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悪意 11

 なんて心が軽い。   少年は軽やかに笑う。     ああ、こんな簡単なことやったんや。  少年は思った。  あの女が部屋のドアを叩いて喚き始めた時には、こんなことになるなんて考えていなかったのに。  女は喚いた。   お前の友達のために私の時間をとらせるやなんて、  お前は何様のつもり?  私に迷惑かけへんで、と。      頭から布団を被ってその声を聞かないようにしてきた。    友達などいないのに。      いるのはこの身体を弄りたい連中だけだ。  トイレや物陰に引きずりこんで咥えさせたがる奴らだけだ。      女は少年に友達が出来るのを嫌がった。  女は少年が幸せそうにしているのが大嫌いだった。   いるだけで不快は思いをさせられているのに、幸せそうにしているのは許せなのだと知っていた。  女は喚いた。    ドアを開けろと。  少年は渋々開けた。  女の嫌悪感に歪んだ顔がそこにあった。  ああ、また酷いことを言われるのだな。  少年は心の中でため息をついた。  ただやり過ごすためにうつむき、女の目をみないようにした。    女が鼻で笑った。  女が自分のこのオドオドした態度を嫌悪しているのは知っている。  でも、反抗などみせれば余計に怒りを買うのはわかっていた。  だから我慢して我慢して・・・。  「出て行きなさい。迷惑しかかけないなら」  女は言った。  まただ、女はよくこういう。  うつむき少年は耐える。  尋ねてきた友人に心当たりはない。  でもおそらく、「友人」がいるということに女は怒っているのだとわかっていた。  惨めにコソコソ生きる以外、存在をゆるせないからだ。    「・・・ごめんなさい」  少年はうつむきながらボソボソと謝る。  謝ることなど何一つないが、そうするしかないからだ。  「謝らなくてもええの。出て行きなさい」  女は言った。    その声の確信に満ちた残酷さに、本気なのだと知った。    女はとうとう少年を追い出すと決めたのだ。  今まで、世間体のためだけにそうしてこなかったのに。  「お前がどこで野垂れ死んだところで、知ったことやない」  女は真顔で言った。   本気だった。  女は本当にそう思っていた。  「生まなければ良かった。なんでお前なんか育てなあかんの。お前がでてくるてわかってたらお前なんかおろしてたんや」  女の淡々としていた口調がその言葉が真実であることを示していた。  少年は何かが外れて行くのがわかった  もういいのだな、と思った。  弱者だと自分のこと自認していた。  一人では生きていけない、と。  女が与えてくれるモノなしでは生きていけないと。  だから耐えた。  女に従った。  従い続けた。  オドオドと息を潜め、卑屈に顔色を伺いながら。  生きていくために。  今、与えたものを取り上げると女は言った。  もう、何も与えないと。  与えない。  全てを取り上げる。  それはお前のモノではなかったのだから、と女は言った。  それは全てを解く言葉だった。  もう、生きなくてもいい。  生きなくてもいいならば、もうしたがわなくてもいい。  ほどけていく  ほどけていく    自分を縛っていた全てのものがほどけていく。  愛されないのは知っていた。  でも、母だった。  女が我慢して育ていた理由が子であったのと同じように、少年が女に従っていた理由は母であることだった。    今女は母であることを止めて、少年の死を願った。  それは少年を解放する言葉だった。  ここにいるのは母ではなく、自分が死ぬことを願う者。  少年は歓喜した。  女は少年を憎んではいなかった。  嫌っていただけだ。  少年は違った。  幼い頃は愛した。  求めた。  全ての子供がそうであるように。  拒否され続け、嫌われ続けた。  その愛は変質した。  憎しみへと。  でも、認めなかった。  諦めているのだと、自分も女を嫌っているだけなのだと。  女と同じ位、無機質に。  違った。  深く。  深く。  憎み続けていたのだと、知った。    愛してくれないから。  愛してくれないから。  誰よりも憎んでいたのだと。  少年は笑った。  楽し過ぎて笑った。  「何・・・?」  呆気にとられている女の側頭部を思い切り殴った。  悲鳴をあげる女に馬乗りになり、その頭を意識がなくなるまで殴りつけた。  殴る度に意識がクリアになり、何かが覚醒していった。、

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