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仕事が早いわけではないけれど、笑顔が可愛く、人を寄せ付ける。
愛嬌があり、人懐っこく……どこか能天気な、新入社員。
それが、課内での矢車菊臣という男の総評だ。
けれどたった一日で、その評価が覆されることになるとは。
きっと、誰も予想していなかっただろう。
『お前、イカれてるんじゃねェのか』
アルファであることを呪っているアルファに対して、アルファの本能でいっぱいにしてやりたいだなんて。
そんなの、イカれている以外に何と言えばいいのか。
松葉瀬の素直な問い掛けに、矢車は愉快気な様子で返す。
『喋ったこともない後輩の誘いに、ホイホイ乗ってきたセンパイも……相当おかしいですけどねぇ?』
土足で、怒りの琴線を蹴散らしまくる。
しかも笑顔で、悪びれずに。
矢車がなにを考えているのか……どうして松葉瀬に、嫌がらせじみたことをしたがるのか。
心当たりが、松葉瀬には一切ない。
『……テメェ。俺がアルファで、気を引く為にクソみてェなことを喚き散らしてるワケじゃねェよな?』
オメガの本能として、アルファに惹かれたのか。
そう問い掛けたつもりだった。
そしてその問い掛けは、松葉瀬にとって一番可能性のある答えでもある。
しかし、矢車は。
『ボクが、センパイに惹かれたとでも……?』
ポカンと、間の抜けたような表情を浮かべる。
そして、唐突に。
『――あっははっ! ヤダ、何ですかそれ! ふっ、はははっ! 渾身のギャグですかぁ? 可笑しすぎぃ! サイコーですぅ! あははははっ!』
松葉瀬に組み敷かれた体勢のまま、矢車は腹を抱えて笑い始めたのだ。
笑わせる為に、言ったわけではない。
それが一番……信じられないけれど、説得力のある動機だと。松葉瀬は本気で思っていたのだ。
けれど、矢車は破顔したまま……付け足した。
『――ボクは、センパイのことなんか……大嫌いですよ』
純粋な、嫌悪。
それを言葉として向けられたのは、松葉瀬にとって……初めてだった。
『ねえ、センパイ。ボクと番になりましょう? センパイが望むなら、毎日セックス……シたっていいです。オスの性 を忘れて男に強請る、矮小ビッチなメスオメガになってあげますよ?』
――意味が、分からない。
矢車は自分を『大嫌い』と言ったのに、今度は『番になろう』と言っている。
まるで道化師のような台詞に、松葉瀬は問い掛けた。
『そんなことして、テメェに何の得があるんだよ。……気色わりィ』
そっと、嫌悪感を添えて。
『得、ですか?』
キョトンとした表情で、矢車は松葉瀬を見上げる。
そして再度……笑みを浮かべた。
『ありますよ、当然』
松葉瀬の広い背に、矢車は腕を回す。
脱がされかけていた中途半端な姿のまま、矢車は松葉瀬に抱きつく。
『自分のことでいっぱいの、人間としてド底辺すぎる傲慢クズヤローな残念アルファなセンパイに、毎日好き勝手蹂躙されるなんて……とっても、絶望的でしょう?』
――それのどこが、得なのか。
松葉瀬には、分からなかった。
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