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 彼女から告げられた、悪意のない言葉。  あの日から、松葉瀬は変わってしまったのかもしれない。  ベータを見下し、心の中で罵倒し、邪魔だと切り捨て、払いのける。  けれど、松葉瀬がどれだけ他人を見下したところで……寄ってくる虫は減らなかった。  ――アルファというだけで、他人は寄ってくる。  そうして初めて、松葉瀬は【アルファ性】がどういうものなのか。そして、いかに魔性の存在なのか……痛感した。  他者を拒むだけでは、なにも変わらない。  そう考え直した松葉瀬は、あえて自分に仮面をつけた。  ――人に好かれる、完璧なアルファという仮面を。 『松葉瀬さん、お先に失礼します』 『はい、お疲れ様です。……今日は雨が降ってますから、帰りは気を付けてくださいね?』  声をかけられれば、美しく微笑み。 『松葉瀬、今いいか? ちょっと、仕事を頼みたいんだが』 『勿論ですよ、主任。いつでも相談してください』  頼られたら、嫌な顔一つ浮かべずに助け。 『どうしよう……全然うまくいかない』 『どうしたんですか? ……あぁ、コピーの倍率ですか。意外と難しいですよね、この設定』  困っている人に、手を差し伸べる。  そんな、万人が求める完璧なアルファに。  それでも……松葉瀬は不意に、許容できないほどの苛立ちを抱える日があった。  その度に、松葉瀬は考えるのだ。  ――ベータでも、アルファでもない、もう一つの性。  ――オメガじゃなかっただけ、自分はマシだ……と。  アルファより、更に希少。  なのに、どの性別よりも劣等種で、立場も地位も低い存在。  それが【オメガ】という存在。  不出来な存在という、拭い去れない汚点でしかない証。 『陸真、おめでとう! アルファですって、アルファ!』 『父さんも母さんも、鼻が高いぞ! 陸真は自慢の子供だ!』  純粋に、アルファは凄いと。  そう思っていた幼少期の松葉瀬にとって、オメガは対照的に。  ――ただただ、可哀想な存在だった。  それは大人になってからも変わらず、松葉瀬の価値観に居座り続ける。  その考えは一生変わることなく、松葉瀬にとって唯一無二な心の支え。  ――そうである、はずだった。  ――そうでなくては、ならなかったのだ。  その価値観が揺らぎ始めたのは……去年の四月に行われた、新人歓迎会。  そこで意気揚々と挨拶をした。 『四月から入社しました、矢車(やぐるま)菊臣(きくおみ)です。一応……先に言っておきますけど、ボクはオメガ性でぇす。……あっ。だからって、襲ったりしないでくださいねぇ?』  ――矢車菊臣との、出会い。  ――それが、松葉瀬の心を大きく揺さぶったのだ。

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