎を噴いた。  と同時に、『青年』が地面を蹴る。  上空へ飛び上がるには至らない出力だったが、『青年』は宙で体をひねるようにして衝撃波をかわした。  着地の間際に火の残る翼を広げ、ソルと向けて空打ちする!  「ゴホッ……!」  ソルは手の甲で鼻と口をかばった。  吹き付ける熱風と火の粉で、耐刃生地のジャケットがちりつくような熱を持つ。それを意識した途端にじわりと汗がにじんだ。  気温と運動によって体温が上がれば、呼吸は早くなるーーーーが、火の粉を含んだ熱気で肺を焼く気はない。  ソルは最低限の息を吐き、再び『青年』へ斬りつけた。 「ッぐぅ!」  振り抜いた刃で『青年』の胴を裂き、側頭部を狙ってきた回し蹴りを打ち払う。 『青年』が悪態と共に後ろへ退がった。  最初にやじ馬を焼いた火の玉、そして先程の火の粉。威力の差を比べるまでもなく、『青年』の動きは秒単位で鈍くなっている。  演技や疲労の類ではない。ソルには思い当たるフシがあった。  筋力の衰え、動体視力の処理の遅れーーーー隠しきれない『老い』の滲んだ動きだ。 「ぐ……っ!」  一閃が『青年』の腕を切り裂いた。  艶の失せた羽毛がこぼれおちるように抜けていく。にも関わらず、『青年』の翼が再点火するように燃え上がった。 「規律を!」  虚空に現れた光の輪が『青年』の翼をひとまとめに捕らえた。  帯電するような光が走り、翼の炎が弾け消える。 「イスト!」 「魔力封じかぇ……! 神官の割に芸達者な……!」  『青年』が強引に翼を広げ、光の輪を引きちぎる。  ものの数瞬ではあったが、『青年』の注意がそちらへ逸れた。  機を逃さず、踏み込みの体重を乗せた斬り上げが『青年』の胴の傷へ交差する! 「……っく……!!」  翼をばたつかせて後退し、『青年』が辛うじて深手を避ける。それを追い、ソルは更に一歩を踏み込んだ。  ぐにゃり。  地面を踏んだはずの足が妙な感触を捉えた。 「(え……?)」  ソルの動きが一瞬止まる。  と同時に『青年』が大きく翼を羽ばたかせた。  立て続けの熱波と暴風で限界が来ていた家々が崩れ、頭上からソルを飲み込む! 「しまっ……」 「加護を!」  イストの唱えた結界はソルの背丈ぎりぎりで発動した。  降り注ぐがれきが次々と障壁の上に積み重なって小山を作る。 『青年』が目をすがめてイストを見た。  毛羽の乱れた翼に炎が灯る。猛禽の指先が、す、と伸びる。 「はじけろ!」  横からの爆発が『青年』の炎を吹き散らした。  余波に巻き込まれたイストが地面に背を打ち、降り注ぐ火の粉から教典をかばう。  ウィザは苦い顔でイストにかけよった。 「立てるな!? 文句はあとだ、退がってろ!」 「っ……すまない、……無理、みたいだ……」 「あ"ぁ!?」  ウィザはイストを引き起こした。  目立つ外傷はない。  今できたばかりの擦り傷とやけどを加えても、起きて走るには支障のない傷だ。  にも関わらずひどく呼吸が浅い。高熱の最中のように瞳の焦点が怪しく、手の甲を押し当てた頬が熱い。 「おい! しっかり――――っぐぅっ!」  横からの一撃がウィザのこめかみを蹴倒した。  焼けた砂で頬を擦り、起き上がろうと仰向いた胴に、どすん、と衝撃が落ちる。 「…………ッ!!」  みぢッ、と肺の軋む音がした。 『青年』が枝に留まるようにウィザのみぞおちに乗り、その場でひょいと膝を折る。 「羊の毛かえ? それにしちゃ燃えねえの」 『青年』が見せつけるように翼を広げた。はらはらと火の粉が落ちるが、ウィザのローブには焦げ跡すら残らない。  ヤクーのローブ。  はるか東の草原地帯にのみ生息する、ヤギの毛で織られたローブである。  燃えにくい繊維の質と複雑に組まれた織り目によって、炎が広がりにくく、刃物で裂くことも容易ではなない。  元々はその大陸に住む遊牧民たちの普段着だったが、商人たちを通じて機能性の高さが広まり、都市部では高級品として扱われている。  布としてはかなり丈夫だが、当然、鎧ほどの防御力はない。 「なァ、オイ――――最初の種火ァ良かったのぉ」 「あ"ぁ……!?」  