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包囲網(5)

俺は黒原さんが宿泊しているホテルに電話をした。 何てことだ! もうチェックアウトしてしまってるなんて! それに、料金も自分で支払っていったって… 慌てて社長に報告する。 「社長!黒原さん、5分ほど前にチェックアウトしたそうです! 支払いも…ご自分に振り替えてくれ、と済ませていかれたと…」 「何だと!?檸檬、良くやった!とにかく俊樹を捕まえないと! このままだと、俺達に黙って引越しをしそうだしな。 電話したって出やしないだろう。 この時間ならまだ不動産屋も開いてない。 多分、先に片付けするのにマンションに直行してるはずだ。 檸檬、俺はニールと出掛けるから、午後のアポの変更を頼む。日は追ってこちらから連絡すると伝えてくれ。 おい、ニール!取り敢えずマンションに行くぞ!」 「わっ、分かった!」 「行ってらっしゃいませっ!」 満さんは車のキーと携帯を掴んで。その後をアンダーソン社長が追い掛けて出て行った。 バタン 俺は暫くその場にぼんやりと立ちすくんだまま、『退職届』を見つめていた。 繊細で美しい文字は、泣いているように見えた。 「黒原さん…」 黒原さん、両思いだったんですよ。 アノ人も、あなたのことを愛してたんです。表現は間違っていたけれど。 だから、だから、辞めるなんて言わないで。 こんなもの、送ってこないで下さい。 ちゃんとここに帰ってきて下さい。 あなたのいるべき場所は、ここなんです。 ひとりで何でも抱え込んじゃダメだよ! …いや、違う。俺、甘えて自分のことばかり相談したりお願いして、黒原さんのこと考えてなかった…… 情けなくて悲しくて悔しくて、涙が出てきた。 いや、檸檬、泣いてる場合じゃない。 社長と黒原さんが留守の間をしっかりと守らなければ。 俺は退職届を封筒ごとファイルに入れ、社長室のデスクに置いた。 そして、午後の予定を変更すべく、受話器に手を掛けた。

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