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 日比野から届いた招待状にはドレスコードの指示が見事な筆跡で書き添えられていた。そういえば彼は書道で段位を持っていたはずだ。黒以外のジャケットでネクタイ着用とは、ちょっと格の高いレストランならばビジネススーツで行けば間違いないと思っている芳賀にはハードルが高かった。当時付き合っていた彼女にはなんとなく相談できず、インターネットで見つけた画像と似たものを購入して間に合わせることにした。  会場であるお台場のレストランに踏み込むと、巨大な掃き出し窓の向こうにレインボーブリッジの夜景が広がっていた。  男性が結婚式前に同性の友人のみを招待して開く宴席をバチェラーパーティーといって、アメリカではストリッパーを呼ぶらしいが、日比野は銀座で売り出し中の若いホステスを数人手配していた。さすがに銀座の有名店に勤めているだけあって、彼女たちは気配りもそつが無く、自然に会話を盛り上げている。客は50人くらいだろうか、ほとんどが「内部生」の連中だった。皆そつの無いこなれた服装で、買ったばかりのベージュのジャケットに着られている芳賀とは格が違う。  会いたいと言っていたくせに、日比野はソファに悠々と腰掛けて何人かと談笑している。その隣にはひときわ美しい女を座らせていた。あれが日比野の妻になるひとなのかと思って眺めていたが、他の男性客の肩や腕にそれとなく触っているし、どうやらホステスのひとりらしい。 「芳賀じゃないか」 「おお、池谷」  ゼミの同級生に呼び止められて芳賀は安堵した。池谷は「内部生」だが飾らない性格でそこそこ親しくしていた。今は父親が立ち上げた会社の共同経営者として多忙で、ヒビノとも取引があるらしい。 「お前同窓会に来なかっただろ。皆で死んだんじゃないかって噂してたんだよ」 「悪い悪い、ちょうど繁忙期とかぶっちゃって」 「その前も欠席だった」 「あの時は長野勤務で……」  池谷は苦笑した。 「お前は日比野のコネであの会社に入ったと思ってたんだけど、その割に出世コースから外れてるのか」 「まあね」  まさか自分で希望したとは池谷は思うまい。正直に説明したら根掘り葉掘り訊かれそうなので、芳賀は黙っていることにした。 「日比野は課長補佐だっけ?御曹司の割にはのんびりしてるな。まあ、あいつのことだから役員の反発を抑えるとか若手の人心掌握とか色々考えてるんだろ」  池谷は傍を通ったウエイターを呼び止め、シャンパンのグラスを取った。 「お前もいる?」 「うん」  淡い黄金色の液体を芳賀はぐっと飲み干した。ふわりと甘酸っぱい香りが口の中に広がる。やっぱり高級品は違うのかなと庶民的な考えしか浮かばないが、美味しいと思った。 「日比野もついに結婚かあ。これで落ち着くのかな」  感慨深そうに呟く池谷の左手には指輪が光っている。 「落ち着くって……どういうこと?」  同じ会社にいる癖に知らないのか、と池谷は訝しげな視線を向けた。 「5年くらい前かな……あいつ、凄く荒れてたんだよ。それこそ毎晩のように飲み歩いたり、素性のよくなさそうな女と付き合ったりさ……男とホテルに行くのを見たって話もあったな。あいつ両刀なのか?……なんか心当たりない?」 「さあ」  5年前、日比野から頻繁に着信があったことを思い出した。19時から21時の間に数回、留守電にメッセージは無かった。芳賀は無視し続けた。ここで折れては元も子もないと思ったからだった。  結局、男とホテルに行ったのなら、単に性欲を満たしたかったのに違いない。一夜限りの関係かもしれないが、ホテルに行った奴はいい思いをしただろう。  ……もう何年も前のことなのに、日比野の体を抱き締めた感触が蘇り、赤面したのを悟られまいと、芳賀はちょっとうつむいた。  ふたり連れに声を掛けられ、池谷は芳賀から離れていってしまった。芳賀はしばらくビュッフェの料理を胃袋に詰め込んでいたが、やがて所在無くなってしまった。すこし顔を知っている者もいたが、やはりグループができてしまっていて輪に入ることができない。  もう義理は果たしただろうと、芳賀はトイレに行く振りをして会場を出た。入口のそばで話し込んでいる男達がいて目が合ったが、知り合いではなかったので呼び止められることもなかった。  駅に向かうつもりが道に迷ってしまったようで、気がつくと遊歩道をウロウロしていた。海風は心地良いが、闇雲に歩いたせいか自分がどこに居るのかさっぱりわからない。地図アプリを使おうとスマートフォンを取り出した瞬間、着信が入った。  画面には日比野の文字。 「……はい」 「もしもし、あたしリカちゃん。今あなたの後ろにいるの」  芳賀は電話を切って振り返った。  日比野が立っていた。

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