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 松葉瀬の耳元に、矢車は唇を寄せた。 『職場のセンパイとして、人生のセンパイとして。後輩オメガに、松葉瀬センパイが知ってる悪いこと……全部、教えてください』  不意に。  矢車から、甘い香りが漂った……気が、した。  矢車はやはり、松葉瀬がアルファだということを知っている。  だというのに……その態度は、どこまでも毅然としていた。  ――だからこそ、松葉瀬にとっては気に食わない。 『……ついて来たいなら、好きにしたら?』  頼んでいた酒を、一気に呷る。  そして、松葉瀬は立ち上がった。  宴会場を後にする松葉瀬に、矢車はついて歩く。  その表情は……自己紹介の時と変わらず、笑顔だった。  松葉瀬にとって、オメガの知り合いは矢車だけ。  矢車以外のオメガを、松葉瀬は知らない。  ――だからこそ、侮っていた。 『あはっ! センパイってぇ、意外とせっかちさんなんですねぇ?』  ホテルに連れ込み、ベッドに押し倒された矢車が、煽るように囁く。 『もっと慣れてる感じで、余裕綽々って顔するのかと思ってたのに……ふふっ、オスくさい表情ですねぇ?』  オメガからは、アルファを誘うフェロモンが漏れている。  そんな話を、松葉瀬はどこかから……あるいは誰かから、聞いていた。  しかし、実際のオメガは……想像以上だったのだ。 『んっ、や……センパイ。いきなり脱がそうとするなんて、マナー違反ですよ……っ?』  矢車が着ていたスーツに手をかけ、松葉瀬は乱暴に脱がしていく。  それでも、矢車は笑顔だ。 『今日の新人歓迎会に行く前……ボク、家で準備してきたんです。……何の準備か分かりますかぁ?』  ワイシャツのボタンを外していた松葉瀬の手を、矢車は掴む。  そして、自分の臀部へと引っ張った。 『ココの、準備ですよ』  今から、矢車は――オメガが、アルファに抱かれる。  だというのにどうして、矢車は笑顔なのか。  ――オメガのくせに、気色悪い。  松葉瀬の仮面が剥がれるのには、十分すぎる理由だった。 『――お前、こういう経験……ないワケじゃねェんだろ』  社内の誰も知らない、松葉瀬の本性。  粗暴で、乱暴。オマケに粗悪で口が悪く、傲慢なその態度。  松葉瀬は素の自分を、隠すことなく矢車へぶつけた。 『お前も知ってる通り、俺はアルファだ。そして、お前はオメガ。……お前は今、アルファと一つのベッドにいるんだぞ。身の危険とか、そういうモン……感じねェのかよ』  臀部に引かれていた手を、矢車の首筋へ伸ばす。  そして……矢車のうなじを、撫でた。 『――お前、他に(つがい)でもいるのか』  アルファは、オメガのうなじに咬みつく。  それはただの暴行ではなく、強く、重い意味を成す行為だった。  ――結婚なんて、生ぬるい。  ――相手の為なら命を捧げることすら、惜しくない。  ――そんな、死よりも重い契約を意味する行為だ。  うなじに咬みついたアルファと、咬みつかれたオメガ。  その二人の関係性を……世間では【番】と呼んだ。

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