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結成まであと1年 8

「……どうなさったんですか?」 「ひゃあっ!? ……あっ、颯!」  ぽつりと落とすような静かな声に驚いて、おれは顔を上げた。  切れ長の瞳でじっとおれを見下ろしていたのは、雲雀の弟の颯だった。颯は同じ敷地内にある中等部に通っていた。 「颯、どうしてここに?」 「食堂に行こうとしたら、陽さんの声が……」  聞こえて、と続けた声は最後まで聞こえなかった。おれが首を傾げながら颯を見上げると、いつも限りなく無表情に近い颯が、目を見開いている。心なしか薄い唇は震え、血の気が引いていた。  どうしたんだろう、と見つめていると、颯の手からポロッとお弁当が落ちる。  わっ、と思わず声を上げて、咄嗟に受け取った。 「颯?」 「怪我を……」 「え?」  颯はおれの足元に膝をついて、おれの擦り傷や痣を見ている。伸ばした手は宙で震えていたけど、壊れ物を扱うようにそっと触れた。 「……どうして……こんな……」  颯は鋭い眼差しとつり上がった眉を僅かに下げて、項垂れてしまった。大きな体が小さくなっている。  颯は雲雀の弟だけど、弟になったのは一〇歳の時だった。  遠い親戚らしいけど、詳しくは知らない。喜怒哀楽を根こそぎ刈り取られたみたいに笑わないし泣かない子どもを、おれたちは弟として受け入れた。  きょうだいで一番小さかったのに、今は雲雀の身長も超えているし、短い白髪と鋭い眼差しに見合う精悍な顔立ちが、とても中学生には見えない。  でも、中身はこんなに繊細だ。  誰かが怪我をしたり、病気になったりすると、ずっと側を離れない。おれは小さい頃から体が弱くて、今でも時々体調を崩して寝込むことが多いけど、颯がずっと側にいてくれるから心強かった。でも、きっと颯は不安で仕方ないんだろうって知っていたから、元気でいなきゃって頑張っている。  それなのに不注意でこんな怪我をしてしまって、心配かけるとは。  兄としてあるまじき失態だ。  颯は雲雀の弟だから、おれの弟でもある。異論は認めません。  反省はあとにして、とにかく安心させようと颯の広くなった背中をそっと撫でた。 「大丈夫だよ。心配かけてごめんね」  安心してほしくて、痛くないよ、大丈夫だよと繰り返すと、俯いていた颯がゆっくりと顔を上げた。  じっとおれを見つめる眼差しが、ほんとうに? だいじょうぶ? とまだ不安そうだから、にっこりと笑う。 「大丈夫」  そう言うと、颯は少しだけホッとしたように表情を緩めて、大きな体でおれをそっと抱きしめてくれた。 「ふふふ、ありがとう」  昔は小さい颯をぎゅっと抱きしめて眠っていたのに、今やすっぽりと腕の中にいるのはおれの方だ。小さかった弟の成長は嬉しい。優しい子に育ってよかった。  ずっと心の中が散らかったままだったから、頼もしい暖かさに少しホッとした。   「……なにしてんの?」  呆れたような声にびくっと体が震える。隠れ家みたいな校舎裏を、覗いていたのは雲雀だった。 「な、なんで」 「一人になりたいって言ってたからここかなって思って。でも颯もいんじゃん。二人でデート?」 「あの、これは」 「俺も混ぜてよ」  雲雀はさっきのこと気にしてないみたいに笑ってくれている。でも、おれは悪戯が見つかった子どもみたいに小さく、息を潜めた。颯はおれと雲雀の会話を不思議そうに聞いていたけど、頼れる兄の登場に、ぱっと立ち上がって駆け寄る。 「雲雀さん、陽さんが怪我してます」 「あっ、颯……」 「怪我?」  雲雀が少し眉を寄せて近づいて、おれに足にそっと触れた。 「……っ……」  颯の時は何ともなかったのに、雲雀の指先が触れた途端、昨日の夜の気持ちいいことを思い出して、変な声が出そうになった。慌てて唇をぎゅっと結んで閉じ込める。雲雀は驚いたみたいにぱっと手を離した。 「あっ、ごめん。痛かった?」  雲雀は心配そうに覗き込むけど、おれはまた目をそらしてしまった。 「……大丈夫」 「……ならいいけど。ほら、食べよ」 「う、うん……」  三人でお弁当を食べている間、静かだった。雲雀はいつもみたいにいっぱい話しかけてくれたけど、おれが上手に答えられなかった。  雲雀は困ったように笑っていたし、颯もそわそわと落ち着きがない。  何度も心配そうにおれと雲雀を交互に見て、戸惑っているけど、おれはどうしてわからなくて一生懸命お弁当を食べ続けた。

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