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卒業式のすこし前に人事課から、貴方は長野営業所に配属となりました、社員寮があるので引越の準備をしてください、と連絡があった。長野は縁もゆかりもない土地であったが、芳賀は淡々と準備をして、3月の末には東京を後にした。自分でも驚くほど未練はなかった。
長野営業所では毎日のようにワゴン車を運転して取引先を回る日々だった。始めこそ畦道で脱輪したり高速道路で車間距離を見誤って衝突事故を起こしかけたりと大変だったが、数ヶ月するとすっかり慣れた。重い製品を運んだお蔭で筋肉が付き肩まわりが大きくなった。所長は口の悪い定年間近の男で出世街道からは完全に外れていたが、芳賀には不器用ながらも良くしてくれた。
このまま長野に居てもいいかなと思いながら過ごしていたが、3年経つと埼玉支社への異動を命じられた。いわゆる営業らしい外回りが主で、最初はかなりしんどい思いをした。しかし、営業トークをあまりせずに顧客の要望に駆け回る姿が評価されたのか、取引先からは芳賀さんじゃなきゃと言われるまでになった。
そのうち研修で知り合った本社の同期からは昇任の知らせがぽつぽつ入るようになった。いずれは同期が上司になる日が来るのかなと複雑な気分になったが、自分は不器用なのだから地道に生きていこうと芳賀は自らに言い聞かせ、目の前の仕事に取り組んでいた。
埼玉支社の勤務が4年を越えた初夏のある日だった。
オフィスに1本の電話が掛かってきた。取ったのは芳賀を可愛がってくれているベテランパートの鈴木さんだった。
「芳賀くーん、電話出られる?」
倉庫から廃棄予定のファイルを持ってオフィスに戻ってきたところで声を掛けられ、芳賀は急いで自席に向かった。
「どなたからですか」
「本社のヒビノって人」
芳賀は抱えていた何冊もの分厚いファイルを危うく取り落としそうになった。鈴木さんは自分の勤めている会社の名称と同じ名前の人間を何とも思わないのだろうか。
切ってくれと言うわけにもいかず、芳賀は仕方なく電話に出た。
「やあ、元気」
「仕事の話ですか」
同期の情報で、日比野が既に課長補佐になっていることを知っていたから、芳賀は慇懃に返答した。
「お前、携帯の番号替えただろ。メールも戻ってくるし」
「スマホにしたときにキャリアも替えたんです」
「じゃあ、番号教えろ」
「……」
緊急時のために会社には携帯電話の番号を報告しているから、日比野が本気になって調べればわからないはずがない。それをしないのは芳賀への礼儀であり社員としてのモラルであろう。
番号を伝えると電話が切れ、代わりにスマートフォンが鳴った。芳賀は小走りで廊下に出た。
「……なんだよ」
「よかった。着信拒否されるかと思った」
「しねえよ。で、なんの用」
「よそよそしいなあ。お前が冷たいから気を遣って距離を取ってやってたのに……まあいい。俺、結婚するんだ」
心臓がどくんと跳ねた。
「ああ……それは……おめでとう」
「それで、披露宴には人数の都合で呼べそうにもないんだけど……」
(表向きは)沢山いる大学の友人のひとりなのだし、(表向きは)そう親しいわけでもないのだから、日比野としては披露宴に呼ぶ義理もない。友人席は「内部生」ばかりなのだろう。
「実は、式の前に俺の友達ばかり呼んで、くだけた宴会をする予定なんだ。そっちに出てくれないかと思って」
「……7年も連絡取ってなかったのに、いいのか」
「俺は構わない、と言うかお前に会いたい」
「……」
その気になれば居場所はわかるのだから押し掛ければ良いのに、意外に気が小さいのだろうか。会いたいと言われて嫌な気分はせず、自分の方も情が残っているのかと芳賀は困惑した。
「わかったよ。いつなんだ」
日比野の声が明るくなった。
「6月3日。詳しくはメールする」
電話が切れた。
芳賀はしばらくスマートフォンの画面を眺め、しばらく迷ったあげく電話帳登録をした。
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