66 / 76
8 : 3
両腕を押さえ込まれた矢車は、身をよじって抵抗する。
「離して、ケダモノ……っ!」
「どの口が言ってんだクソビッチ!」
「やだ――んぐっ」
片方の手で、矢車の両手首を固定し。
もう片方の手で、松葉瀬は矢車の口を塞いだ。
「いいか、弱虫ザコメンタル……ッ! 一回しか言わねェから黙って聴いてろよ……ッ!」
「ふっ、ぅぐ……っ」
矢車の瞳が、涙によって潤む。
それに気付いていながら、松葉瀬は怒鳴り続けた。
「お前は、自分でも言ってる通りクズだッ! ワケ分かんねェし、お世辞にも性格がいいとは言えねェ! 変人で、ドがつくヘンタイで、クソイカれヤロウだッ!」
「ん、ぐっ」
「けどなァッ! それを知ったうえで、お前をサンドバッグに選んだのは誰だッ! ……俺だろッ!」
「……っ」
矢車の眉が、悲し気に寄せられる。
――それは……松葉瀬の表情が、苦し気に歪んでいるからだ。
「アルファの苦悩を、オメガのお前が理解できるとは思ってねェ! けどなァ! ……同様に、俺だってオメガの気持ちなんざ分かんねェんだよッ! そんなの、当たり前だろうがッ!」
「うぐ、む……っ」
「なのに、いきなりガチで『番になってほしい』なんて言われて……俺はッ! 周りが思うほど善人じゃねェし、テメェだって、周りが思うほどアホじゃねェだろッ! だからこうして、二人きりになって結論出してやるって言ったんだろォがッ! ちったァこっちの話にも耳を傾けやがれッ! 先走ってんじゃねェぞ、クソ早漏ヤロウッ!」
グルグルと、松葉瀬の頭には言葉が浮かぶ。
それは矢車への文句であったり、苛立ちであったり、怒りだ。それら全てをぶつけたら、一夜明かせるのではないかというほど、膨大に。
けれど、その中には……そういった恨み以外の言葉もあった。
「理解なんざできねェよッ! テメェはオメガで、俺はアルファだッ! どんだけ言葉を並べたって、俺たちは互いを完璧に理解することは一生できねェッ! 俺たちが望もうが、望まないが、それは変わんねェ結末だッ!」
「……っ」
「それでもッ!」
矢車の腕を掴む松葉瀬の手に、力がこもる。
口を押さえた松葉瀬の手は、矢車の涙で濡れていた。
矢車に対する、どうしようもない怒り。それが今の、松葉瀬を構成してしまったのだとしても。
『もしかしてボクたち、運命の番だったり?』
矢車にとっては、何てことない一言。
例え仮に、そうだったとしても。
「――アルファを嫌う、アルファの俺を選んだのは……テメェだろォがッ! ならッ! 今更離れられると思うなッ! ……お前は、俺の運命だろッ!」
運命の番だなんて言葉、松葉瀬は本気にしたことがない。
そんなものが存在するなんてことも、信じているわけではなかった。
しかし、それでも。
――矢車は自分にとって、それ以外の言葉では言い表せないんじゃないか。
そう思ってしまうくらいには……松葉瀬にとって矢車は、特別だったのかもしれない。
ともだちにシェアしよう!