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第12話

 夢を見るようになった。触手はいない。当たり前だけどもういない。入院して最初のころは暴れたし、身体が疼いて堪らなかった。でももうそれもない。あれだけケンカが好きだったのに、もう興味がない。  嘘のように静かな毎日だ。  佑月が見舞いに来てくれて穏やかになって。もう退院できるかな、と思ったけどまだだめらしい。  あ、そうだ。夢を見るようになったんだった。  別になんにもない。真っ暗な夢。その夢に誰かいる。誰かいるんだけど誰かわからない。ただ暗闇にずっと誰かいる。  それだけの夢だ。  もしかしたらそれは昔の俺なんじゃないか。  先生にそう話したら、どうだろうね、と静かに笑われた。  あれは、誰なんだろう。  そうだ、今日も佑月が来るだろうから、それまでにあの本読んでおこう。小学生の男の子ふたりの冒険シリーズ。あれがいまだに新作が出てるってことを知って新しいのを買ってきてもらったんだ。  佑月もきっと読むよな。 *** 「散歩行くか?」  すごく外はいい天気で。中庭の桜が開花したっていう話を聞いて俺は朝からそわそわしていた。佑月はいま春休みだから面会時間になると遊びにきてくれる。  佑月が来てすぐに俺が言うと、椅子に座ったばっかりだったのに嫌そうな顔もしないで、いいよ、と笑ってくれた。  ふたりで院内散歩に出かける。中庭に行きたいというと佑月はわかっていたようだった。俺の病室に来る前にちらっと見てきたらしい。  足早に向かう俺を佑月がおかしそうに笑っている。中庭に差し掛かったところで佑月が立ち止まった。ポケットに手を突っ込んでスマホを取り出していた。 「ごめん、奏人。家から電話。ちょっと出てくるから待っててくれるか」 「ああ、わかった」  すぐ戻る。佑月は電話がかけられるスペースへと消えていった。  中庭はもうすぐそこだ。桜の木はちょうど死角になっていて窓からは見えなかった。  見えなかった、けど。  ガラスにちらりと影が映って、反射的に振り向いた。サッと人影が曲がり角に隠れて、俺の足が勝手に動いた。  そして角を曲がって、ソイツの腕をつかんだ。 「佑月!」  身体を強張らせて、俺を見る佑月。 「なにやってんだよ、お前」 「……奏人」 「あれ? お前痩せた?」 「……」 「どうした? 静かだな。電話、もう終わったのか?」 「え?」 「ほら、桜見に行くぞ」  妙な顔してる佑月に背を向けて中庭へ向かう。肩越しに振り返ると佑月もゆっくり俺のあとを続いていた。  どうしたんだろ。家でなにかあったのか?  気になったけど中庭へ出てちらほら花を咲かせた桜の木を見てテンションが上がった。 「おい、佑月! 桜、咲いてる!」 「……そーだな。……奏人、桜好きだったんだ?」 「だって綺麗だろ? 中学の入学式覚えてるか? あのときちょうど満開の桜並木でさ、すっげー綺麗だっただろ」 「……」 「あと何日くらいで満開になるのかなー」 「……奏人って……そんな風に笑うんだ」  ぼそりと佑月が呟く。なに言ってるんだコイツ、って笑えた。 「お前こそ、そんな暗い顔はじめて見るな。いつもタバコくれって俺にたかってたくせに」 「……ごめん」 「謝るところじゃねーだろ」  真面目な佑月は調子狂うな。コイツがいたから、佑月と高校で出会えたから、いや、俺が――。 「奏人、ごめん」  タバコのことは冗談だっつーのに、佑月がまた謝ってくる。 「俺、最初から変だってわかってたのに。結局、あんなことになって」 「……」  久しぶりに――気持ち悪さを感じた。むかむかして吐き気がする。口を押えてうずくまった。 「奏人? 大丈夫か?」  焦ったように佑月が俺の肩に触れてきた。ぞわ、と鳥肌が立った。身体が、震えた。 「……俺のほうこそ、悪かった。俺……夢だと、思ってたんだ。お前と……ヤってたんだよな」 「……ごめん」 「……謝らなくて、いい」  きっかけはきっと俺だったはずだから。 「……お前のおかげで夢から、醒めた……し」 だから――、ああ、クソ、気持ち悪い。胃液がこみ上げてきて堪らずに吐き出した。 「奏人っ。おい、大丈夫か? ちょっと待ってろ。医者呼んでくるっ」  慌てて佑月が走って行く。いい、と引き留めようとしたけど手が届かなかった。  気持ち悪くて、気持ち悪くて、気持ち悪い。  げぇげぇ、吐いて。なんで俺は入院してるんだろう、と思った。  それは俺がおかしいからだ。触手の夢を見て、でもそれは現実にセックスしてて。ケンカだってただ暴力的な興奮で、してて。  ――俺、何か忘れてる。  気持ち悪い。地面に吐き出した胃液。気持ち悪い。胃が喉が焼けるみてーに熱くて、気持ち悪い。  ぐらっと身体が揺れて、倒れそうになったところを支えられた。 「奏人」 「……っ、あ」  そう、だ。あのとき、俺の身体を支えてくれたヤツがいた。夢じゃないのに、夢だと、思い込んで、ケンカしてたヤツらにマワされて、それも全部触手だと思って、それでそれで、怪物が。 「っ、あ、あ、怪物」 「怪物?」 「俺、の、夢のなかに、出てきた。俺のこと、壊すやつだ……って思って、だから、俺……」  刺した。  ナイフが落ちていた。たぶんケンカしていたヤツらのものだったんだろう。それ、取って、刺した。夢の中で怪物に刺した。  ぐさぐさ刺した。ナイフが肉にうまる感触を手が覚えてる。刺して、刺しまくってたら、佑月が来た。  俺は起こされた。現実だって、現実だって。  俺の足元に血だまりがあって、怪物が。 「ちが……う」  気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。  ――倒れてたのは、怪物じゃなくて――ずっと、小学生のころから、親友で、ずっと……俺のこと心配してくれてた。助けるって……。でも……父親が亡くなって――俺が転校してったから、会えなくなって……。 「ゆ――……」  俺が刺したのは、倒れていたのは――譲、だ。 ***

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