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Ⅶ αの瞳には騙されない⑦

「ない事はないよ」 ふわり、と…… 浮遊感に捕らわれた。 「驚かせてしまったようだね」 意識を引き戻すように、香りが俺を抱きしめる。 「提案だ」 葛城さんのフレグランス…… 「恋人ごっこをしよう」 どういうこと? 「恋人同士、付き合っている演技をするんだ」 周囲に気づかれないよう、そっと肩を引き寄せて葛城さんが耳元で囁いた。 まるでもう恋人同士になったみたいで、かぁっと頬が赤くなる。 「ウブな恋人だね」 「葛城さん!からかわないでください」 「からかってなどいない。『恋人ごっこ』なら、あり得るだろう」 確信を持つ目を前に、正面から否定ができない。 「なんで急に……」 「さっきの電話、言っただろう」 「間違い電話だって」 「そう。その間違い電話に脅されたよ」 「えっ」 葛城さんのデマカセだと思っていたけれど、真相は違うのか。 「ストーカーだよ。どこでどう調べたのか、君に電話してプレッシャーをかけてきた」 「そんな……」 「なんでもお見通しだと言いたいのか。目的はそんなところだろう」 葛城さんは局内でも立場のある人だ。 (仕事の逆恨み。それとも痴情のもつれ……) 「君を巻き込んでしまって、すまない」 「葛城さんっ、頭を上げてください」 長身を折り曲げた葛城さんに、慌てて声を上げた。 「巻き込まれたなんて思ってません。それに俺……いえ、私はただの取引先の人間です」 「ストーカーは、そうは考えない。思い込みの激しい犯罪者だ」 断言する葛城さんに返す声を失う。 「ほんとうにすまない」 「葛城さんっ」 俺はどうして、こんな立派な人に何度も頭を下げさせてしまうんだ。 「気にしてないので。電話もこれから気をつけて出ますから」 「心配だよ。それに巻き込んでしまった責任が、私にはある」 「でも。葛城さんは何も悪くありません」 「いい悪いの問題ではなく、男としてけじめだ」 真摯な瞳が俺を見つめている。 真っ直ぐに。 「私に責任を取らせてください」 そんなふうに言われたら。 葛城さんの誠意を断れない。 「はい……」 「ありがとう」 前髪を掻き分けた指先が目尻をなぞった。 「君とやり直したい。もう君を泣かせたりはしないから」 「えっ?」 「私達は恋人同士だよ」 耳元で吐息が囁く。 『恋人ごっこ』は始まってたんだ。 俺も演技しなくちゃ。 「えっと……よろしくお願いします」 ぺこり 「君は、仕事の癖が抜けないね。まぁ、今も仕事の時間なのだから仕方ないか」 すかさず葛城さんがフォローしてくれた。 ……『承知してくれてありがとう。これで君を近くで守れるよ』 背中に手をまわして、葛城さんが耳打ちした。

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