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*****    ――それはこの日より十日ほど前。満月の夜。  こんなことは滅多とないのだが、その晩に限ってはいつまでたっても眠気が襲ってこず。 だから夜半を過ぎたころにはとうとう眠るのを諦め。まんまるのお月様でも眺めることにするかと一人寝の布団を出て、縁側に向かう。  すると板張りの廊下のちょうど真ん中あたりに――テツヤの背丈が変わらぬほど大きな白猫――先客が待ち構えていて。 「やれやれやっとお出ましか」 「!?(頭に手ぬぐい乗せたネコがしゃべった!?)」 「結界を破るのに三刻ほどもかかるとは・・・それにしても、その首に下げた小さな石ころ(勾玉)一つでお前さんをこうまで護れるとは、さすがは総大将様と言えようか」 「征さ・・・総大将様をご存知で?」 「これでも妖怪の端くれ、よく知ってるよ」  驚きのあまり廊下の端で足を止めてしまったテツヤに向かい「決してとって食ったリしないからこっちへおいで」とちょいちょいと手招きする化け猫が云うことには――。  ――絶大な妖力を誇る大妖怪・ぬらりひょんに蝶よ花よと可愛がってもらい、大切に庇護される座敷わらしに対し。 『嫁御でもないものを傍に置くばかりか、妖力まで分け与えて守る(勾玉のこと)など・・・依怙贔屓にもほどがある!!』などと言ってはやっかむものたちからの突き上げや。 『さっさと手離せ』『一人立ちさせろ』という要求にも一向に耳を貸そうとしないばかりか。  『ならいっそ攫って喰らってやる』だの『痛めつけてやる』だの卑劣な脅し文句を口する輩や。テツヤを出汁に、赤司の立場を脅かしてやろうなどと目論む短慮な命知らずどもには秘密裏に。 だが容赦なく制裁を加え黙らせているらしいことを危惧し。 (粛清されたと思われるものたちが、皆頑なに口を噤んでいるので真偽のほどは不明である)  こんな力に物言わせて無理やり従えるような・・・独裁体制をこれからも続けるつもりでいるなら、いつか内乱が起きる。 となるといかな絶大な妖力を誇るぬらりひょんと言えど、その地位は安泰ではない。すなわち。 『お前が火種で、今まで強固だったはずの一枚岩が崩れかけている』と。 だからこそ。危機がそこまで迫っているからこそ、お前が総大将様から離れた今しかないと。 総大将を慕うものを代表して、はるばる日向まで説得しに来たのだと――。 「内乱となればどのみちお前も命を狙われることになる。そんなことになる前にあの方のそばを離れてはくれぬか?」 「離れるだけで皆さんの気が治まりますか? 総大将様を守れる?」 「完全に火種が鎮火するには相応の時間が必要だろうが――まあすべてはお前次第だ、座敷わらしよ」 「――でしたら答えは一つです」 「・・・そうか。決断してくれたか」 「はい」    ――と。  月夜が煌々とあたりを照らす縁側で・・・固い決意を秘めた瞳でもって、隣にこしかけた化け猫にこくんと頷いてみせたところまでを宿命通を使い、ほんのわずかの時間で見通したところで。 ・・・なにを思ったか唐突に。 「そうか嫁御か。その手があった――オレとしたことが・・・」 「・・・・・・?」  さっきまで浮かべていた表情や、まとっていたオーラがウソみたいに。 「いやでもまさかここまで思ってくれていたなんて」とか。「なるほどそれで! あの鉄面皮や淡々とした声や態度だったわけか」とかなんとかつぶやきながら顔を綻ばせ。うんうん頷いては一人勝手に納得しているなと思ったら。 (嫌われるほどではないにしても。年々からさが増す塩対応ぶりから、もしや飽きられているのではと密かに危惧していた赤司である) 「オレを守るため、つらい決断をしてくれたんだね。ありがとうテツヤ」  あの日のことが赤司に知れたら、化け猫が叱られたりしないだろうかとか。 それどころか内乱が現実になったらどうしようなどと危惧するあまり、とうとう本気で泣き出してしまった童の薄い背をよしよしとさすりながら、まず礼を述べておいてから。 「・・・なら事態を丸く収めるためにも。お前がオレの嫁御になればいい」  さも“いいこと思いついた!”みたいな・・・まばゆいほど晴れ晴れとした笑顔を浮かべつつ。 あまりの急展開にびっくりしすぎたおかげで泣き止みはしたものの・・・涙のあとがまだくっきり残る眦や頬をそっと指の腹でぬぐってやりながら、上機嫌に弾んだ声でとんでもないことを口走る大妖怪様に。  「へ? けどボク男の子(をのこ)」 「うん。それが?」 「それがって・・・だからこそボク、もうおそばにはいられないって。