ウィザは『青年』の足首を掴んだ。  ぶぁっーーと、かまどから洩れ出したような熱風が吹きつけ、一瞬意識が遠のきかける。  翼で宙を扇ぎ、『青年』がくつくつと笑った。 「見ての通り厄介な性分での。派手に炎を出すのァいいが、それ相応の老いぼれ姿になっちまう」 「ッ……たら、すっこんで茶でも飲んでろ……!」 「ほ、言うのぉ」  猛禽の脚が角度をつけて押し込まれた。 「がッ……!」 「ナニ、よそから火をくべりゃあ足し火になんのサ。そうサの、街ひとつ燃《も》しゃあ釣りが来る」  ひぃ、と、遠巻きにしていたやじ馬たちがおののく。 『青年』がウィザに視線を戻した。 「来るが、それよりお前ぃを持ち歩いた方が手間がねェと思ってよ」 「人をマッチみてえに……! っ、ぐ」 『青年』がウィザの口に指をねじ込んだ。 「使い捨てにされるかはお前ぃ次第サ。次の一声でわしに足し火をすりゃあ良し。無駄口叩こうってンなら――――」  押し込まれた爪先がウィザの喉を掠った。 「はらわたを焼く」 「ッ……!」  ウィザは相手の指ごと歯を食いしばった。  視界の端で、イストの抱えた教典が仄かに光っている。  辛うじて結界を維持しているようだが、術者が気絶すればがれきの中のソルは良くて生き埋め、悪くて蒸し焼きだろう。  何よりもソルを守ったままでは、イストが自分自身を守る呪文を使うことができない。  つ、とにじんだ汗が首筋を伝った。  噛まれた指から血が滴っているにも関わらず、『青年』は涼しい顔でウィザを眺めている。  ウィザは深く息を吸った。 「…………は」 「うん?」 『青年』が目を細める。  ウィザはその背後、積み上がったがれきの小山に狙いをつけた。 「はじけろ!!」 「ハッ!」  哄笑と共に『青年』の翼が燃え上がった。渦を巻いた炎が腕を伝い、ウィザの喉へ向かう。   と同時に、爆発ががれきの小山を吹き飛ばした。 「ウィザ!!」  宙に漂うがれきの残骸を斬り払い、ソルが地面を蹴る。と同時に、イストの結界が綻びるように解けた。  ソルの位置から『青年』に至るまで、直線で五歩。 「(――――いや、四歩半!)」  と、判断するまでに一歩。  二歩目の加速を殺さないまま、三歩目で上体をひねり、腰だめに構えた長剣をきつく握る。 「なっ!?」  ―――――ばざぁぁああっ!!  慌てて羽ばたいた『青年』の翼から大量の羽根がソルへ吹き付けた。   燃え盛る羽根と火の粉をもろともに射抜き、四歩目の勢いを乗せた切っ先が『青年』の背を貫く! 「が……………っ!」 『青年』がのけぞるように体勢を崩した。ウィザの唇に届きかけた炎がかき消える。  ソルは五歩目の着地と共に、剣先を鍔元まで押し込んだ。 「…………ッ!」 『青年』の体が強ばり、一瞬の間を置いて弛緩する。  ウィザが浮いた足の下から転がり出し、咳き込みながら体勢を立て直した。  ゆっくりと前に倒れた『青年』の体は魔物の摂理に漏れず、そのまま砂になる。  はずだった。 「ーーーーくっ!?」  不意に『青年』の体が火柱を上げた。  伸び上がった炎に顔を炙られ、ソルが反射的に長剣を引く。  火柱は何も燃やさないままかき消え、一抱えほどの火の玉が地面に落ちた。 「くかかっ! ひとまずぁ痛み分けだのぉ!」 「あ!?」  内側から伸びた翼が火の玉を割り、赤毛の子供がぴょこんと飛び出す。  姿こそ子供だが、唐風の衣装と猛禽の手足、何より幼い顔に不釣り合いな老獪さは『青年』の面影を濃く残している。  ソルはとっさに長剣を横へ薙いだ。  それを跳びずさってかわし、『青年』がひよこのような羽根を広げる。 「こいつ……今の野郎か!?」 「明察。仕切り直し、といきてぇところだが……」  不敵な笑みを浮かべた『青年』の眼差しが横へ滑った。  イストが熱の残る地面に手をつき、這うように立ち上がろうとしていた。 「続きぁ次にさせてもらうぜ!」 「逃がすか!」 「吹き飛べ!」  長剣の軌道と衝撃波が交差する。が、『青年』は一足早く上空へと飛び上がっていた。  つむじ風のような熱風を残し、『青年』の姿が彼方に消える。 「追うか?」 