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最終章 蜂蜜色の彼
気絶したように眠るぼろぼろな透くんを見て泣きそうになった。身体中が酷く傷付いている挙句、初めて彼を襲った発情期 の熱に苛まされ、行為中も健気に俺を求める姿に、どうしようもない愛らしさを感じると同時に途轍もなく胸が痛んだ。
「どうしてこんなにいい子なお前が、傷つかなきゃいけないんだろうな.....」
ガーゼに阻まれた両頬をそっと包み込んだ。熱すぎる体温が俺の両手にじんわりと広がってゆく。透くんに残った体力を考えれば、これ以上性行為で発情期 の熱を抑えるのは無理な気がした。俺は軽く身支度を整えると抑制剤と解熱剤の投与をする為に病室の外へと出た。
自分自身の太腿にもアルファ用の抑制剤を打った後に点滴の準備をして透くんのいる病室へと向かった。今は別棟へと向かう廊下がもどかしい程長く感じる。その道すがらで嘉月と出会った。
「一色、透くんは....?」
きっと今まで本気で心配していてくれたのだろう。嘉月の色を失った唇が僅かに震えた声を紡ぐ。
「番になった。これ以上、続けることはできないから薬を投与する。」
「そう、番になったんだね。.....よかった、よかったぁ。」
嘉月の元に来るオメガは、その大半が心身ともに深く傷ついている事が多い。それでも、どんと構えてしっかりと患者と向き合ってきた嘉月が、珍しくへなへなとソファに座り込んだ。
「嘉月、お前にも心配をかけた。ごめんな。」
「ううん、君たち二人が掴んだ未来だよ。.....さあ、もう行きな。透くんが待ってる。」
「ああ。ありがとう。」
へにゃりと笑った嘉月にお礼を言って、今度こそ透くんの元へと急いだ。
ーーー
点滴を落としたから、徐々に呼吸にも落ち着きが見え始めてきた。その状態に少しだけほっとしながら俺はパイプ椅子に腰をかけた。長い長い夜だった。流石に疲労も滲んできて、浅い眠りの淵へと誘われる。しかしそれも、くぐもった嗚咽によって強引に打ち消された。飛び起きた反動で簡素なパイプ椅子がガチャンと鳴った。心臓がバクバクと嫌な音を立てている。
「透....!」
声も出さずに泣いている彼の名前を呼ぶと固く閉じられていた瞼が薄らと持ち上がる。蕩けた琥珀色が確かに輝いていた。それはまるで、彼そのものだった。
「透」
「.....せ、んせ」
包帯の巻かれた手をそっと握れば、想像したよりも強い力で握り返された。
「透」
美しい彼の名前を、もう一度繰り返した。
「なぁに?」
小春日和みたいに心地の良い彼の声。
――ああ、俺はお前をどうしようもなく愛しているよ
そして、ずっと彼に伝えたかった言葉がするりと音になって出てくる。
「これからは、ずっと一緒だ。」
「.....そう」
ちぐはぐに掠れた彼の声が深いため息と共に吐き出された。
「俺はお前の半身でお前は俺の半身だ。」
トントンと彼の左胸を軽く叩く。すると、その上から弱くトントンと透が小さな拳をぶつけて、それはそのまま俺の左胸を控えめに小さく叩いた。
「嫌か?」
「.....ふっ、ぃ、いや、じゃ、ないっ、うっ、ひっ....」
必死に泣き声を堪える透を抱き寄せて背中をさすってやる。
お前はずっと、そうやって悲しいことを抑え込んで泣いてきたんだな。
「大丈夫。好きなだけ泣いてごらん。」
そう促せば、我慢し続けた悲しみが遂に決壊した。深夜、透は声をあげて泣き続けた。
ーーー
「ガーゼ取り替えるから腹見せて。」
「ん!ありがとう、せんせい。」
透の発情期 が終わっても俺は透のいる病室へ通い詰め手当てをしている。その姿を見た嘉月からは「なんか親鳥みたいだね。」というよく分からない感想を頂いている。
手当てを終えて病衣を整える透をぼんやりと眺めていた。
「あのさ、先生ってさ、なんのお医者さんなの?内科?外科?」
興味津々と目を爛々に輝かせて聞いてくる透に思わず笑ってしまう。
「んー、外科医かな。」
「え!やっぱり?そうだと思ったんだよなー!」
何となくいつもの調子を取り戻して来ている透は、ベッドの上でうんうんと何度も肯いていた。
「でも外科医にも色々あるんでしょう?先生は何外科なの?」
「秘密。」
「えー!ケチ!」
透は不服そうにムッとしていた。昼間はこんなに百面相できるのに、夜になると途端に怯えて泣いてしまう姿が脳裏によみがえる。夜に充分な睡眠を取れていないせいで、本当は今だって眠いはずだ。
「透、今日は夕飯一緒に食べようか。病院食だけどね。」
「いいの?!」
それでも嬉しそうに目を輝かせてくれる。
「ああ、たまには一緒に食いたい。」
本当は毎日がいいけれども。
「ふふっ、嬉しいなあ。」
「そんなにか?」
訊ねれば透はぶんぶんと首を縦に振った。
「それにさあ、先生は気づいてないかもだけど.....」
「なんだ?」
にまにまと笑ってこちらを見上げてくる彼の髪がふわりと揺れる。
「僕のこと、透って呼んでくれるようになったよね!」
「......あ、すまん。」
何故だか咄嗟に謝ってしまった俺に、透は吹き出した。
「なんでさ!僕、嬉しいよ。あの時もさ、電話口で先生が透って言ってくれたでしょう?僕はそれだけで、どうにかなっちゃうんだろうなって安心できたの。」
「そうか。それなら良かったよ。」
それは俺を切なくさせたけれども、気づかれないようにそっと透の頭を撫でた。
そんな透が俺の勤める病院に看護師として入ってきたのは、まだ記憶に新しい一年前の春。そして今、桜の木の下で透を見つけてから、五年の月日が流れようとしていた。
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