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第50話
俺はじっとしていられずに、入院着にスリッパだけをつっかけると病室を抜け出した。
樹が赤ん坊を見る前に、せめて俺の口から赤ん坊の容姿について伝えておきたかった。
俺は病院の入口を目指し走ったが、その途中で樹を見つけた。
集中治療室はガラス張りになっていて、産まれたばかりの赤ん坊を親がいつでも見ることができるようになっていた。
そのガラスの前に樹は立っていた。
ここからでは樹の表情はあまり良く見えない。
俺は震える足を一歩、樹のほうにすすめた。
その瞬間、樹がそっとガラスに触れた。
樹は俺達の赤ん坊がいる辺りを指でなぞると、本当に優しい顔で笑った。
くるりと振り向くと、樹は俺を見て目を見開く。
「真。そんな格好で出歩いたら駄目だろ。風邪ひくぞ」
自分のコートを脱ぎ、俺に着せる。
「樹。赤ちゃん」
「ああ、見たよ。すごく元気だな」
そう言うと俺の手を引き、ガラスの前に連れて行く。
樹は背後から俺を抱きしめると耳元で囁いた。
「ほら、一番小さいのに一番手足をばたつかせて、暴れてる」
まるで樹の声が聞こえたみたいに赤ん坊は手を振り回していた。
「真、お疲れ様。こんなに可愛い俺達の子供を産んでくれてありがとう」
「おっ、俺は」
不安でかちこちに固まっていた心が解け、ゆっくりと溶けだしてゆく。
俺は涙を零しながら胸の前に回された、樹の腕に縋りついた。
樹はそれから俺が泣き止むまで、何も言わずに抱きしめてくれた。
それから俺の生活は育児で慌ただしくなり、前のように寝てばかりはいられなくなった。
樹は授業が終わると、これまで通りまっすぐに帰宅し、唯希(ユキ)の面倒を見てくれた。
赤ん坊の名前は樹が付けた。
「なんでその名前にしたの?」
俺の両親から一字貰って名付けた理由を尋ねると、樹は胸を張り答えた。
「俺の尊敬する二人だからな」
「調子いいこと言ってる」
樹は俺ににやっと笑うと、鼻歌を口ずさみながら、唯希のオムツを替えた。
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