「……火球なら届くだろうよ」  ウィザが苦々しく呻いた。  焼けて擦りきれた上着を押さえ、イストがよろよろと二人に近づく。 「ソル……! ……ウィザ!」 「よ」 「あの魔物は?」  ソルは首を横に振った。 「……いや、無事で何よりだよ。早く傷の手当をしなきゃ」 「お前の?」  イストがきょとんと目を瞬かせる。 「オレの治療じゃ不安かい?」 「そうじゃねえよ」  ウィザが拳の背をイストの腕に当てた。  誰のものともつかない苦笑が空気にとける。 「……悪り。ミスった」 「あ゛ぁ?」 「心臓いったと思ったけど、外したみてーだな」  ソルは長剣を納めた。刃にほのかな熱が残ってはいるが、なまくらになるような温度ではない。  ウィザが眉を寄せる。 「今のはしくじったってより、」  ごとん、と、こぶし大の石が足元に跳ねた。  元は崩れたがれきの一部だろう。  その出どころを不思議に思う間もなく、同じような石がソルたちの付近に飛んできては転がる。 「でーー出ていけ!!」 「ええっ!?」  イストが裏返った声を上げた。  やじ馬、いや、おそらくはこの辺りに住む住民たちが、ひとかたまりになってソルたちを睨んでいた。 「み、見てたぞ! そこの魔導師が最初に呪文を撃ったんだ! そのせいであいつは降りてきたんだ!」 「奴がまた来たらどうする!? 自分たちはもう街を出ていくから知ったこっちゃないってか!?」 「死人が出たのよ!」  布を被せられているのは最初の男の遺体だろう。後ろに固まる数名が囁きあう。 「魔物相手とはいえ、後ろから刺すなんて……」 「所詮旅人なんざ素性の知れない流れ者だからな」 「そんな……! 待ってください、彼らだって今、危なく命を落としかけて……!」 「黙れ!」  バウンドした石がイストのすねを掠めた。 「行こーぜ」 「おう」 「あ、ま、待ってよ!」  ソルは住民たちに背を向けた。半歩後ろにウィザが続き、イストが小走りであとを追う。 「ウィザ、薬草いくつ持ってる?」 「10枚もねえな」  追い立てるように足元に小石が落ちる。  住民たちはまだ何かを叫んでいたが、追いかけてまで石をぶつけようという気概はないらしい。 「っと」  ソルは角を曲がって足を止めた。  先ほどイストが手当てした少女が拳を握って仁王立ちしている。 「もー出てくぜ」  ソルは少女の横を通り過ぎようとした。  少女が勢いよく両腕を広げ、ゆっくりと曲がり角の奥を指す。  見れば、5、6人の住民が路地にひしめくようにしてソルたちをうかがっている。  見覚えのあるスリ騒動の女ーーーー少女の母親がきまり悪そうに手招きをした。 「手狭ですまないね」 「とんでもない! お心遣い感謝します」  イストが水の入ったボウルに指先を浸け、安堵の息を吐く。   この街に住んで長いという住民の家である。申告通り広くはないワンルームだが、どうにか十人近くが詰めて座るほどのスペースはある。  住民の一人がカーテンの外をのぞいてため息をついた。 「しばらく落ち着きそうにないな」 「早いところこの街を出たほうがいいだろう。……戦士さん、これを」  三人分の旅装マントが差し出された。  頭から腰までを覆うつくりになっており、首の部分は深めのフードになっている。 「この街の者ならみんな持ってる日除けだ。フードを被れば一目では顔が見えづらいだろう」 「どーも」  ソルはマントを受け取り、ひとまず横へ置いた。熱波の中で動き回った体はまだ熱を持っている。  ウィザもよほど堪えたのか、横になったまま、息止め競争のように洗面器に頭を浸けていた。 「(ま、実際やばかったな)」  ソルは手桶を受け取り、自分のタオルを浸して頬に当てた。  熱した卵が固まるように、人の体を作るたんぱく質もまた、熱によって凝固する。真っ先にダメージを受けるのは細い血管や神経の集中する脳だ。  そのため脳は異常な暑さを感知すると『体を動かすな』という指令を出し、運動による体温の上昇を抑えようとする。  だが、目の前に敵がいる状況では足かせ以外の何物でもない。  そして安静にしたとしても、体温を安全な値まで下げることができなければ、先にあるのは死だ。  