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Ⅷ 君には渡さない⑱

「優斗」 あの人が呼んだ。 「優斗」 呼ばれたからって返事する義理はない。 「聞こえているだろう」 こんな人知らない。 「優斗ッ!」 背中から強い力に引かれた。 「なにを怒ってるんだ!」 俺の手は、ぎゅっと真川さんに捕らわれている。 「帰ります」 振りほどこうとした手を、更に強い力が掴んだ。 「離してください」 「ダメだ」 右手が離してくれない。 それどころか、掴んだ手が強引に体の自由を奪う。 離れたいのに…… 真川さんとの距離が近づく。 「一人にはできない。君も合意したろう」 今日の出来事。 俺の身分証が忽然と消えた事も。 葛城さんとの食事の最中に不審な電話が掛かってきた事も。 真川さんを騙る電話で、ここに呼び出された事も。 全部話した。 これが誰かにより仕組まれた犯行だとするならば…… (全部、見に覚えのない事で) 誰かの恨みを買う心当たりはない。 心配した真川が、俺と一緒にいる……と。 一人にはできない。と…… そう言った。 (でも、俺は) 一人になりたいです。 あなたといるのは辛いから。 なんでもない赤の他人の俺達が、その場しのぎでくっついて、何事も起こらなければ、また離れる。 もとの他人に戻る。 あなたの都合でくっついたり、離れたり。 そんなのに振り回されたくない。 俺の事なんて…… 「ほっといてください」 「放っておけない。君は大切な」 「助手ですか」 「許嫁だ」 また言った。 あなたの都合でくっついて離れる名前だけの恋人なんか…… 「嫌です」 勝手すぎる。 「聞き分けてくれ。俺達のいるこの場所には黒い噂が絶えないんだ。ただの助手相手に手を繋ぐのは不自然だろう。許嫁なら、いくらでも手を繋げるし、肩を抱く事だってできる」 俺の身を守るため……だって事くらい頭じゃ分かってる。 でも感情がついていかない。 気持ちがおいてけぼり。 形だけの許嫁扱いをされるたび、心が痛む。 身の安全を考えて、俺のためだって分かってるから、どうしようもなく理解しがたい気持ちだけが温もりをすり抜けて、体の中にぽつんと、ひとりぼっちで取り残されている。 すくい取れなくて、どこにも行けずにうずくまっている。 「優斗」 そんな声で呼ばないでください。 あなたは、ほんとうは悪くないんです。 「キスしようか」 えっ…… ぽかん、と。 あなたを仰ぎ見た。 「そうしたら落ち着くから」

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