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狭間 5

 「酷い・・・」  僕は呻いた。  アイツがめちゃくちゃ息をきらせてやってきた。  ちょっと走っただけで吐きそうになっている。  コイツが走ってるとこ初めて見た・・・。  アイツも顔色を変えた。    「・・・ここでか」  小さく呟いた意味はわからなかったけれど、アイツが怒っているのはわかった。  とても怒っているのが。  僕は・・・どうしてやればいいのかわからなかった。  猫は苦しみ抜いて死んでいて。  黒く焦げてしまっていて。  もう何もしてやれないのだと分かっていたのに、どうにかしてやりたかった。   僕は猫の傍らに座った。    「警察に通報しよう」  アイツが冷静に言った。  スマホを取り出していた、ってか持ってたんや。  ・・・僕番号教えてもらってへんぞ。   ぼんやり思った。  「うん・・・」  僕は力無く、猫を見つめた。      痛かったやろう。    苦しかったやろう。  僕は鞄から・・・ジムで使うバスタオルをとりだした。  せめて死体を、こんな可哀想で残酷な死骸を晒したくなかったのだ。  こんな姿にされたいなんて思うはずがあらへん。  ふわりと猫にかけた。  ホンマは埋めてやりたかった。  でも警察が来るんやったらそうせぇへん方がええやろ。  ホンマはこんなこともせん方がええやろう。  でも、こんな姿を晒すことはどうしても出来へんかった。  バスタオルはすぐに変色していった。  でも、猫の姿をかくすことは出来た。  警察に電話したアイツが僕の隣りに座る。  「泣くな」  小さく言われて、僕は自分がまた泣いてることに気付く。  「うん」  僕は涙を拭いながら言った。      生きたまま焼かれた。    苦しかったやろう。  また涙が出てきた。  「泣くな」  アイツがの震える腕が背中を撫でた。  僕が怖いくせにそんなんしてくれんの?  「うん」  僕は泣きながら頷いた。      ホンマはアイツを抱きしめたかったけど、我慢した。    アイツの手は怯えていて、でも、優しかった。  アイツは困ったように警察がくるまで、震える手で背中を撫でてくれた。  僕はメソメソ泣きながらジムに向かった。    「警察にはオレが説明しとく、ジム行ってこい」   そうアイツが言ってくれたからだ。  そっと手を握っても、少し震えたけど、拒否せぇへんかった。  「ありがとう」  僕はアイツにそう言ったのだ。  慰めてくれてありがとう。  怖いのに触らしてくれてありがとう。     僕はジムに行く。   別にもう試合に出るつもりもないんや。   だからそこまでして、練習に行かんでもええんやけど。  僕はプロの誘いも受けてたけど、プロボクサーになるつもりもなかったし、アマチュアボクサーとして大学に進学するのも断ったんだから。  僕は本当の意味ではボクサーやなかった。  僕は暴れる場所が欲しかっただけや。  そんな僕がもっと上を目指せる場所やないてのは分かってた。  ボクシングは科学や。  頭脳ゲームや。    僕のはただの暴力や。  そやから高校で止めるって決めとった。    でも僕はジムに通う。  その理由は知ってる。    「暴れる場所」が僕にはそれでも必要なのだ。  殺された猫。  可哀想な猫。  涙が出る。    あれは残酷な暴力だった。  でも、僕もまた暴力に支配されている人間なんや。    アイツを犯した楽しさを僕は知っている。    僕はこころゆくまでアイツの苦痛を楽しんだのだ。  怖い。  怖い。  猫を殺した人間が。  そして僕が。    アイツの目には同じに見えるんやないやろうか。   僕は怖くなった。  それでも僕は僕を解き放つ場所を必要としていてジムへ急ぐ。    猫を殺す。  そんなことは僕には出来へん。     でも、僕はアイツを傷つけられた。  しかもそれを楽しんでた。  怖い。  僕は僕が怖い。  一番怖いのは・・・アイツに嫌われることやった。  嫌わんといて・・・。  しかし、猫殺し。    最近この辺りにおるんは噂になっていた。  猫を殺して回っているって    どんなヤツなんや。    