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オメガだからこそ、アルファに劣等感を抱く。
多少なりとも、矢車にはその感覚が理解できた。
つまり……上司である茨田が突然、部下である松葉瀬を邪険に扱うのは……理解できる。
――ただ、許容ができないだけで。
「希少な性別同士、仲良くしてあげたいだけですよ」
書類を仕分けながら、矢車は一つのバインダーを見つける。
「……あっ、ありましたよ、課長! 五年前の給与――」
バインダーに貼られたテープ。そこに書かれた書類の見出しに、矢車は声を張り上げようとした。
しかし、その声を茨田が遮る。
「――なら、私とも仲良くしてくれたっていいんじゃないか?」
不意に。
矢車の手から、バインダーが滑り落ちた。
バサリ、と、バインダーの落ちた音が響く。
「……なにを言ってるんですか、課長……っ?」
――いつの間に、茨田は背後へ回ったのだろう。
理解が追い付かないまま、矢車は口角を上げた。……虚勢だ。
背後に立つ茨田は、矢車の腕を掴んでいる。
そしてそのまま、矢車を棚に押し付けた。
「まるでボクが、課長とは仲良しじゃない……みたいな言い方ですねぇ? ボクなりに、課長とはオメガ同士……仲良くしてたじゃないですかぁ?」
どことなく、嫌な予感がする。
矢車は言葉にできない感覚を抱えつつ、何とか平静を装う。
対する茨田は……どこか、冷静に見えた。
「オメガの私より、アルファである松葉瀬との方が……よっぽど、仲良しに見えたけどね?」
「ヤダ、茨田課長ったら……ヤキモチですかぁ? カワイ~」
語調を弾ませ、唇で弧を描く。
――しかし、矢車の目は笑っていなかった。
――それと同様に、茨田の目も……笑っていない。
「矢車。私は先日、後天性の……第二の性について、診断を受けた」
「みたいですねぇ? 皆の前でカミングアウトしたのは、本当にカッコいいと思いますよぉ?」
「そうかい? ありがとう」
腕を掴んでいない方の手が、矢車へ伸ばされる。
「それから、ずっとなんだよ。あの日……後天性の診断を受けてから……ずっと」
「……っ」
茨田の手が、矢車の首筋を撫でた。
「――きみが、特別に見えて仕方なかったんだ」
武骨な手は、間違いなく男のもの。
なのに、全く……松葉瀬とは、似ても似つかない。
「……もしかして、ボク。ずぅっと、騙されてた感じですかねぇ?」
二人きりの書庫。
この場所には普段……誰も、寄り付かない。
そんな状況で、自分よりも体格がいい男に……矢車は、迫られている。
(さて、どうしよっかなぁ……?)
必死に、虚勢を張り続けてはみるものの。
今の矢車は……『絶望的です』とは、笑えなかった。
ふと、ベータの親友が言っていた言葉を思い出す。
――松の花言葉は、希望。
【希望】という花言葉を持っているのは、松だけではなく……他にも、ガーベラやスノードロップ。
(イヤだなぁ……。ボク、もしかして……)
――それらの花に、もう二度と……触れられないのかもしれない。
そんな詩人じみたことを、矢車は思わず考えてしまった。
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