征さまとお別れする決心を――」  テツヤが知っている“夫婦”というものは、人にしても妖怪にしても皆すべからく男女の組み合わせで成り立っているというのに。 だのに。よりにもよって。妖怪一博識で聡明と謳われるほどの人がなぜ・・・無知蒙昧の凡人みたいなことを言い出したのだろう。  ・・・否、そもそもだ。化け猫に別離を迫られて改めて痛感したことは、いかに己が――おなごであったらなお嫁様にしてもらえたかもしれないのに。そしたらずっと征さまと一緒にいられたのに。などとつい・・・浅ましい望みを抱いてしまうくらい赤司を恋い慕っているかということで。 ・・・なのに、後からやっぱりムリなんて言われたら・・・悲しくてつらすぎて立ち直れなくなってしまうから。 だからどうかそんなふうに簡単に言わないでほしい。ぬか喜びさせないでほしい――などという、切なる願いもこもった返事に。 「オレは(お前が男の子でも)気にしないが?「いえ、たとえ征さまが気になさらなくとも「というかそもそも、悠久を生きるオレたち妖怪には禁忌の方が少ないというか・・・”嫁御はおなごでなければならない“なんてきまり自体がない」」  ・・・だから当然のこと、恋愛だって自由だし。実際をのこ同士でくっついてる(恋愛している)のもいれば、人間を伴侶にしているものすらいるんだ。 「ならばオレたちが祝言を挙げたとて、なにも問題はないはずだ。違うかい?」なんて・・・天下の総大将に自信満々に言い切られたら――根が素直で真面目な童など赤子の手をひねるがごとく、瞬く間にその気にさせられてしまうのだって致し方ないというもので。 ・・・ゆえに。    「ほんとですか? ほんとに征さまのお嫁様にしてくださいますか?」 「むしろオレの方から――三顧の礼を尽くしてでも、『是非に』とお願いしなくては・・・ね?」  ・・・なにせ千年もの月日を過ごす間、共に暮らしたいと思ったのも、なにがなんでも手離したくないと思ったのも・・・どうしていいかわからないほど愛しいと思ったのも、後にも先にもお前だけだテツヤ。だからオレの元に嫁いできてくれるかい? と――。  赤司により突然もたらされた福音にみるみる瞳を輝かせながら、こてんと首を傾げてみせるその幼気な姿に『このとんでもなく可愛いのがオレの嫁御になる・・・これぞまさしく望外の喜びというのにふさわしい』ともろ手を挙げて歓喜しつつ。心が求めるまま――胡座の上に抱え直した子のふにふにのほっぺや、小さな唇や、頤の辺りやらを好き放題撫でまわしながら求愛してみたら。 「な、ら・・・今すぐ。ここ、で、お嫁さ・・・に、して・・・くださ、い」  三顧の礼なんてのんきなことをやってる場合じゃない。征さまがその気になっている間に・・・やはりをのこを相手にするなど無理だと悟られる前に。たった一晩きりでもいい。 ――総大将が所有する膨大な数の蔵書の中でも、とくにテツヤの興をそそった・・・西鶴の浮世草子に書かれていたような官能や悦楽を、自らも体感してみたいと。 すなわち、赤司に愛されたいと密かに夢見ていたからと――。  打って変わって今度は感激のあまりあふれ出した涙で頬を濡らしながらも。寝間着にしている肌襦袢に巻きつけている腰紐をほどき、胸をはだけ。潔く据え膳になろうとしてみせるから。 「!? テツヤお前なんてこと・・・ちょっと待ちなさい」  だから慌てて衿を掴み。チラリと覗いただけにもかかわらず、とんでもない殺傷力を発揮する・・・透けるような柔肌を純白の布地で覆い隠しながら「お前と情を交わすつもりはない」と伝える。 すると。 「・・・ど、して?」 「どうしてって・・・いくらお前が妖怪でも、その小さな身体では「そんな気にはなれないってこと・・・ですか?」」 「違う。そうじゃないよテツヤ「じゃあ「(オレの膨大な妖力や欲望を受け止める)お前に負担がかかりすぎる。壊してしまうんじゃないかって心配で・・・気が咎めるんだ」」  壊してしまいかねないほどお前への欲望を募らせているからこそなんだ。だからこれ以上誘惑してくれるなと、自嘲の笑みを浮かべながら乞うたのち。  さあ話しはここまでだと言わんばかりに、赤司の腿にひっかかっていた腰紐を手際よく元の位置に結び直し。 未だんくんくしゃくりあげながら、ぷうと頬を膨らませ不満を態度に表して見せる子の・・・ちょんまげの上からくせ毛をぽんぽんし。 「さあ、もういい加減寝よう」と胡座の中の幼い身体を支えつつ、一緒に横になろうとした途端に――。

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