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悪意 10
アイツは慌ててベランダに向かった。
僕も続く。
壁を蹴るように跳ねながら降りていく猫殺しが見えた。
そして、猫殺しは・・・街の闇の中に溶けていった。
「追いかけるで!!」
アイツが言った。
いや、でも、お前走られへんやん。
「さっきのは?」
僕は聞く。
部屋が歪んで、影が集まって槍になったり・・・。
「赤や!!」
アイツが簡潔に答えた。
あ、幻覚なんやね。
「行くで」
アイツは焦りながら言った。
ええ、でも・・・。
「うぐぅ!!」
女が呻いた。
必死な目でこっちを見てる。
血は流れ続けている。
アイツは女を見て嫌そうに舌打ちした。
「救急車に電話しろ。オレは応急手当てする」
アイツは女の口からタオルを外しながら言った。
女は喚いた。
喚きまくった。
「煩い!!助かるから黙っとれ!!」
アイツは女に向かって怒鳴った。
怯えたように女は黙る。
僕はリビングにあった電話から救急車を呼ぶ。
「女性の指がきられて倒れている」と説明し、住所をつげる。
アイツは手際良く、タオルを割いて両手首を縛り圧迫して血を止めていく。
アイツには腕力がないのでタオルにその辺にあった何かのリモコンを巻きつけ、クルクル巻き取ることでキツく縛り上げていく。
こんな方法あるんやね。
だがアイツの女を見る目は嫌悪に溢れている。
「下らんことを言うて、とうとう人間辞めさせたんか」
アイツは呟くように言った。
「・・・産まなきゃ良かったんや・・・あんな子」
女は呻いた。
その言葉に何故かアイツが震えた。
「・・・でも、これで・・・やっとあの生き物をこの家から追い出せる・・・もう見んで済む・・・」
女の声には安堵があった。
「見たくもない生き物を・・・産んでしまったという理由だけで・・・育てなけれはならない苦痛が・・・あんたにはわかんの・・」
女はアイツを睨みつけた。
気の強い女なのだ。
それがわかった。
アイツは白い顔をしてそれを聞いていた。
なんでお前がそんな顔をするんや?
なんでお前が傷ついているんや?
「ママどうしたん?ドア開きっぱなしやで」
呑気な声が玄関からした。
え、誰か帰ってきたの?
そういや、兄貴と妹がおるって情報も貰ってたな。
え、何、この状況。
え、どうしよ。
「行くぞ。後は家族に任せよう。オレらはアイツを捕まえなあかん」
アイツは言った。
「靴履け」
命令され、脱いでいた靴をはく。
「行くって」
僕は戸惑った。
帰ってきたお兄さんに挨拶して「じゃあ後はよろしく」って去るん?
ええ?
もう僕は戸惑うばかりや。
「来い」
僕はアイツに腕をつかんでひきよせられた。
強引さにこんな時やのにときめくわぁ。
「ママ?誰もおらんの?」
呑気な声の主は僕らを見ていないと思う。
その人がリビングに入る前に僕らは消えたからや。
正しくは僕とアイツが立っていた床が抜けたのだ。
そう、まるで気体になったかのように。
黒なのだ、ということはもう言われなくてもわかった。
黒が床を気体に変えたのだ。
僕とアイツは床を突き抜け、下の階のリビングに落ちていた。
僕はとっさにアイツを抱えて着地した。
遅めの夕食をとっている夫婦のテーブルの上やった。
飛び散る皿、砕けるグラス。
ぶちまけられる夕食。
年配の夫婦は目を丸くしていた。
「どうも」
僕は愛想笑いをした。
そしてそのままアイツを担いで玄関から飛び出して行った。
遅れて聞こえた悲鳴はまぁ、ええわ。
「エレベーターはカメラあるからあかん、非常階段でおりろ」
担いでるアイツから指示がでる。
はいはい。
僕は20階以上はある階段をお前を担いで駆け下りるんやね。
何でもするけどや。
僕は非常階段を駆け下りていった。
「・・・で、どうすんの」
僕はアイツとマンションから遠ざかりながら言う。
救急車のサイレンとパトカーのサイレンが聞こえてきていた。
「猫殺しを見つける」
アイツは白い顔のまま言った。
「大丈夫か?」
僕は抱きかかえるように歩いていたアイツの頬を撫でる。
身体が冷たい。
僕は心配になる。
コイツは身体が弱い。
無理はきかん。
コイツがとんでもなく強いんは気だけや。
「大丈夫や・・・心配いらん」
アイツはそう言ったけど、真っ白な顔色が心配で仕方ない。
あのおばはんが言ったことと関係あるんやろか。
あのおばはんは、猫殺しの母親であって母親でないことはわかった。
おそらく深夜に訪れた友人(僕ら)のことで、猫殺しを腹立ちまぎれに責め立てたのだ。
そしておそらくアイツに言った言葉と同じようなことを猫殺しに言ったのだろう。
産まなければ良かった。
そういうことを。
それはおそらく決定的な言葉だったんや。
猫殺しが母親の指を切り落とし、そして、おそらく殺そうとするには十分の理由だったんや。
でも、なんでお前がこんなにも苦しんでるんや。
オレはアイツの身体を引き寄せた。
繁華街に向かう人の流れの中で、男同士身体を寄せ合う僕らは人目を引いたけど、僕は気にせえへん。
いつもなら気にするはずのアイツが何もいわへんかったから、相当アイツは参っていたんやとおもう。
「オレは・・・アイツとは違う・・・」
アイツは小さく言った。
アイツの指が僕のスタジャンを掴んでいた。
僕はアイツを通りの真ん中で抱きしめた。
理由は聞かん。
お前が言いたくなるまでは聞かん。
でも、僕はお前のそばにおる。
絶対に絶対に離れへん。
それだけわかって?
わかってな?
僕はアイツを抱きしめ続けた。
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