イストが冷えた手で額を押さえる。 「とんでもない魔物だったね……羽ばたくだけであんな熱風が起こるなら、雨雲なんて簡単に吹き散らされるよ」 「ああ、半年降ってねーんだっけ」 「では、ここ最近の異常は全てあの魔物のせいだったと……?」  住民たちが顔を見合わせる。 「……あたしは初めて見たわよ」 「おう、半年前に見かけてればすぐに退治を依頼してたさ。街の金が尽きる前ならなあ……!」 「かなり広い範囲を飛び回ってるのかな。以前に壊された貯水湖はどのあたりですか?」  イストがペンを片手に自分の地図に印を付ける。  ソルはそれを眺めつつ、タオルの冷たさに意識をやった。  疲労のせいだろう、耳の奥で空耳が蘇る。 ーーーー『なんのこったぇ?』 「あのぅ……」 「ん?」  住民の一人がおずおずとソルの隣を指差した。全員がそちらを見る。  ウィザが数分前と変わらない姿勢のまま、水の入った洗面器に突っ伏し続けている。 「ちょっ、ウィザ!?」  イストがウィザの襟首を掴み、勢いよく顔を上げさせた。  前髪から水を滴らせ、ウィザが面食らった顔で瞬きする。 「なんだよ」 「ううん………………立派な肺活量だね」  イストがウィザの顔にタオルを押し付けた。 ■□■□  さて、場所は少々移動する。  ソルたちが体力を回復している頃、『青年』もまた自身の巣に戻っていた。  先ほどの町から山をいくつか越えた先ーーーー本来は氷として蓄えられるはずの雪解け水が完全に溶け出し、巨大な空洞だけが残った洞窟。  そういった場所の一つである。  短い翼で着地した『青年』に数名の魔物が駆け寄った。   簡素な鎧をつけたデーモンやインプなど、いずれも下等の魔物である。 「お帰りなさいませ、フェルニクス様!」 「ナニサ、構いなさんな。てめえの大将でもねぇ相手に丁重なこった」 「そのようなことは……!」 「おや、またその可愛らしい姿ですか、フェルニクス」 『青年』は険のある顔で洞窟の奥を見た。  何十本もの帯状の光が天井近くに集まり、巨大な渦を作っている。  その真下でひどく猫背の人影が立ち上がった。  細身の体を包み込むような銀髪は床まで伸びてなお余る。血管が透けるほど白い肌に対し、目元のくまは描いたように濃い。 「だから言ったでしょう。気まぐれに表を出歩くなんて時間と魔力の浪費だって。脳無しのスライムでさえ二度やれば覚えますよ?」 「はぁン?」  ひっ、と周囲の魔物がざわついた。  しかし銀髪は怯まない。いずこからか漂ってきた光の帯を細い指で巻きとり、頭上の帯の塊に放る。 「今朝伝えましたよね。『同胞たちが東を攻めるから、煙の上がったときに合流を』と。あなたのために火を起こしてあげたのにどこをほっつき歩いて」 「大概にしねェな、日陰育ちのメドローム」 『青年』ーーフェルニクスが歯を見せた。 「魔王様は『この地を落とせ』と命じられただけで、お前ぃと組めたぁ一言も言ってねえ。顎で使われる覚えぁねえぜ」 「はっきり言って目障りなんですよ。次からはあなたを数には入れませんから、せめて不確定要素を加えないでもらえますか」  メドロームの頭上の光の帯が大きく軋んだ。フェルニクスが威嚇するように両の羽根を広げる。  たまらず何体かの魔物が割って入った。 「おやめください、メドローム様!」 「フェルニクス様も……! どうか、ここは我々にお慈悲を!」 「フン! 仲裁まで部下頼みかえ」 「なんですって!?」 「メドローム様! なにとぞ……!」  ーーーーごぅっ!  一陣の熱風を残し、フェルニクスが洞窟の外へ飛び去る。  メドロームがきつく眉を寄せて息を吐いた。  壁際に控えていた小隊が姿勢を正す。 「……失礼。報告中でしたね」 「はっ! ご命令通り、北の山道一帯を荒らして参りました! ……しかし、本当に村には手を出さなくてよろしいのですか?」  メドロームが愉悦を滲ませて微笑む。 「ええ。それで良いのですよ」

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