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第11話 水族館(2)

「母は日本をとても愛していた。当時、父には別にアルファの正妻がいたから、母がイギリスの土を踏むことはなかった。十二歳の冬に母が亡くなり、わたしは父に引き取られ、次の年の秋にイギリスの寄宿学校に入れられた。そこで十七歳まで学んで、飛び級をしてロンドンの大学に入った。きみの兄上と知り合ったのは、その頃だ」 「そうだったんですか」  テラはマンボウを見つめながら続けた。 「明は日本人のアルファにしては、型破りなところがあった。……白井苑子はきみの母親だろ?」 「えっ、あ、はい」  いきなり母の名前が出てきて驚いたハナが頷くと、テラはマンボウの水槽を指で突ついた。 「私は明のツテを使って、大学卒業後、服飾を学ぶために、パリにある白井苑子のアトリエに入り、二年いた。その後、院に入り直してあっという間に二年。卒業後、父の仕事を継いで一年、明に誘われるまま、日本にきた」 「母と、知り合いだったんですね」 「ああ。彼女に学んだことが、今のわたしの背骨になっている」  そこでテラは言葉を切ると、皮肉げな笑みを浮かべた。 「順風満帆に見えるだろ?」  ハナは答えることができなかった。  テラが事実だけを努めて述べるのは、感傷的な領域から、あえて自分の心を締め出しているせいかもしれない。ハナにハナなりの苦労があったように、テラにもテラなりの苦労があったのだろうと、今ならストンと理解できた。アルファもアルファにしかわからないような問題で、苦しむことがあるのだ。  鼻持ちならない嫌な奴だと、もう、テラを見ても、思うことはできなくなっていた。 「……魚って、ある意味幸せですよね。自分の存在を疑うことなく、一心に泳いで天寿を全うする」  ハナが言うと、テラはマンボウから視線を外し、ハナを見た。 「でもぼくたちは違う。バース性に振り回される人生を、ぼくはずっとオメガに生まれたせいにしてきました。けど、あなたに逢ったり、色々あったりして、多かれ少なかれ、人はみんな、そうなのかなって。アルファだの、オメガだの、ベータだの、変にこだわっていたのはぼくの方でした。世界が狭くて、愚かだったと今は思います」 「だが、それは事実だ」 「そう、ですけど」  ハナは、テラが注いてくる視線に肩をすくめた。テラの匂いにもだいぶ慣れ、彼の人柄も、誤解していた頃と比べたら、格段にわかっている。

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