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「いいのかよ、主役が居なくなって」
「あいつらは勝手に盛り上がってるから大丈夫だろ」
三十路にさしかかってすこし体重が増えてしまった芳賀と違い、日比野は相変わらず引き締まった体で、チャコールグレーのジャケットにネクタイはせず、ポケットチーフだけ入れている。
「今日はまだ言ってなかったな……結婚おめでとう」
「ありがとう」
「式はいつなんだ?」
別に知りたいわけでもなかったが芳賀は儀礼的に訊ねた。
「来週の土曜」
「そうか」
周囲は男女のカップルばかりで、居たたまれなくなった芳賀は歩き出した。その数歩後を日比野がついてくる。その澄ました顔に、嫌味のひとつでも言わないと気が済まなかった。
「会いたいとか言って俺をあんな集まりに呼ぶなんて馬鹿じゃねえの?」
「一対一でも会ってくれたか?」
「……」
「会ってくれない癖に」
日比野は溜息をつき、芳賀の脇に立った。周りの恋人たちは夜景か自分の相手しか見ていなさそうだが、芳賀は落ち着かずに半歩逃げた。
「戻らなくていいのか?」
「お前が戻ってくれるなら」
「俺は嫌だ。もう帰る」
「じゃあ俺も戻らない」
日比野はどんどん歩いていってしまう。芳賀が後を追うと駆け足になった。しばらく走って、ようやく腕を掴むと日比野は足を止めた。残っていた酒が回ったのか頭がクラクラしてきた。
「日比野、わかった。一緒に戻ろう」
「もう決めた」
「わがままはよせって」
日比野は首を振って、いきなり芳賀に抱きついた。酒のにおいと柑橘系の香水のかおりが鼻腔を満たした。人に見られていないかとひやひやしたが、幸か不幸か誰もいなかった。
「……酔ってるだろ」
「酔った勢いってことで」
濡れたような囁きが耳朶をくすぐる。芳賀は諦めてされるがままになっていた。
翌年、芳賀に本社勤務の辞令が出た。係長昇任のおまけ付きで、周囲は何があったのかと騒いでいたが、芳賀は昇任そのものよりも新しい職場の上司が日比野であることに驚いた。会社の中では彼は良き上司であり、芳賀もただの部下のつもりでいたが、ふたりが以前からの知り合いであることはいつの間にか社員の間に広まっていた。
それはむしろ、終業後日比野が芳賀を伴ってタクシーに乗る様子を誰も気にしない状況を作っていた。すでに妻のいる日比野が、部下を東京駅近くの高級ホテルに連れていって、肉体関係を結んでいるなどと誰が想像するだろうか。
徐々に絡め取られていくような感覚を芳賀はおぼえた。
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