僕は気になった。    早めにジムを切り上げた。  「・・・もう試合とかせんのか」  残念そうに会長は言った。  「そんなに甘くないのは知ってますから」  僕は答えた。  「そうやな。お前は相手を確実に殺せるボクサーや。それを教える必要はない。でも、あまりに殺意に没頭しすぎる・・・」  会長は言った。  ボクシングは相手を殺しに行く。  止めるのはレフリーだ。  だから本気で殺しに行く。  それが出来なければやられるだけだ。      だけど同時に殺意をコントロールする冷静さを持たなければならない。    獣ではだめなのだ。   殺意と理性を持った狩人でなければ。    僕は獣でしかない。  僕は僕の獣を制御できない。    獣は狩られるのだ、いつか。  僕は頷いた。  「そうか・・・」  会長は残念そうに言った。  「でもジムには来ます」  僕は言った。  「そやな。お前みたいなんを作り上げてもうて、外の世界に放つんも無責任やし、来いよ」  会長は言った。  僕は二回頷いた。  「お前・・・ボクシング止めて何すんの?」  会長が聞いた。  「まだわかりません。でも、恋人が出来たんで・・・恋人を幸せにしたいなぁ、と」  僕はのろけて会長は驚いた。  「・・・お前が恋人・・・お前の恋人はお前が何なんか分かってるんか?」  会長が唸る。  僕は三回頷く。     会長にずっと言われていた意味は僕もやっと分かった。  アイツをああしてしまった時に。  「・・・殺すなよ」  心配そうに会長に言われて四回頷いた。  「もう絶対しないです」  僕の言葉に会長は頭を抱えた。  しでかしてしまったことを察してしまったらしい。  「・・・お前を犯罪者としてテレビで見いひんことだけを祈るわ・・・」  会長が言って、それが心からの言葉だと分かった。  リングの上の僕は、「殺戮者」と呼ばれていた。  「サディスト」そう言われ続けてきたのだった。    「お前がお前の中の獣をコントロール出来ることを祈るよ。解放するだけやなくてな」  会長は言った。  獣を制御出来なく、身を滅ぼしたボクサーの話はここに住んでた人間なら知っている。    僕は何度も何度も頷いた。  頷いてばかりだった。  そうしないといけないことばかりだから。      いつもより早くアイツんとこ帰れる。  僕は駆け足になる。  しかも餃子作ってくれてるんやし。  餃子。  餃子。    僕のために作ってくれてんねんで。  ちょっとスキップになってまう。    アイツの握った手の細さとか、僕の背を撫でくれた指の優しさとか。    めっちゃ好きって思ってまう。  好き。  好き。  大好きや。    頭の中のお花畑は蝶々であふれている。  早く会いたい。  ・・・でも僕はあの公園で足を止めてしまった。  猫が燃やされた公園。  もう猫の死体もないやろし、犯人があるとも思わへんけど。  気になってまう。  僕はこの事件に引きずられる。  この事件は僕の・・・普段は隠している場所に響くのだ。  僕の獣。       今は時折解き放ってやるしかない闇。  猫殺しは僕と同じ闇なんやろか。    それは嫌な考えで僕を怯えさせる。    僕はフラフラと公園に入っていった。    何かを確かめるように。  公園に入った僕は、覚えのある違和感に襲われた。  目眩がして、そして・・・公園は見たことがありながら、見たことのないどこかになっていたのだ。  滑り台、ブランコ、砂場。  あるものは同じなのに、何かが違う。    違うと言うことだけが強烈な脅迫観念のように襲ってくる。    ものの輪郭の何かが違うのだ。  土の材質の何かが違う。  違う違う違う。   ここは違う。  心が叫ぶ。  夢の中の違和感のよう。     現実ではない、そう分かっている夢のような。  そして、公園の真ん中には炎が燃えていた。      オレンジの小さな炎が燃えていて。  そこに立っていたのは・・・アイツやった。    オレンジの炎に照らされていたのは、僕の恋人やった。    

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