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松葉瀬の感じていた【不安】は、すぐに的中してしまった。
(しまった。書類の決裁、後回しにしてたな)
残業中に作成した書類の決裁を、翌日に貰おうと思っていた松葉瀬は、すっかり書類のことを忘れていたと気付く。
書類を持ち、課長である茨田の判子を貰おうと、松葉瀬は立ち上がった。
幸い、茨田は自分のデスクにいる。
「茨田課長、少しいい――」
書類を確認してもらい。
不備がなければ、判子を貰おうとしただけ。
なのに、茨田は。
「――っ!」
――大袈裟なくらい、身構えたのだ。
思わず松葉瀬は、目を丸くした。
そんな松葉瀬を見上げて、茨田は慌てた様子で言葉を取り繕う。
「あ、あぁ……松葉瀬か。すまん、驚いた」
「いえ……」
予想外の反応に、松葉瀬はぎこちない笑みを浮かべる。
「こちらこそ、すみません。……書類の確認をお願いしたいのですが」
「あぁ、分かった」
書類を手渡すと、茨田はすぐに受け取った。
そのまま、目を通す。
松葉瀬は穏やかな笑みを浮かべながら、茨田を見下ろした。
(……今、警戒された……のか?)
松葉瀬は確かに威圧的な本性を抱えているが、それを露わにするのは矢車にだけだ。
他の誰かに怯えられる筋合いはないし、怯えられる要素もない。
なのに茨田は、松葉瀬を警戒した。
今までは、そんな素振り……ただの一度も、示したことがないのに。
(俺、なにか変だったか……?)
そんなはずはない、と、松葉瀬は否定する。
完璧な仮面を被っていたのだから、本性がバレるはずがない。
――なら、どうして茨田に警戒されたのか。
その理由は……すぐに分かった。
――松葉瀬が【アルファ】で。
――茨田が【オメガ】だからだ。
(……ふざけんなよッ!)
相手はつい最近、オメガになったばかり。
突然、何の準備もなしにそう告げられたのだ。
ならば、本人の気持ちを待たずに世界が一変してしまうのも無理はない。
だが、だからと言って……本人の考え方すら、こうも簡単に変わってしまうものなのか。
(俺がアルファで、茨田がオメガだから……だから、何だよ……ッ!)
オメガがアルファに怯えるのは、仕方ないのかもしれない。
それでも、松葉瀬にとっては。
(アルファだからって、オメガだったら誰でもいいワケじゃねェんだぞ……クソがッ!)
不愉快極まりない出来事だった。
「さすが、アルファの松葉瀬だな。……書類に不備はないよ」
「……ありがとうございます」
茨田の判子が押された書類を受け取って、松葉瀬はにこやかに礼を言う。
(なにが、アルファだよ……ッ!)
思わず書類を握りつぶしそうになり、何とか堪える。
――茨田の告白を受けてから、胸の中に生まれた奇妙なザワつき。
――それは、ただの【嫌な予感】というものだったらしい。
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